ニュージーランドの北島に位置するオークランドの中心を、Queen Streetというメインストリートが通っている。
ストリートのひとつの端は、海につながる湾にいきあたる。
その端とは逆方向に見やると、ストリートはまっすぐに伸びていて、お店やレストランや銀行などが並んでいる。
オークランド、あるいはニュージーランドで、もっとも賑やかな繁華街だ。
1996年、ぼくはそのストリートに腰をおろし、ギターを奏でながら、歌を歌っていたことがある。
広い意味で「バスキング」とも言われるけれど、いわゆる路上ライブである。
ずっとやっていたわけではなく、ほんのわずかであったけれども、当時のぼくは、「一度はやってみたいこと」のひとつをやってみたのだ。
やってみたいことだとはいえ(あるいはやってみたいことだからこそ)、ぼくにとっては「勇気」のいることであった。
なお、当時のQueen Streetにはときおり、同じように、ギターを手に、歌声を届けている人たちがいた。
ぼくも、ある日、小さなギターをかかえて、よさそうな場所を見つけ、腰をおろし、また投げ銭を入れることのできる容れ物を前におき、そして、歌を歌うことにしたのだ。
ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに渡る前に、ぼくは東京で、マーチン社の「Backpacker」(バックパッカー)という旅用の小さなギターを購入していた。
ギターのボディの部分がそぎ落とされたモデルだ。
ボディが小さいため、ギターの音色はそれほど大きくはならないが、名前の通り、持ち運びに便利なギターである。
だから、家からQueen Streetに持ち運ぶのには便利であったけれど、人が忙しく行き交うストリートでは、音のボリュームが小さくて、音が空間に散っていってしまう。
ぼくは空間に響く音を耳で確認しながら、それでも歌を歌い続けた。
曲は、例えば、ビートルズの「Across the Universe」や「Let it Be」であったりした。
ぼくの前を通りすぎてゆく人たちは、ある人たちはまったくこちらを振り返ることもせず、音も届かない様子で通り過ぎていった。
またある人たちには、可笑しさで、笑われることもあった。
でも、あるときには、微笑みをなげかけてくれたり、なかには、投げ銭をしてくれる人たちもいた。
いつも通っていたQueen Streetの風景が、いつもとは違っていた。
悪い気分が身体をかけぬけたことも、暖かい気持ちを抱いたことも含めて、「勇気」を出して、オークランドのQueen Streetの路上で歌って、ぼくはよかったと思う。
今は、こうして文章を書いていて、路上ライブのように、ある人たちはまったく振り返ることもない。
またある人たちは、ぼくの書いたものを気に入らないだろうし、批判をすることだってある。
でも、あるときには、ぼくは、励ましや感謝をいただくこともある。
そんな諸々のことを含めて、ぼくはインターネット世界の<路上>で、言葉や感覚を届けていて、ぼくはそれで、よいのだと思う。