東ティモール

「自己啓発」という領域との出会い by Jun Nakajima

書籍カテゴリーに、「自己啓発」という領域がある。
多くの人たちが、敬遠してしまう領域でもある。

「自己啓発」(英語では、Self-help)という言葉に、文化や環境に規定される特定の負のイメージがすりこまれているからかもしれない。ぼくも、自己啓発という「言い方」には、しっくりこない感覚をもってきた。

2007年2月、束の間の休暇を過ごすために、東ティモールからインドネシアのバリを経由して香港に向かう飛行機の中で、ぼくの考えは変わった。キャセイ航空の音楽プログラムの中に、自己啓発のオーディオブックがあり、ふとしたところから、ぼくはそのプログラムを選び取った。そこで語られる話に、ぼくは聞き入ってしまったのだ。バリから香港に向かう青い空の中で、ぼくの人生は、飛行機と共に旋回していた。

今でも、この変化がどうして起こったのか、ぼくにはわからない。

東ティモール争乱が一段落した後、ぼくの心が「落ち着き」を求めていたからかもしれない。そのオーディオブックは、静かな語りで、ぼくに言葉を届けていた。

次のステージに向かう途上の変化であったのかもしれない。人生のステージが一段上がるような経験をするとき、ぼくたちは、そのような、説明不能な出来事に出会う。

その出来事から、ぼくは、自己啓発の領域で学び、実践し、その限界と可能性を感じてきた。だから、今では、「自己啓発」という言葉にはとらわれない。本質は著者との出会いである。そして、著者を通した自分との対話であり、その対話を生かすのも生かさないのも、自分次第である。でも、出会いがほんとうの「出会い」であれば、それは必ず、ぼくたちの人生を彩ってくれる。

紛争と本屋 - 東ティモール騒乱から by Jun Nakajima

2006年、東ティモールでの騒乱から逃れ、インドネシアのジャカルタを経由して東京に戻る。

銃弾が飛ぶ音がぼくの意識に残る。
小さな、はじけるような音がすると、身体がびくっと反応する。

車両から降りて、建物の敷地に入った途端に、後ろで銃撃戦が繰り広げられる。
何時間にも渡って、断続的に、銃撃音が鳴り響く。

銃弾だけでなく、石が投げつけられる怖さから、ひらけた空間が居心地が悪い。
一度、ぼくたちの車両が、走行中に大きな石を投げつけられたことがある。
幸いにも、車窓ではなく、車体にあたった。

戦争は、ぼくを、どこか、荒涼とした心情空間に投げ込む。

東京に戻ったぼくは、気がつくと、渋谷の本屋さんに立ち寄っている。
本屋さんに広がる、様々な想像や物語が、ぼくの荒涼とした心情空間に色彩を与え、そっと癒してくれる。

東京に戻り、そんな日々が続く。
本屋さんで見つける、何でもないタイトルに、心が温まる。