シエラレオネ

ロンドンでの「温かいシャワー」が、ぼくの身心に刻んだ深い記憶。- シエラレオネからの「トランジット」で。 by Jun Nakajima

香港はここ数日、時折、雨の恵みが、降りそそぐ。本格的な「雨」ではなく「にわか雨」である。雨の粒に抱きかかえられるようにして小さな花びらが道端に咲き散り、黄色の絨毯を織りなしている。...Read On.

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紛争とクラシック音楽 by Jun Nakajima

最近はクラシック音楽を聴くようになった。
香港で、クラシック音楽を聴く。
香港には、世界から一流の奏者がやってくる。
規模が小さい香港だけれど、これはよいところだ。
Lang Lang以外であれば、チケットも比較的容易に手にはいる。

それにしても、ぼくにとってのクラシック音楽は、小学生から
10代にかけて退屈極まりない音楽であった。
だから、ぼくは、ロックやパンクロックにはまっていく。
10代は、そのような音楽のバンド活動に熱中していったのだ。

時を経て、ぼくは、海外ではたらくようになる。
最初の赴任地は、西アフリカのシエラレオネ。
赴任した当初2002年は、紛争終結後間もない時期である。
国連が組織する平和維持軍が駐屯する国であった。

シエラレオネでは、紛争の傷跡を見て、心身の深い痛みを
負う人たちと接触し、暮らし、仕事をしていく。
そのような生活をおくっていくなかで、いつからか、ぼくは
クラシック音楽を聴くようになっていた。

そもそも、クラシック音楽が生まれた時代は、
戦争や紛争が絶えない時代でもあった。
クラシック音楽の美しい調べには、痛みや悲しみが
埋め込まれているのだ。

クラシック音楽を聴きながら、ぼくは、音楽がつくられた時代の
人たちのことを思う。
そして、この現代において戦争や紛争に翻弄されてきた人たちの
痛みや悲しみを感じ、祈りと微かに光る希望を抱く。

シエラレオネと言葉 by Jun Nakajima

2002年から2003年にかけて、ぼくは、西アフリカのシエラレオネで仕事をしていた。
シエラレオネで仕事をしているとき、ぼくは、感じていること・思っていること・考えていることを「言葉化」することが、ひどくつらくなってしまった。

仕事をこなしていくこと、現実に対応していくことで精一杯であったこともある。
ひどく混乱してしまったこともある。

仕事が終わると、ぼくは事務所(兼住居)の前に椅子を持ち出し、考え事にふける日々が続いた。
「現実」の中で、言葉を失ってしまった。
「現実」に圧倒されてしまった。
シエラレオネには延べ1年近く滞在することになったのだけれども、ぼくは、言葉を紡ぎ出すことができなかった。

人は、時として、自分の言葉を凌駕するような現実に出会う。
自分の言語空間がつくりかえられていく経験をする。
破壊と創造。

社会学者の見田宗介が、バタイユの言葉を転換して述べるように、「創られながら創ること」。
何かを創ってきたというよりは、創られてきたという感覚の方が大きい。

シエラレオネでの仕事から、10年以上が経過して、ぼくはようやく「自分の言葉」をつむぎだしていく素地ができた。
ぼくは、今こうして、言葉をつむいでいる。

写真家との出会い - シエラレオネにて by Jun Nakajima

2003年にシエラレオネで仕事をしていたとき、ある写真家の方に出会った。

写真家の彼は、岩波書店の戦争シリーズのなかの1巻を創作するために、西アフリカのシエラレオネとリベリアに取材に来るという。ひどく忙しい日々がつづいていたけれど、同世代の彼の取材に、ぼくは出来る限りの協力を提供した。

彼と過ごす内に、彼がパレスチナで片目を喪失したこと、彼の父親は自殺されたことなどを知ることになった。そんな彼が、戦争の途方もない傷痕を負ったシエラレオネの人々と、笑顔で陽気に戯れている姿を見ていると、彼自身の痛みや哀しさが、シエラレオネの人々の痛みや哀しさと、底のほうで共振しているように、ぼくには見えた。

その彼が、当時内戦が続くリベリアに旅立っていった。首都モンロビアはまだ銃撃戦がつづいている危険地帯。一歩間違えば、確実に生命を落とす空間。シエラレオネのスタッフたちを含め、皆が心配していた。

その後、彼から連絡もないまま、ぼくは日本で休暇を過ごすことになる。その移動のため、シエラレオネの首都フリータウンの空港にいたぼくは、そこで偶然にも、彼に再会した。懐かしい声が遠くから聞こえ、ぼくは驚嘆と共に安堵したことを覚えている。彼も、リベリアでの取材を終え、日本に帰国する途上であった。

飛行機を待つ間、また飛行機の中で、またロンドンの空港で、ぼくは彼の話に耳をかたむける。リベリアの首都モンロビアの街中は依然として戦闘が続き、死体は散乱し、コレラが子供の命を奪っている。フリータウンの空港では、CNNがモンロビアの状況を映し出していた。瞬間、ぼくの身体にはとても冷たいものが貫き、身体が悲しみでいっぱいになった。身体の悲しみはとめどなく湧いてくる。なぜか、シエラレオネの人々の悲哀と憎悪が、ぼくの身体と心にどくどくと浸透してくるのであった。シエラレオネを離れ、ロンドン経由で日本に帰国したぼくは、気づかない内に、身体に多くのものを背負っていた。

「彼」の作品は、その後、雑誌『アエラ』に掲載され、また当初の目的どおり、ひとつの作品となった。

彼が後日送ってくれた、その作品、亀山亮『アフリカ 忘れ去られた戦争』(岩波書店)というフォト・ドキュメンタリーの写真一枚一枚に引き込まれ、ぼくは、身体と心にひどい痛みを感じる。

でも同時に、痛みを知る彼だからこそ、そんな作品ができたのだとも感じる。見るたびに、痛みが身体に伝わってくる写真を見ながら、ぼくはアフリカの戦争とそこに住む人々に思いを馳せる。そして、亮さんの一連の写真に時折織り込まれている、人々の絶望的なまでの「祈り」の写真のように、ぼくも心で絶望的なまでに叫びながら、でも静かに、この世界に光をさがす。