だいぶ前のことになるけれど、1996年、ぼくはニュージーランドに住んでいた。
大学2年を終えたところで1年間休学し、ワーキングホリデー制度を利用して、ニュージーランドに渡ったのだ。
当時のワーキングホリデー制度は、カナダとオーストラリアとニュージーラン(のみ)が開放されていたのだけれど、カナダとオーストラリアは人数制限で上限に達していたため、ぼくは結局、最終候補としていたニュージーランドに行くことになった。
それまで音楽を呼吸のようにして生きてきたぼくにとって、「音楽」をどのように荷物につめこむのかが、ひとつの課題であった。
最終的に、ぼくは東京で、マーチン社の「Backpacker」(バックパッカー)という、旅用の小さなギターを購入することにした。
こうしてぼくは、ボディ部分が最小限にまでそぎ落とされたこのギターと共に、ニュージーランドで生活することになった。
ニュージーランドの生活を通して、ギターは、文字通り、ぼくと生をともにした。
ギターそのものを弾き、歌を口ずさむだけで、旅の宿でも、後に住むようになったフラットでも、ぼくは楽しむことができた。
持ち運び便利なこのギターをもちだして、ぼくは、オークランドの路上(Queen Street)で、ビートルズなどの曲を歌ったこともあった。
こんなときは、ギターは、人と人とをつなぐ<メディア>ともなる。
ギターはそのように、ぼくと他者をつなぐ<メディア>としても活躍した。
ニュージーランド滞在の後半、ニュージーランドを旅しながら、ぼくは他者のためにも、ギターを奏でた。
あるときは、ある町の人がぼくがギターを弾くのを知って、夜の語りのイベントに招待してくれた際に、参加者の人たちが歌う歌の伴奏をしたこともあった。
またあるときには、南島のトレッキングコースにある山小屋でのとても静かな夜に、同じ山小屋に泊まっている人のために(そしてぼくのために)、静かな調べを奏でたりもした。
ひとつ困ったのは、徒歩旅行をしていたときのこと、この縦長のギターをビニール袋でカバーをしてバックパックにくくりつけていると、遠くから見ると「猟銃」のように見えたことである。
徒歩旅行中のぼくに声をかけてくれた人たちの幾人かが、「それは何?」と尋ねてきて、「ギターですよ」と応えるぼくに、銃のように見えたからと、伝えてくれることがあったのだ。
また、少しでもバックパックを軽くしたいなかで、このギターの軽さも「重さ」となって、ぼくの心身にくいこむことがあった。
それ以外はとくに困ることなく、この小さなギターは、ぼくの徒歩旅行のときも、また山登りのときも、ぼくのバックパックに装填されていた。
それは、ぼくにとって大切な「旅の同行者」であったし、その音色は、ぼくの(そしておそらく他者の)心をいやしてくれた。
<音楽>は、世界の共通言語として、世界の人たちをつなぐものだとしばしば言われるけれど、ニュージーランドでの生活と旅を通じて、ぼくはそのことをじぶんの体験と実感として、じぶんのなかに積みあげてきた。
それは、やはり幸福なことであったと、ぼくは思う。