ぼくは、まるで音楽を演奏するように、あるいは音になったようにして、人と語り、仕事をし、文章を書くという感覚を、生きることの「地層」としている。
音楽と共に生きる、ということよりも、より深い地層である。
ぼくは「音楽のまち」(今は「音楽の都」へ)といわれる浜松市に生まれ育った。
ヤマハやカワイ、ローランドといった楽器メーカーが立地するという「環境」においてピアノを習い、また「時代」の流れのなかで早い時期からバンド活動でギターを演奏し、ドラムを叩き、歌を唄ってきた。
さらには、浜松祭りという大きな祭りでは、ラッパの音色に合わせて練り歩くなかで、ぼくはラッパを吹いた。
生きることのすみずみにまで「音楽」がしみこんでいた。
音楽を演奏するように、あるいは音楽のように、生きていくような感覚とリズムを、ぼくはいつのまにか獲得していたように、今では思う。
よく知られているように、小説家の村上春樹が、小説を書くときに「リズム」をもっとも大切にしている。
デヴュー作となった『風の歌を聴け』の創作について、村上は次のように書いている。
小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。ぼくはその感覚を今でも大事に保っています。それは要するに、頭で文章を書くよりはむしろ体感で文章を書くということなのかもしれません。リズムを確保し、素敵な和音を見つけ、即興演奏の力を信じること。
村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング
村上春樹が、このように語るとき、ぼくは頭ではなく「体感」でわかる。
「文章を書く」ときに限らず、人と語るときのリズム感や素敵な和音的感覚から、仕事にいたるまで、音楽を演奏しているような感覚が、ぼくの深いところで感じられる。
うまく演奏できることもあれば、演奏がしっくりこないときもある。
あるいは、うまい演奏ではなくても、深い響きに充ちた演奏になることもある。
そのようにして、ぼくは生きる。
社会学者の大澤真幸は、「音楽」というものは「笑い」の延長線上にでてきたものではないかと考えている(『<わたし>と<みんな>の社会学』左右社)。
音楽と笑いをつなげる太い線は、「共感のメカニズム」である。
つまり、人と人とが一緒に生きていくことの関係づくりであり、その一つの方法として音楽があったのではないかという。
ネアンデルタール人は、言葉は原始的であったとしても、音楽はかなり発達していたと考えられていることを、大澤真幸は語っている。
音楽というのは、その意味において、言葉よりも本源的なものである。
ぼくたちの、より深い地層を形成している。
その深い地層から祝福されるように、ぼくたちの語ること、書くこと、描くこと、創ること、つまり生きることは存在している。
だから、今日も、音楽を演奏するように、生きる。