ニュージーランドに住んでいるとき(1996年のことだ)、ぼくの心のなかではよく、ビートルズの名曲「Let It Be」が響きわたっていた。
1970年に出された、ビートルズ最後のアルバム作品の、そのタイトルにも使われた「Let It Be」。
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be
…
The Beatles “Let It Be” 『Let It Be』※「Apple Music」より
「Let it be」の日本語訳には、「そのままにしておく」「なるようになるさ」「あるがままに」など、いろいろな訳語があてられているけれど、ぼく個人がしっくりくるのは「なるがままに、なる」である。
ちなみに、「Let it be」という知恵を伝えてくれる「Mother Mary」は、「母のメアリー」という捉え方もあれば、なかには新約聖書の「マリア」という捉え方をする人もいる。
島田裕巳は著作『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのかーロックとキリスト教』(イースト新書)で、「Let it be」ということばが、新約聖書の「ルカによる福音書」第一章第三十八節に出てくることを指摘している。
そこには、マリアがイエスを身ごもった「受胎告知」の場面であり、「お言葉のとおりに成りますように」(let it be to me according to your word…)と書かれているという。
この曲をつくったポール・マッカートニーは、聖書を下敷きにしていることは否定していることを、島田裕巳は書いている。
…ポールは、…この歌詞ができたのは、夢のなかに十四歳のときに亡くなった母親が出てきたからで、それが励みになり、「僕が一番みじめなときにメアリー母さんが僕のところへ来てくれた」という歌詞を思いついたとしている。
これで、”Mother Mary”が登場する理由はわかるが、なぜその母親が、”Let it be.“と言ったのかはわからない。”Mother Mary”と”Let it be”とは、「ルカによる福音書」において密接に結びついているわけで、ポールはそれを無意識のうちに記憶していて、それがここで甦ってきたと考えることはできる。
島田裕巳『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのかーロックとキリスト教』イースト新書
いずれにしろ、ぼくにとっては、(聖母マリアではなく)メアリー母さん(のような人物)がやってきてくれ、「なるがままに、なるわよ」と、語りかけるものとして、「Let it be」は心のなかにしまわれている。
オークランドの中心をつきぬけるQueen Streetの路上で歌ったときも、名曲「Let It Be」は選曲のひとつであったし、またオークランドで仕事がみつからないときも、メアリー母さんがやって来ては「Let it be」の知恵をぼくのなかに鳴り響かせた。
なるがままに、なる、と。
それからいろいろあったニュージーランドでの生活と旅も、「なるがままに、なる」の通り、展開し、行き詰まり、ひらかれ、進んでいった。
ところで、アルバム『Let It Be』が出されてから、やがてビートルズは正式に解散にいたる。
ビートルズがその後、曲を創り続けていたらという思いが、ぼくのなかにわく。
しかし、「なるがままに、なる」ということばのように、その後の4人の行く末は、「なるがままに」展開されていったのだ。
4人それぞれに、名曲を世に放ち、それぞれに生きた/生きている。
なにががよくてわるくてという視点は、それぞれの実際の生のなかに溶解してしまったかのようだ。
ある意味で、「なるがままに」、それぞれの生きる物語はひらかれていったのだと、言うこともできる。