香港
「天気がいい/悪い」と、言わないように。 - 自分の中に「地球」を描く。 /
「天気がいい/天気が悪い」と言わないこと。ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、身についた価値観と感覚を入れ替えることは容易ではない。...Read More.
Read More香港で、「コーヒーの定点観測」をしてきて - 香港の「コーヒー事情」雑記。 /
香港に移ってきた2007年。当時、美味しいコーヒーが見つからなかった。...Read More.
Read More香港で、麺にさそわれて - 「車仔麺」にみる文化。 /
香港の陽光にさそわれると、今度は、香港の麺がぼくをさそった。知る人ぞ知る「車仔麺」の有名店に足を運ぶ。...Read More.
Read More香港で、陽光にさそわれて - 海はつながっている。 /
「香港」にたどりつくまで - 願いと予感が導くところ。 /
2007年に、ぼくは「香港」にうつった。
10年前のことである。
どのようにして「香港」にたどりついたのだろう
と考える。
成田空港から飛行機にのってやってきたし、
香港を住む場所として「選択」をしたことも
確かだ。
しかし、表層ではなく、すこし深い「心の地層」
において、ぼくはどのようにして「香港」に
たどりつくことになったのだろうか。
(1)香港への「予感」
香港にはじめてきたのは、さらに時間をさか
のぼる1994年。
大学の夏休みに、飛行機にはじめてのって、
ぼくは香港におりたった。
香港から広州、広州からベトナム、そしてその
ルートから香港へもどってくる一人旅であった。
香港のTsim Sha Tsuiのヴィクトリア湾に面す
プロムナードから香港島のビル群を見渡した。
そのときに、ぼくは、香港に仕事でくるような
そんな「予感」を感じたのだ。
香港はまだ中国への返還前であった。
それから、ぼくは香港とはまったく関係のない
「途上国」での仕事にかかわっていく。
香港からは程遠い世界だ。
2006年、ぼくは、東ティモールで、銃撃戦の
なかにいた。
翌年2007年、仕事がおちついたところで、
ぼくは香港に拠点をうつすことになった。
(2)海外への「願い」
「香港への予感」をさかのぼり、大学時代の
一人旅からもさらにさかのぼっていく。
ぼくは、中学生か高校生のときだったか、
卒業文集に「将来の自分」をイメージして
書いていた。
手元には、そのときの文集はないけれど、
ぼくは、「世界をとびまわっている」と
書いていたことを覚えている。
将来にたくした「願い」だ。
文集に書いたことを思い出したのは、
NGO職員として、アフリカやアジアを
行き来していたときだったかと思う。
ぼくの願いに「詳細」はなかったけれど、
願いは現実になっていくものだ。
「願い」と「予感」。
ぼくのなかで、これらが化学反応をおこし
ぼくを香港へとおくりだしていった。
あるいは、ぼくが、自分の人生という
「物語」のなかで、勝手にストーリーを
つくっている。
だから、ぼくは、願いと予感を丁寧に、
これからの未来をえがく。
キーボードをタイプし、字を書くこの
手を大切にしている。
香港の街を一人歩きながら、
ぼくは、ふと、そんなことを考える。
「香港」を視て考える - トラベルガイドでもなく、学術書でもない1冊(英語) /
「香港」を視て考える。
語りにくい香港を、日々の体験から、
その「世相」から、すくいあげていく。
香港の人や街路や食などから
手がかりをすくっていく。
そして手がかりを文章におとしていく。
ぼくは、文章を書きためているところだ。
文章が書きたまったところで、
他者がどのように香港を「書いて」いるか
気になりグーグル検索する。
検索していて気づいたのは、「香港」に
関連する書籍は、
- トラベルガイド
- 学術書
の二つが主流である。
この主流に加わる形で、
香港を舞台にした小説などがある。
1と2の「中間」が見つからない。
英語でもグーグル検索するが、やはり
この二つのカテゴリーに収まってしまう。
その間隙から見つけたのが、この書籍で
ある。
『Reading Hong Kong, Reading Ourselves』
Edited by Janel Curry, Paul Hanstedt
(CityU Press, 2014)
香港の大学に来ていたアメリカの研究者
たちが、それぞれの専門分野の視点で、
でもカジュアルな文体と構成で書いた
文章群から成っている。
トラベルガイドでもないし、
がちがちの学術書・研究書でもない。
しかし、学術的な「客観性の姿勢」がある。
トピックは多岐にわたっている。
食、社会、街路、言語、歴史、教育など。
これらを日々の「体験」からすくいあげる。
視点は、西洋人が視る「香港」。
日本人が視る「香港」だけではみえない
視点もはいってくる。
文化と文化の「間」からみえてくる視点が
面白い。
そこの「間」から、
ぼくたちは、どのように、よりよい生き方
を構想できるだろうか。
そんなぼくの思考にお構いなく、
香港の街は、今日も、忙しなく、活気を
装っている。
世界で人々の生活を観る「メガネ」: 柳田國男『明治大正史-世相編』のちから。 /
世界のいろいろなところで
いろいろな人たちの生活をみることは
楽しみのひとつである。
着るもの・着方、食べるもの・食べ方、
住むところ・住み方など、興味と関心
はつきない。
香港に10年住んできたなかで、
それら変遷を観ることは、ぼくの
楽しみであった。
例えば、日本の「おにぎり」。
香港の食に最初は浸透せず、
でもそれが徐々に受け入れられていく
移り変わりは興味深いものであった。
香港では主食に「冷たい食べ物」は
好まれないと思われていたから、
なおさら興味深いものであった。
柳田國男の著作『明治大正史 - 世相編』
は、このような「世相」を観る視点や
洞察の宝庫である。
見田宗介の仕事(「<魔のない世界>
ー「近代社会」の比較社会学ー」
『社会学入門』所収)に導かれて、
ぼくは、柳田國男のこの著作に
たどりついた。
第1章「眼に映ずる世相」の冒頭は
こうはじまる。
以前も世の中の変わり目という
ことに、だれでも気が付くような
時代は何度かあった。歴史は遠く
過ぎ去った昔の跡を、尋ね求めて
記憶するというだけでなく、
それと眼の前の新しい現象との、
繋がる線路を見きわめる任務が
あることを、考えていた人は
多かったようである。ところが
その仕事は、実際は容易なもので
なかった。この世相の渦巻きの
全き姿を知るということは、
同じ流れに浮かぶ者にとって、
そう簡単なる努力ではなかった
のである。
柳田國男『明治大正史-世相編』
(講談社学術文庫)
今の時代も「世の中の変わり目」
である。誰もが気づいている。
しかし、「同じ流れに浮かぶ者」
として、世相を知ることは容易
ではない。
柳田國男がこれを書いたのは、
1930年であったという。
この時間の隔たりに関係なく、
本書はほんとうに多くのことを
まなばせてくれる。
ぼくたちの日本での「衣食住」を
ふりかえるだけでなく、
柳田の視点や洞察は、時間と
空間を超えるものがある。
ぼくは多少なりとも、
そんな視点と洞察の「メガネ」
をかけて、ここ香港の「世相」
を眺めてみたいと思う。
日本以外の国・地域(海外)に
いることのいいところは、
「同じ流れに浮かぶ」ことから、
多少なりとも、流れの外にでる
ことができることである。
それを寂しいという人もある
かもしれないけれど、興味の
つきない<立ち位置>であると、
ぼくは思ってやまない。
「ミニマリスト x クオリティ = ○○○○○○○」- 香港で学んだこと。 /
香港に住んで、
・香港という空間
・香港社会
・時代背景
という条件の組み合わせの中で、
ぼくは、あることを学んだ。
それは、次のことである。
- 「ミニマリスト」の地平
- 「クオリティ」の追求
「ミニマリスト」の地平は、
ぼくが香港に住んでいるときに
みえてきた風景である。
大枠としての問題系は、
ミニマリスト、エッセンシャル、
断捨離、クラッター、コンマリ
などと語られる問題系である。
いわゆる「片付け」から開かれて
いく地平である。
香港の住居環境や都市環境は
物質的な「空間が狭いこと」が
特徴である。
その中で、ぼくたちは、
よりよく生きていく術を考え、
実践していく。
「ミニマリスト」的生き方を
実践する喫緊性がある。
香港の書店でも、
「片付け」の本が並べられている。
そして、香港だけでなく、
いわゆる「先進国・地域」では
近年、このような思考と実践を
後押しする社会ムーブメントがある。
そのような中、ぼくも、
香港で暮らしながら、徐々に
「ミニマリスト」的な生き方に
移行している。
ただ物事を少なくしていくのでは
なく、「エッセンシャル」な物事
にフォーカスしていく。
それは、「クオリティ(質)」の
追求につながる。
ひとつひとつのことを大切にする
生き方だ。
物もそうだし、行動もそうである。
香港の過去10年は、経済社会の
急速な発展の中で、「物」に溢れた。
「もっと、もっと」の世界である。
ぼくたちも、香港社会の中で、
気がつけば、エッセンシャルでは
ない「物」に囲まれる生活を送って
いたわけだ。
でも、徐々にギアをシフトしてきた。
「ミニマリスト」的生き方と
「クオリティ」を足し算する。
そして、いつしか、足し算が掛け算に
変わるような経験をしてきた。
「ミニマリスト x クオリティ」
=「生き方が変わる」
「生き方が変わる」だけでなく、
そこには、さまざまなもの・ことが
あてはまる。
ぼくは、このことを
ここ香港で、学んできた。
実践してきた。
生きることの内実の隅々が
入れ替わっていく経験である。
日本の外で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。
そして、人生で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。
そんなことを最近は、
ここ香港で考えている。
「香港」は、語りにくい - 香港を知るための2冊 /
香港に住んで10年になる。
香港とともに成長してきた。
日々「香港」である。
日々「フィールドワーク」である。
でも「香港」は語りにくい。
その「香港」を知るために、
この2冊は読んでおきたい。
・倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書, 2015年)
・吉川雅之・倉田徹『香港を知るための60章』(明石書店、2016年)
人により、香港を知る「目的」は
さまざまである。
それは、香港で住むため、
香港を研究するため、
香港や香港文化に興味があるため、
であるかもしれない。
いずれにしろ、この2冊は読んで
おきたい。
ぼくは、これら2冊には、
香港で10年ほど生活してから
出会った。
『香港』(岩波新書)の冒頭は、
ぼくの「感覚」を共有する出だしである。
「香港は一冊の難解な書だ…。」
この言葉は、…中国政府の香港出先機関
である中央政府駐香港連絡弁公室(中連
弁)の初代主任を務めた姜恩柱が残した
名言である。…
…この台詞は、香港研究を生業とし、
「香港とは何か」を捕捉することを
職業とする筆者(倉田)の頭の中にも、
毎日のように去来する。
倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書)
大学で中国語を学んでいた
ときに香港に授業で触れ、
大学在学中に、香港に初めて足を
踏み入れ、
そしてこの10年住んでみて、
それでも、ぼくも感じる。
香港は語りにくい。
そして、その語りにくい香港は、
常に変わっている。
スピードも圧倒的に速い。
いつまで香港にいるかはわからない。
でも、しばらくは、この変動の香港を、
ぼくは見続けていく。
そして、香港を知るためのもう一冊を、
近日中に、世に放ちたい。
香港に住んで、まもなく10年 - 香港で/から学んだこと。 /
香港に住みはじめて、まもなく10年になる。
10年前は、ぼくは、東ティモールに住んで
いた。
ぼくの20代の後半は、東ティモールの
コーヒー生産者とともにあった。
30代になり、香港に移り住むことになった。
ぼくは、ぼくの30代を、香港で、香港と
ともに、成長していった。
香港で学んだことは、数限りなくある。
香港から学んだことも、数限りなくなる。
「学んだこと」を、今、文章としてまとめて
いるところである。
次のようなことが「学んだこと」のいくつか
である。
- 生きていく力
- お金というもの
- 多様性というもの
香港は、活気・熱気があり、混沌があり、
エネルギーに満ちている。
そこには「生きていく力」がある。
強さと言ってもよいし、サバイバル力でも
ある。
「生きていく力」を駆動していく源泉の
ひとつは、「スピード」である。
香港のスピードは、世界屈指である。
社会も、ビジネスも、人も、そこには
スピードが感じられる。
香港国際空港の「荷物」受け取りスピード
は、世界でも最強の部類である。
飛行機を降り、イミグレーションを通過し
すでにそこに荷物が到着している。
スピードが社会のDNAに刷り込まれている。
その背景のひとつには、お金がある。
ここでは時間はお金である。
お金というものの価値が最重要で重視される。
人によってはこの価値に抵抗感があるが、
それはシンプルでもある。
郵便局のサービス方針として、
「Value for Money」がうたわれている。
お金に見合う価値の提供。
シンプルである。
お金の価値軸が社会の芯となっている。
歴史的な不安定さに対応するには、
お金は「安心」の拠りどころである。
このような社会だから、ぼくは「お金」に
ついて、よく考えることができた。
そこの芯があるからか、
香港は多様性のある社会である。
多様なもの・多元的なものを受容する力は、
強い。
日本では「グローバル、グローバル」の
掛け声があるが、香港では、日常がすでに
「グローバル」である。
人の多様性もそうであるし、
話される言語も多様である。
多様性が社会にとけこんでいる。
この環境に身を置きながら、
肌感覚として生活してきたことは、
ぼくにとっては、とても大切なことであった。
香港に住んで、まもなく10年。
よかったことも、うんざりすることもあった
けれど、ぼくは香港とともに成長してきた。
「旧正月」を生きる /
香港や中国、その他中華圏では、毎年1月あるいは2月には、旧正月を迎える。
旧暦による正月で、時期は毎年変わる。
2017年は1月28日が旧正月にあたる。
海外に出て、旧正月が生活や仕事の中に入り込んできたのは、
東ティモールでのことであった。
東ティモールでは、中国系インドネシア人がビジネスを展開していた。
例えば、建設用の資材などを扱う店などである。
ぼくたちも、プロジェクト用の資材を調達する必要があり、
しばしば店に足を運んだ。
ただし、旧正月前後は、資材の入荷がストップした。
店の「ボス」である中国系インドネシア人も、休暇を過ごすため
国外に出てしまい、交渉ごとなどが滞ってしまう。
だから、旧正月を見越し、プランを立てる必要があった。
2007年に香港に移住してからは、旧正月は完全に生活の一部となった。
香港では、旧正月に始まる3日間は、法定の休日である。
今でも、香港の方や華人の方から、聞かれる。
「日本は、旧正月は祝うのですか?」
「日本は旧正月は祝いません。1月1日です」と回答をしながら、
時折、ぼくは考え込んでしまう。
日本も明治維新の前は旧正月を祝っていたという。
旧正月を祝っていた日本人は、どのような感覚を持っていたのだろう。
旧正月を祝うことには、すっかり慣れてしまった。
旧正月が明けると、新年が完全に明けたことを感じる。
春の訪れを微かに感じながら、自分の1年プランをレビューし、
ぼくは1年の一歩を進む。
香港における「安心」 /
香港は「お金」だと言われる。
企業と人との関わりも「お金」が中心である、と言われる。
お金を「汚いもの」と見がちな日本人は、お金での繋がりは「企業に対してロイヤリティがない」と感じる。
香港という「不安定な都市」では、お金は「安心」である。
頼るのは、家族とお金である。
人生の「根」が、そこに在る。
でも、だからこそ、家族とお金だけではない「根」を探し求める人たちもいる。
新しい「コミュニティ」が、どう形成され、どこに向かうのか。