2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。
その頃は日本に行く機会は、年に1回ほどであった。
人が生きていく上で直面しなければならないことに、ぼくは相当にまいっていて、「世界の風景」が違ってみえるほどであった。
そんな折に、たまたま東京国際フォーラムの近くを通って、「相田みつを美術館」がひらかれているのを見つけた。
美術館のオープンは2003年11月。
ちょうどぼくが西アフリカのシエラレオネから東ティモールに移って、最初のコーヒー輸出を終えたころということで、ぼくはあまり東京に帰ってくる機会がなく、美術館のオープンは知らなかった。
それまでも「相田みつを」のことは知っていたし、数点の作品を見ただけで魅かれてもいたけれど、通常であれば美術館の行くほどの気持ちは起きなかっただろう。
しかし、2010年のその時は、なぜか、「相田みつを」に魅かれ、空白の時間ができたこともあり、ぼくはひとり、「相田みつを美術館」の空間に入っていった。
ぼくは、そこで出逢う、相田みつをの言葉たち、言葉とその筆使いに圧倒されることになる。
原作の数々の言葉たちが、心と身体にせまってくる。
「詩」という、言葉の地平線にむかって放たれて書かれる言葉たち。
書かれた言葉たちが、深く、身体的なのだ。
ぼくは、言葉ひとつひとつの「筆づかい、筆致」に、心身をかさねあわせていく。
ぐーーっと、言葉たちがちかづいてきては、じぶんのなかで、何かが解凍される。
当時のぼくを、深いところでささえてくれるような、言葉たちであった。
しあわせは
いつも
じぶんの
こころが
きめる
相田みつを(相田みつを美術館)*写真はブログ筆者(美術館で手に入れたもの)
このシンプルな言葉だけでも、ぼくたちに伝わってくるものがあるけれど、筆づかいは「相田みつを」という人をとおして、ぼくたちをさらなる深いところに導いてくれる。
「しあわせ」ということを、相田みつをは、どのように考え、感じていたのだろう。
ここでは「じぶんのこころがきめる」としている。
「じぶん」と「こころが」の筆致が、「しあわせ」に増して、圧倒的にちからづよく書かれ、せまってくる。
相田みつをにとって、「しあわせ」は、二の次だったのではないかと、ぼくには見える。
「しあわせ」を大切にしていないわけではない。
「じぶん」と「こころ」に、徹底的にむきあってきたからこそ、変幻自在の「しあわせ」はこの筆致で書かれたように、思う。
相田みつをの言葉たちと筆づかいを心身で感じながら、ぼくが見ているのは、ぼく自身の「じぶん」と「こころ」でもある。
相田みつをのまなざしは、この言葉たちをみている人たちの「じぶん」と「こころ」にも、向けられている。
相田みつをはそこに立ちながら、ぼくたちに問う。
あなたの「じぶん」と「こころ」はいかがか、と。