ニュージーランド
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(6)90マイルビーチを抜ける /
1996年10月10日。
ニュージーランドの北端、レインガ岬を
出発し、歩いて南に下る。
初日は丘のような場所を歩く。
道中に遭遇したマオリの家族に頂いた
貝を食べ、テントを設営して2日目に備える。
2日目は、Scott Ptあたりからの出発。
朝から空一面に怪しい雲がひろがっている。
それでも、ただ行くしかない、と歩を進める。
雨が降り出す。
雨宿りし、また歩き出す。
出発から1時間ほどして、いよいよ、
「90マイルビーチ」に入る。
90マイルビーチとはいえ、90マイルはない。
ただ、ここから見ると、遥か先まで
ビーチが続いている。
ビーチは平らで歩きやすい。
人は誰もいない。
右にタスマニア海、左は砂丘。
絶景である。
ただ、荷物の重み、疲労と足の痛みから
精神的にきつくなる。
昼過ぎに、90マイルビーチを北上している
2人のトランパーに出会う。
嬉しく、同時に励みになる。
道中、ツアーバスが通りすぎていく。
クラクションを鳴らしてくれたり、
手を振ってくれたり、励みになる。
3日目は、曇り。
雨は降る気配はなく、とにかく前に進む。
ひたすらビーチ。
目印となるようなところがなく、
気分は上がらない。
身体の調子も悪く、午後4時程にテント設営。
4日目の10月13日。
朝方から強風。砂が流れている。
幸いにも、追い風。
休憩を減らし、前に前に進む。
ただ、ビーチの「出口」がなかなか見えない。
雲行きが怪しくなったため、予定より
北の位置で、ぼくは内陸に入った。
雨が降り出す。
ただ、道がわからない。
精神的に弱っていくのがわかる。
すると、こんなところで、また人に出会う。
3人組のお年寄りである。
ハイキングをしているという。
散歩といった感じだ。
同じ「歩くこと」をする人に出会うのは
うれしいものだ。
大体の現在位置がわかり、ぼくは
気をとりなおして歩きだした。
度々地図を眺める。
目指すは、Waipapakauriという街。
ぼくの足はすでに限界を超えていた。
そして、ついに、国道一号線に
出たのであった。
レインガ岬から90マイルビーチ。
この4日間は、学びの連続であった。
他者からの励ましの連続であった。
そして、他者からのサポートの申し出の
連続であった。
歩くことも、そして日々生きていくこと
も、その連続である。
(続く)
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(5)マオリの家族 /
1996年、ニュージーランドの北端から、
南に向かって、ぼくは歩いていく。
10月10日、いよいよ、北端を出発する。
前日にキャンプサイトで出会った日本人、
大介さんに見送られる。
一歩一歩がゴールに向かっていると思うと
気持ちが高揚した。
つい、一歩一歩の歩みが早くなってしまう。
しかし、最初から、ルート探しに戸惑って
しまった。
道らしき道があるところもあれば、
また道しるべが不明確なところもある。
慣れないぼくは、間違った方向に歩んで
しまう。
最初から、1時間半も彷徨ってしまった。
ようやく、正確なルートに戻ったところで
マオリの家族に出会った。
父親と子供、そして子供の祖父の3名。
この辺りで、貝を採り、家に戻る途中だと
いう。
ぼくは、この後、90マイルビーチを下る
のだと説明する。
すると「食べ物はたくさん持っていますか?」
と言葉が返ってきた。
「一応、持ってきています。」と
ぼくは答える。
すると、貝で一杯になった袋から、
大きな貝を3つ取り出し、ぼくに差し出した
のだ。
ついでに、食べ方も教えてくれる。
彼らと別れ、Twilight Beachまで進む。
初日は、そこでテントを張った。
夕食には、頂いた貝をスープに入れて
食べた。
ニュージーランドを「歩くこと」には
一杯の物語が生まれていく。
夜中に起きたとき、夜空にひろがる星たちは
限りなくきれいであった。
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(4)応援 /
1996年、ニュージーランドの北端から、
南に向かって、ぼくは歩いていく。
人が真剣に何かに挑戦しているとき、
多くの人が応援してくれる。
応援は励ましの言葉であったり
時には違った形でやってくる。
ニュージーランドの北端を出発する
予定日は、10月10日としていた。
あまり意味はないけれど、日本では
体育の日。
歩くのにはよい日だと、勝手に決めた。
前日の10月9日に、北端の手前の街に
あるキャンピング・サイトで、ぼくは
一人の日本人に出会う。
こんなところで、日本人に会うとは
思ってもいない。
その日、ぼくは、彼、大介さんと
話をし、励ましをもらう。
それから、助言ももらう。
「ゆっくり行くこと」
「途中無理をせず、必要であれば
勇気ある撤退を。」
これらの助言で、気持ちの面において
余裕ができた。
翌日、10月10日、北端に向かう途中
まで、一緒に歩いてくれた。
そして、お別れは、オカリナで、
「上を向いて歩こう」をふいてくれた。
大介さんと別れ、ぼくが遠くに見えなく
なるまで、大介さんはふきつづけてくれた。
北端から、90マイルビーチに降りたち、
歩いているとき、通りかかったツアーバス。
バスが止まって、降りてきた女性は、
ぼくを気遣ってくれた。
彼女は、大介さんから、ぼくのことを
聞いていたのだった。
ぼくたちは、生かされている。
励ましと、
音楽と、
気遣いと、
助言に。
ぼくたちは、生かされ、そして
生きている。
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(3)励まし /
ニュージーランドの北端から、南に向かって歩く。
「90マイルビーチ」を歩きながら、ぼくは、
幾度となく、思い出すことになる。
北端から南へ歩くぼくに、本当に多くの人たちが、
激励をおくってくれたこと。
90マイルビーチを歩いているとき、
ビーチを走るツアーバスが、ぼくのところで止まった。
ツアーコンダクターと思われる女性が降りてきて
ぼくに声をかける。
ぼくがここに来る前に出会った人が、
彼女にぼくのことを伝えてくれていたのだ。
「大丈夫?」
彼女はぼくを気遣ってくれた。
そして、この辺に湧き出る水は、砂っぽいけれど
飲めることを助言してくれた。
後に、ぼくは、この湧き水に助けられることになる。
人が真剣に何かに挑戦しようとしているとき、
挑戦しているとき、
多くの人が応援してくれることを、
ぼくはしみじみと感じた。
この経験だけでも、歩くことには、意味があった。
(続く)
ニュージーランドで「本」に開かれる /
ワーキングホリデー制度を利用して
ニュージーランドに滞在していたときは、
ぼくはオークランドの日本食レストランで働いていた。
休日は、オークランドの散策。
その一つに「オークランドの図書館」があった。
ニュージーランドに来る前まで、ぼくは、普段
本を読んではいなかった。
大学の授業で指定された本を読んだりすることは
あっても、進んで本を読んだりはしない。
そんなぼくが、ニュージーランドの図書館を訪れ、
本棚を眺め、本を手に取る。
英語を学ぶ機会とすることもあったのだけれど、
それ以上に、ぼくは、学びたくなったのだ。
手に取った本のなかには、「国際関係論」があった。
学術的な本である。
その後、オークランドの古本屋に行っては、
「The Twenty Years’ Crisis」(E.H. Carr) などの
国際関係論の本を購入したりした。
(大学休学を終え、大学に復帰したとき、
ぼくは、アメリカ人の教授による「国際関係論」の
ゼミに参加することになる。)
ニュージーランドから東京に戻り、
大学に戻っていくなかで、
いつのまにか、「本」が日常の生活になくては
ならないものになっていった。
読めば読むほど、次の本が読みたくなる。
ジャンルを問わず、興味のむくままに、読む。
ニュージーランドの図書館で、
ぼくは、何を通過したのだろうか。
ぼくは、何を得たのだろうか、
あるいは、何を失ったのだろう。
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(2)90マイルビーチ /
なにはともあれ、1996年、ぼくは、ニュージーランドで
徒歩縦断を目指して、歩くことにした。
オークランドを出て北端に向かう。
北端に行くことから、すでに困難の連続であった。
また、北端といっても、北端周辺に何かがあるわけでもなく、
ぼくは道らしき道のない田舎道を歩いて、北上することになる。
「歩くこと」は、ただ歩くのではないという事実も、
身にしみて知ることになる。
背中には18キロ程の荷物を背負うのだ。
この重さには、さすがに、まいってしまった。
さて、北端のポイント、レインガ岬に到着する。
そこから、ぼくは、海沿いのルートを選択。
「90マイルビーチ」と呼ばれ、海岸線が延々と続くルートである。
誰もいないビーチで、海の光景も絶景である。
しかし、背中の荷物が、ぼくにのしかかり、途中からは
自分との闘いになってしまう。
ビーチを堪能する余裕はなくなってしまう。
特に、水が重い。
ビーチのどこにも、水道はない。
だから、節約しながら、ぼくは水を飲む。
歩いても歩いてもビーチが続く。
夜はビーチから内陸に入る境界線あたりでテントを張る。
ここなら、波はやってこないことを確認する。
内陸から水がちょろちょろと流れ出ている箇所を見つけ、
ぼくは、安堵と共に、その水を採取して夕御飯をつくる。
また、明日も、ビーチを延々と歩くのだ。
まずは休養をきっちりと取っておこう。
ぼくは、海岸線に鳴り響く波の音を耳にしながら、
眠りにおちる。
(続く)
「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(1)目標 /
1996年、ぼくは、大学2年を終えたところで1年間休学し、
「ワーキングホリデー」に出ることにした。
当時、日本がワーキングホリデー制度を締結していた国は、
オーストラリア、カナダ、ニュージーランドであった。
ワーキングホリデー制度の「王道」であったオーストラリアに
行きたかったのだけれども、人数制限のため、申請ができなかった。
第二候補のカナダも、申請時期か何かの問題で申請ができない。
残るは、ニュージーランドということで、アルバイトで貯めた
50万円程を手に、ニュージーランドに行くことになった。
ニュージーランド滞在中、ひとつの「目標」を定める。
・ニュージーランドを「徒歩で縦断」すること
当時、ワーキングホリデー中に、自転車などを利用して
国を一周したり縦断したりということが、「やること」の
ひとつとして一部に定着していた。
ぼくは、そこで、自転車ではなく「徒歩」に決める。
大学1年から2年にかけて東京でやっていたアルバイトで、
ウェイターとしては毎日とことん歩いていたからである。
到着して半年ほどは、オークランドの日本食レストランで
働きながら、生活を楽しむと共に、「準備」を進める。
アウトドアショップに行き、靴・上着・テント・簡易ガスなど
を購入する。地図も手に入れる。
そして、一軒家に同居していたフラットメートたちに見送られて
ぼくは、「徒歩縦断」の旅に出る。
ルートはニュージーランドの北端から南端を目指すことにした。
北端の方が、住んでいたオークランド(北島に所在)から
近いこと、また南島はまだ冬が明ける時期で寒いことが
理由であった。
当時も、今も、なぜこんなことしたのかはよくわからない。
でも、ぼくは、とにかく、歩くことにしたのだ。
(続く)
「自分の旅」を急ぎすぎない /
人は、時に(あるいはしばしば)、旅路を急ぎたくなる。
メタファーとしての「人生の旅」でも、人は「成功」を急ぐ。
これが欲しい、あれが欲しい。今、欲しい。出来る限り早く欲しい。
あのようになりたい。今、なりたい。
誰しもが、自身の経験の内に、そのような衝動をもっている。
「実際の旅」でも、例えば、トレッキングやハイキングで、
目的地への早い「到着」(「成功」!)を衝動する。
トレッキングで思い出すのは、ニュージーランドでの経験である。
大学を休学して滞在していたニュージーランド。
ぼくは、そこで、トレッキングをしていた。
数日かけてまわるコースである。
政府に管理される山小屋から山小屋に移動していく。
数時間で移動できる場合もあれば、
場所によっては、午前に出て夕方近くまでかかることもある。
ぼくは、朝早く山小屋を出発する。
冬が終わり、しかし、まだ山頂には雪が見える光景である。
そのなか、ぼくはトレッキングコースを急ぐ。
5時間もかからない内、お昼過ぎには、ぼくは次の山小屋に到着する。
そこでゆっくりしていると、夕方くらいに、一人のトレッカーが到着する。
1日かけての到着である。
なぜこんなに遅い時間に到着なのだろう。
スウェーデンから休暇で来ているという彼女。
ぼくは、彼女から、その後も忘れられない言葉を贈られる。
「ジュン、あなたは道中何を見てきたの?」
彼女は、道の脇に咲く花や草木を、心から堪能してきたのだ。
ぼくは、返す言葉がなかった。
人生の道中を急ぎすぎていると気付いたとき、
ぼくは、彼女から教わった、とても大切なことを思い出す。
そして、自分に問いかける。
「ジュン、君はそんなに急いでどこに行くんだ?
道の脇では、いっぱいの花々や草木が、君に微笑んでいるのに。」