「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「他者との関係のあり方」をかんがえるときの出発点。- <他者の両義性>(見田宗介)ということ。

ぼくたちが生きていくなかで、他者との関わり方、他者との関係の「あり方」をかんがえるとき、そこには他者を「他者」として一括りとすることに困難を感じる。

ぼくたちが生きていくなかで、他者との関わり方、他者との関係の「あり方」をかんがえるとき、そこには他者を「他者」として一括りとすることに困難を感じる。

 

その理由のひとつは、じぶんと「他者」という関係の距離感や濃度がさまざまな様相をみせることである。

例えば、じぶんの「家族」との関係の距離感は近く、関係の濃度も濃かったりする。

もちろん、友人などとの関係が、家族との関係よりも近く、そして濃いことだってある。

だから、社会的なラベルは、じぶんと他者との関係のあり方をかんがえる際には、絶対的ではない。

 

さらには、そもそも、人は、小さい頃から「他者に好かれる」「他者に嫌われない」ように生きてきたりするけれど、生きてゆく道ゆきのなかで、「すべての他者」に好かれたりすることはないことを、実感として知る。

それでも、小さい頃からの教えを身体に刻みこんだ人たちは、「他者に好かれる」「他者に嫌われない」生き方を一心に追求していき、日々に奮闘する。

「世界平和」のイメージは子供の頃に触れるものであったりするけれど、「世界平和」は、誰とも仲良くすること、誰からも好かれること、ではない。

そんなふうにかんがえてみると、「他者」を一括りでは語れない、となる。

また、「他者」を一括りで語る仕方は、人をまどわせるものでもあると、思う。

 

「他者」との関係の「あり方」を原的にかんがえることにおいて、ぼくを導いてくれたのも、社会学者の見田宗介であった。

「社会の理想的なあり方を構想する仕方」として、見田宗介は、<他者の両義性>という原的な地点から、理論を構成してゆく。

「他者」とは、

  1. 人間にとって、生きるということの意味の感覚と、あらゆる歓びと感動の源泉
  2. 人間にとって、生きるということの不幸と制約の、ほとんどの形態と源泉

である(参照:「補 交響圏とルール圏」『社会学入門』岩波新書)。

見田宗介は、ここを原的な出発点としながら、次に、1を「関係のユートピア」の方向に、そして2を「関係のルール」の方向として展開し、理論設計の第一次的な様相を「<関係のユートピア・間・関係のルール>」として取り出してゆく。

ここでは、これ以上、この理論設計には踏み込まないけれど、じぶんと他者との関係の「あり方」をかんがえていく際にも、このように<他者の両義性>の原的な地点を出発点とすることは、とても大切なことであると、ぼくはかんがえる。

少なくとも、ぼくたちは、「すべての他者」たちと、<関係のユートピア>をつくるわけではないことが、シンプルに理解できる。

 

もう一歩、見田宗介の「言葉」を取り上げておくならば、「<関係のユートピア・間・関係のルール>」における、他者との関わり方は、次のように表現されている。

それは、

<交歓する他者>and/or<尊重する他者>

である。

つまり、「関係のユートピア」においては、他者たちは<交歓>する他者たちである。

また、「関係のルール」においては、他者たちは<尊重>する他者たちである。

このように、<他者の両義性>に、それぞれ対応する他者たちである。

 

じぶんが生きていくということにおいても、人は「関係のユートピア」を築き、他者たちと<交歓>する関係をつくってゆくことができるとともに、そうではない他者たちとの関係においては、<尊重>という仕方で関係を築いてゆくことができる。

このことは言われてみれば「あたりまえ」のことだけれど、ぼくたちはときに、「他者との関係のあり方」を一括りにかんがえようとしてしまう。

だから、<他者の両義性>を出発点としながら、他者との関係のあり方をかんがえてゆくことが、とても大切になると、ぼくはかんがえる。

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ニュージーランドで、雨の中を、歩く。- 「徒歩旅行者」にとっての<雨>。

ここ香港は、近くに到来した台風の影響もあり、雨が降り注いでいる。

ここ香港は、近くに到来した台風の影響もあり、雨が降り注いでいる。

ときおり、激しさを増しながら、香港の大地と海に雨粒を落としている。

先月(2018年5月)後半には、香港の一部の貯水池が干上がってしまっていたことをかんがえると、恵みの雨である。

 

香港で雨が降り注ぐなかで、「ニュージーランドでの徒歩旅行」を思い返していると、雨の中を歩いた記憶が、ぼくのなかにやってくる。

1996年、ニュージーランドで、ぼくはその北端から歩きはじめ、南下していた。

その大半の行路は、いわゆる「国道」で、車が真横を通り過ぎる「ハイウェイ」でもあった。

ときおり、前方にとまった車から、乗車の誘いと励ましという<やさしさ>をうけながら、ぼくは歩いていた。

ところが、ときに雨が降りおちてくると、そのなかを何時間も歩く身としては、とてもたいへんだ。

だから、朝起きて、テントを出て空を眺めることが日課になる。

雨がおちてくるときは、バックパックにカバーをかぶせ、レインジャケットを着る。

途中ゆっくり休むこともできず、雨の中を歩いてゆく。

やがて、雨がレインジャケットを通過して、ぼくの皮膚にまで浸潤してくる。

ぼくは、じぶんに負けそうになりながら、でも雨の中を歩いてゆく。

 

徒歩旅行者にとって、「雨」は、ひとつの恐怖でもある。

宮沢賢治『春と修羅』における「小岩井農場」を分析するなかで、天沢退二郎は「雨のオブセッション(強迫観念)」を見て取っていることに、社会学者の見田宗介は注目している。

「よるべない土地をひとり行く徒歩旅行者」にとって、「いちめん降りおちてくる雨は…じつに全体的なるものそのものの圧倒的な浸潤であり、…やがて全身をそれら「全体」の無言の言葉のむれに浸しつくされざるをえない」と、天沢は徒歩旅行者にとっての「雨の恐怖」をとりあげている(見田宗介『宮沢賢治』岩波書店)。

見田宗介は、さらに「雨」がもつ両義性として、雨が恐怖であると同時にまた、ぼくたちを解き放つものであることを、「小岩井農場」における宮沢賢治の歩行に見ている。

 

『小岩井農場』の歩行において、賢治のじぶんにいいきかせるような否定断言にもかかわらず、…パート七ではもうすきとおる雨が降っていて、パート九では詩人はすでに全面的にこの雨に浸潤された風景を歩む。そしてこの雨に、詩人が何よりも恐れていたこの雨に浸潤されつくした空間の中ではじめて、詩人はこの歩行の旅で真に求めていたものを手に入れることができる。すなわちユリア、ペムペルと、<わたくしの遠いともだち>と出会うのだ…。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店、1983年

 

<雨>のもつ両義性は、<自我>の両義性の裏にほかならないことを、見田宗介は明晰にみてとり、つぎのように書いている。

 

…雨は詩人の自我をその彼方へ連れ去る全的で圧倒的な力の表徴に他ならなかった。そしてこのような<雨>の恐怖と驚異とは、宮沢賢治の、風景に浸潤されやすい自我、解体されやすい自我の不安と恍惚の、さかだちした影に他ならなかった。

見田宗介『宮沢賢治』岩波書店、1983年

 

思い起こすと、ぼくの歩行も(そして自我も)、この「両義性」のなかに投げこまれていたように、感じてくる。

雨の降りはじめは雨に抵抗する仕方で雨に対峙して歩いていたところ、やがて、いちめん降りおちてくる雨のなかに、じぶんがすっぽりと入りこんでしまっているところにきて、そんな抵抗感がほどけていく。

その風景と雨にとけこんでゆくような、そんな幻視をおぼえる。

 

いつもそうだった、ということではない。

一度は、雨のハイウェイを歩行しつづけて、やっとのことで街にぬけたとき、ぼくの体調がくずれかけたこともあった。

そんなとき、宮沢賢治の詩にあるように、「雨ニモマケヌ」身体を望んだりしたのだった。

 

なにはともあれ、<雨>の両義性のこと、また<自我>の両義性のこと、さらにはそんなことを教えてくれた見田宗介の著作群に出会ったのは、ぼくがニュージーランドから帰国してからのことであった。

ニュージーランドの国道を南下しているときは、「あの」幻視を身体で感じただけであり、この「あの」を幾分か言葉化するまでにはそこから数年がかかった。

でも言葉化以上に、「あの」体験がこの身体に刻みこまれたことが、ぼくにとっての徒歩旅行で得たことのひとつであったと、ぼくは思う。

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<n個の性>にひらかれた世界へ。- <みんなが違う>という方向性へののりこえ。

男女の「差別」をのりこえるとき、論理的に、二つの方向性があることを、社会学者の見田宗介は書いている。

男女の「差別」をのりこえるとき、論理的に、二つの方向性があることを、社会学者の見田宗介は書いている(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)。

ひとつは、「女(男)である前に、わたしは人間です」というように、<みんなが同じ>という方向性。

ひとつは、「女といっても一人一人違う、男も一人一人違う」というように、<みんなが違う>という方向性。

日本の社会は、ひとつめの方向性、つまり<みんなが同じ>という「同質化」の方向性を、社会を駆動する原理のひとつとして握りしめているようなところがあるけれど、時代の変遷のなかで、<みんなが違う>という方向性に、個人も社会も向かっている局面を、ぼくたちは見ることができる。

見田宗介自身は「異質なものの呼応と交響、というあり方」に惹かれるとし、<みんなが違う>ということに得心がいくという。

ぼくも、<みんなが違う>という方向に共鳴する。

 

見田宗介(真木悠介)は別の著書で、「自我の起原」を人間という形態をとる以前の地層にまで遡って探求するなかで、「性の起原」を扱っている。

進化生物学者のマーグリス(1938-2011)たちによると、「性」とは「二つ以上の源からの遺伝子が組み変わること」であること、また、脊椎動物の世界では性といえば自分たちの生殖に伴う性を考えがちだけれど「生きものの五つの大グループのうち四つまでは性と生殖は関係がない」ということに、見田宗介(真木悠介)は焦点をあわせながら、つぎのように書いている。

 

 男/女という2つの性しかないということが特異な形で、<n個の性>が一般型だと、マーグリス/セーガンはいう。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

<n個の性>ということは、性ということが無限にひらかれているということである。

もちろん、ぼくは、ここでいう一般型としての<n個の性>を、上述した<みんなが違う>ということの直接の根拠とするわけではない。

ただし、人間中心主義ではなく、ひろい眼(また、深い眼)で世界を見渡すと、生物学的な「男/女という2つの性」という見方は「あたりまえではない」こととして、立ち上がってくるのである。

 

見田宗介(真木悠介)の「自我の起原」の探求は、(その明晰で、緻密な論理展開をここでは一気に飛ばしてしまうけれど)その最後に、ぼくたちの<個体>の「非決定=脱根拠性」を見ている。

ぼくたちの<個体>は、その起原から見てくると、生成子(遺伝子)の再生産の機構として決定されてはいないし、それ自体自己目的化するようにも決定されてはいない。

 

…<個体>のテレオノミーは非一義的であり、重層的に非決定である。<私は何のために生きるか>という問いへの答えは、<個体>のこのような起原に由来する非決定=脱根拠性、あるいは重層・交錯根拠性のために、やがて人間の<文化>をとおしての選択が、ほとんど際限もないまでに多様であるように開かれている。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

この際限もないままの多様性のなかに、<みんなが違う>という方向性が、無限にひらかれてもいると、ぼくはかんがえる。

 

ところで、見田宗介は、「一人一人が違う」(<みんなが違う>)という言い方は依然として近代主義者的であるとし、「その都度に違う」という方向を指し示している。

見田宗介は「差異化は…個体のアイデンティティをも脱解する」(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)と書くにとどめ、議論が面白くなりすぎるからと、これ以上はこのポイントには触れていない。

しかし、別著『宮沢賢治』で、<わたくしといふ現象>としての自我の探求から、つぎのようにかんがえることができる。

<近代的自我>をそれがあたかも確固たる「モノ」のように、凝固した実体としてとらえるのではなく、「わたくしといふ現象」(宮沢賢治)として、つまり「その都度に違う」ように現象するものとして「自我」や「自己」をとらえると、脱解された個体のアイデンティティは<その都度に違う>である。

なお、作家である平野啓一郎が提唱する「分人主義」という見方も、<その都度に違う>という方向性に呼応している。

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「個」であるということの宿命。- 「自我の起原」の探求における「死の起原/性の起原」(真木悠介)。

宇宙物理学者フリーマン・ダイソンは、龍村仁のドキュメンタリー映画『地球交響曲第三番』の収録のインタビューを、生命の「多様性」の話から始め、話は「死」ということにつながっていった(龍村仁『魂の旅 地球交響曲第三番』角川ソフィア文庫)。

宇宙物理学者フリーマン・ダイソンは、龍村仁のドキュメンタリー映画『地球交響曲第三番』の収録のインタビューを、生命の「多様性」の話から始め、話は「死」ということにつながっていった(龍村仁『魂の旅 地球交響曲第三番』角川文庫)。

収録の直前に、フリーマンと龍村の共通の友人であり、この映画に出演予定であった写真家の星野道夫を失ったばかりであった。

そのインタビューのポイントをつかみながら、龍村仁はつぎのように書いている。

 

 三十五億年の昔、この地球に初めての生命が誕生した頃、「死」はまだ生命システムの中に組み込まれていなかった。原初生命体は分裂増殖を繰り返すだけで、必ず死ぬ、と定められていたわけではなかった。誕生したものは必ず死ぬ、という仕組みが生命システムの中にプログラムされたのは、性が誕生した時からだ。…

龍村仁『魂の旅 地球交響曲第三番』角川文庫

 

ぼくたちの日常意識においては、「生きるものは死すもの」という考え方が「ふつう」である。

しかし、フリーマンが語るように、原初生命体は分裂増殖を繰り返すだけであった。

「自我の起原」を人間という形態をとる以前の地層にまで遡って探求した社会学者の真木悠介は、「死の起原/性の起原」という節を立てて、このことを、つぎのように書いている。

 

 多細胞「個体」という存在の顕著な特質は、必ず死ぬ存在であるということである。単細胞生物は死なない。死ぬこともあるが、われわれのように<不可避の死>というものをもたない。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

「必ず死ぬ」ということは、たんに生きているからということだけでなく、多細胞「個体」として生きているからである。

真木悠介は、進化生物学者リチャード・ドーキンスの言う「ボトルネック化」にふれながら、多細胞個体は、「単細胞」の生殖子という「細い糸」をとおして次世代につながってゆくこと、そして、多細胞個体は、「ノアの方舟のようにただ1艘というわけではないが、…生成子(遺伝子)のひとそろえを乗客とする小さな舟たちを発進させて自分は死んでいく」と、書いている。

ドーキンスによれば、多細胞個体は、こうすることで、複雑な適応を進化させることができる。

フリーマンが語るように、原初生命体に「死」はなかったけれど、進化の過程で、多細胞「個体」という仕方で、生命体は複雑な適応をしてゆくことへと、ひらかれていく。

 

そして、インフルエンザ・ウィルスの「新型」のように、微生物は絶えず遺伝子の組み替えを行なっているのに対し、多細胞「個体」は遺伝子の組み替えを、自由にすることはできない。

この不自由さの代わりに、多細胞「個体」には「性という革命」がある、つまり「性によって命を革(あらた)める」のだと、真木悠介は論をすすめてゆく。

 

 われわれの個体の「自己」のアイデンティティは、生成子の交換を生殖の時だけに限定することをとおして、成立する。…
 性という<革命>のかたちをとおして、個体の立場からみれば、死は真に徹底した死となる。性のある者は、同じ遺伝子型の個体を決して残さない。…われわれが性の存在であるということは、完全に死すべき存在であるということだ。生成子の転生=再身体化 reincarnationの永遠の旅は、この個体の徹底した死をとおして貫徹する。そして個体は、くりかえしのない真に一回限りの生として、「個」として確立する。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

誕生したものが必ず死ぬのは「性」が誕生したときだという、フリーマンの語りが、ここで真木悠介の語りとつながってくる。

「性」という革命で、「個体」はいずれ死んでゆく。

しかしそのことを生成子たちの立場からみるのであれば、それぞれの「個体」を<のりもの>としながら、「性という革命」を通じて、永遠の旅をつづけてゆくことになる。

真木悠介は、「死の起原/性の起原」という節を、つぎのように閉じている。

 

 死すべきものであるということは、生きているものであるということの宿命ではない。個であることの宿命である。とりわけ、性的な個であることの宿命である。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

文学作品や映画などにおいて、「死と性」は密接するものとして描かれたりするのに、ぼくたちはときおり出逢う。

それは単なる幻想ではなく、「死すべきものであるということは、性的な個であることの宿命である」ことからくる、人間の生の根源的な一面でもある。

 

「生きているものの宿命として死がある」という日常意識にとって、この認識は、ぼくたちの目を(ふたたび)見開かせてゆくものである。

その視点から、「個」であること、また「性的な個」であること、という、ぼくたちにとっての「あたりまえ」ことが、「あたりまえではない」ものとして立ち上がってくる。

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「個体」という、ぼくたちの存在の仕方。- 「生成子たちの永劫の転生の旅の一期の宿」(真木悠介)。

社会学者の真木悠介が「自我の起原、われわれの<自己>という存在の仕方の起原を、人間という形態をとる以前の地層にまで遡って追求」した書物、『自我の起原』(岩波書店、1993年)は、真木悠介自身が書くように「分類の仕様のない書物」である。

社会学者の真木悠介が「自我の起原、われわれの<自己>という存在の仕方の起原を、人間という形態をとる以前の地層にまで遡って追求」した書物、『自我の起原』(岩波書店、1993年)は、真木悠介自身が書くように「分類の仕様のない書物」である。

この名著が<名著>としてより語られるようになるのは、おそらく、まだ先の時代のことであると思う。

そのくらいに、時間を超えて読み継がれてゆく書物であると、ぼくは思う。

 

この書物の最初は、これまでのオーソドックスな生物学の知見にふれながら、しかし、ぼくたちがじぶんをみる<見方>を変えてしまう。

「まとめ」にあたる章で、真木悠介はつぎのように書いている。

 

…われわれの<個体>という存在仕方は、生成子たちの永劫の転生の旅(eternal caravan of reincarnation)の一期の宿として、そして幾十万という生成子たちがそこに来会し集住する共生態として派生してきた。個体は共生系である。われわれの身体はこの共生する生成子たちの再生産によりふさわしい仕方で、幾億年来たゆみなく進化してきた。

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

ここで「生成子」とは「遺伝子」(gene)のことである。

真木悠介は「遺伝子」ではなく、その原義に近い「生成子」という言葉を意図的に使っている。

 

「遺伝子」とはgeneに対して、個体中心主義的なドグマから翻訳された日本語である…。つまり個体の何かの形質を次世代の個体に遺し伝える「ための」メディアという考え方だ。…

真木悠介『自我の起原』岩波書店、1993年

 

ぼくたちの「個体」からの視点ではなく、「gene」の側からの視点で見ると、ぼくたちの「個体」は、いわば「のりもの」である。

真木悠介が、カルロス・サンタナのアルバム『キャラバンサライ』の第1曲「転生の永遠のキャラバン」という曲名を採用して、「生成子たちの永劫の転生の旅」(eternal caravan of reincarnation)というように、<個体>の存在仕方を書くとき、個体中心主義的なドグマからはなれ、生成子(gene)という視点からみたときの<世界観>である。

ぼくたちの身体を「一期の宿」としながら、生成子たちは、はるか昔から今へ、「永劫の転生の旅」をつづけてきたのである。

「転生」(reincarnation)ということが、ぼくたちの「個体」や「自己」ではなく、その「生成子」に拠って立つとき、それは生物学的な「真実」として、ぼくたちに開示される。

 

このことはそれだけでもほんとうに目を見開かせることなのだけれど、ぼくたちはこの「かけがえのない個」に執着しがちだからか、そのような驚きや感動を減じてしまうようなところがあるのかもしれない。

ぼくたちひとりひとりの「個体」という「一期の宿」には、太古からひきつがれてきたものが、生きている。

この視点に立つと、写真家の星野道夫とドキュメンタリー映画監督の龍村仁が、「ぼくたちの中に眠っている五千年、一万年の記憶が蘇るような映画にしたいね」と、映画「地球交響曲 第三番」について語るとき(龍村仁『魂の旅 地球交響曲第三番』角川文庫)、それはある意味において「根拠」のないことではないこととして、立ち上がってくる。

生成子たちの視点から見れば、そこには太古からの叡智が結集されている。

ぼくたちの中に「眠っている」という言い方は「個体」を中心とした見方であり、生成子たちの視点からは、眠っているのではなく、生きているのである。

 

生成子たちの視点から見える<世界>は、こうして、ぼくたちの「個体」が見る世界を、「あたりまえではないもの」として、一気にひらいていく。

この感覚はぼくにとって、とても不思議なものだ。

でも、ぼくのなかに、太古からの叡智が生きているのだと感じることは、「なにがあっても大丈夫」という感覚を、ぼくに与えてもくれる。

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マズロー「欲求の5段階」理論を呼びよせる「力学」。- なぜ、マズローが一般的によく語られ、根拠とされるのか。

心理学者マズローの「欲求の5段階」理論、つまり、「生理的欲求→安全の欲求→所属と愛情の欲求→尊敬の欲求→自己実現の欲求」というように低次の欲求から高次の欲求へと段階づける理論は、いろいろな著書や記事やコメントなどを見ていると、今でもよく引用され、またときに展開される議論や論理の根拠とされたりするのを見つけたりする。

心理学者マズローの「欲求の5段階」理論、つまり、「生理的欲求→安全の欲求→所属と愛情の欲求→尊敬の欲求→自己実現の欲求」というように低次の欲求から高次の欲求へと段階づける理論は、いろいろな著書や記事やコメントなどを見ていると、今でもよく引用され、またときに展開される議論や論理の根拠とされたりするのを見つけたりする。

心理学者の理論のなかで、これだけよく参照される理論と心理学者も、それほど多くないのではないかとも、思う。

マズローの理論は、「なんとなくわかったような気がしてしまう」ものであるけれど、いろいろと批判にさらされてきた理論でもある。

ぼくの立てる問いは、さまざまな批判などにもかかわらず、それでも、なぜマズローの理論(厳密にはマズローの「通俗化」された理論)が一般的によく語られ、「信じ」られ、あるいは根拠とされるのか、ということである。

 

社会学者の見田宗介は、『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)において、人間の行為を規定するような「価値判断の<底>にあるもの」として、「欲求性向の構造と起源」を探求している。

心理学や隣接科学の歴史から、ただ一つの「基本的欲求」からすべてを説明しようとするものと、ときには40ないし100もの項目からなる欲求リストを提示するものを見ながら、これらのアプローチから一歩すすんでいく試みとして、マズローなどの欲求の分類が出てきたことを、見田宗介はまず振り返る。

そのうえで、マズローなどの発想の共通点として、欲求を「生理的ないし生得的な欲求」と「文化的ないし習得的な欲求」とに二分する考え方であるとして、位置づけている。

このように、「生理的欲求と文化的欲求」というように二分する考え方には、つぎのような二つの基本的な仮説(前提)をもつと、見田宗介は書いている。

 

(1)生理的欲求は、歴史的(系統発生的)にも発達史的(個体発生的)にも、原初的ないし第一次的な欲求であり、文化的欲求は派生的ないし第二次的な欲求である。
(2)生理的欲求はまた、その動因としてのつよさ、切実性あるいは優先性の点においても、基本的ないし第一次的な欲求であり、文化的欲求は派生的ないし第二次的な欲求である。

このような考え方は、「衣食足って礼節を知る」あるいは、「花よりダンゴ」という俗説に支持されており、…マスロウの仮説も同様である。

見田宗介『価値意識の理論』弘文堂、1966年

 

このように「欲求論における二分法」という考え方を括りだしながら、この二分法がつぎのように大別して三つの点から多くの批判にさらされていることを、整理している。

 

(1)「基本的仮説」の第二にたいする反証…すなわち、いわゆる「二次的」欲求の方がかあえって強力かつ切実な動因となるばあいも多いということ。
(2)人間においてはいわゆる「生理的欲求」でさえ、社会的・文化的要因によって深く浸透されており、この意味で純粋に「生理的」欲求を区分してとりだすことが、ほとんど不可能であるということ。
(3)そして最後に、このような二分法図式自体が、方法論的に「役に立たない」あるいは「無意味だ」とする主張である。

見田宗介『価値意識の理論』弘文堂、1966年

 

さまざまな研究と参照文献を縦横無尽に分析しながら、見田宗介は、欲求における二分法的な考え方(生理的要因と文化的要因)は、上述のような難点にもかかわらず、「欲求性向の構造と起源」ということの探求において、また「構造論的・発生論的な諸仮説の源泉」として、一定の役割を果たす、というところにとどめている。

 

これは社会学者である見田宗介の整理であるけれども、論理的に見ていくと、マズローの理論はやはりそのままでは根拠となるものではなく、ひとつの参照としての位置づけであるように思われる。

そこで、最初に挙げた問いが、ふたたびやってくる。

さまざまな批判などにもかかわらず、それでも、なぜマズローの理論(厳密にはマズローの「通俗化」された理論)が一般的によく語られ、「信じ」られ、あるいは根拠とされるのか。

 

考えられることとしては、第1に、欲求の二分法的な考え方が前提とする仮説が、俗説として、受け入れられやすいということがある。

見田宗介が挙げたように、「衣食足って礼節を知る」あるいは「花よりダンゴ」という俗説、そしてそれらの考え方を支える<感覚>が、日々、この世界で生きられているからである。

この意味において、マズローの理論は一般的に「わかりやすい」のである。

それは「理解」としても「わかりやすい」ものであり、また「感覚」としても「わかりやすい」ものである。

 

それから、第2に、最も高い次元として「自己実現」が掲げられていることである。

「自己実現」ということが言われるようになった/なってきた時代が、そこに合致しそうな論理と理論を呼び寄せたようなところがあると、ぼくは思う。

心理学者の河合隼雄はかつて、「自己実現」ということが一般化されるなかで、負の側面や誤解が生まれてきていた状況を指摘していたが、「自己実現」ということの一般化された見方が、マズローの一見すると「わかりやすい」理論と合わさるような仕方で、一般に受け入れられるようなところがあるのではないかと、ぼくは推測する。

そのような時代の背景には、「個人主義」が行き着いた社会と人のあり様が重なっている。

 

第3に、第1と第2の理由をベースとして、書く側・語る側としても「使いやすい」理論であろうことである。

「使いやすい」ということは、「わかりやすい」ということと共に、「受け取られやすい」ということでもある。

 

このような社会と人の「力学」のうちに、マズローの「欲求の5段階」理論(「自己実現理論」)が呼び寄せられてきたように、ぼくには見える。

とはいえ、すべてが否定されるべきものではないし、思考のプロセスのうえで視点を与えてくれるものでもある。

そしてなによりも、上で見てきたように、多くの人たちが「呼び寄せたくなる」理論という側面に、人と社会を逆照射する視点があぶりだされる。

このような「力学」のうちに、ぼくたちが生きている世界を<視る>ことができる。

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「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima

文系と理系の境界を自由に越境して。- 真木悠介の<分類の仕様のない書物>に導かれて。

「分析理性」のもとに、そして社会の要請のもとに、専門性を細分化しつづけてきた科学がもたらした「光」はとても大きいものでありながら、極度に細分化された科学がもたらした「闇」も大きい。

「分析理性」のもとに、そして社会の要請のもとに、専門性を細分化しつづけてきた科学がもたらした「光」はとても大きいものでありながら、極度に細分化された科学がもたらした「闇」も大きい。

文系/理系という「境界線」も、学校教育制度のなかで学ぶものたちにとっては「あたりまえ」のこととして、受け入れ、選択し、文系/理系という「枠」に合わせてじぶんを成形し、そこに「将来」の道をつくりながらすすんでいく。

社会のさまざまな状況のなかで、今でも、「文系/理系」ということが議論の前線にもちだされる。

そのような「議論の前線」にふみこむことはしないけれど、文系/理系の境界線を超える経験のひとつを書きたい。

 

「文系」の大学に入って外国語(中国語)を学びながら、実践としてぼくは「旅」を方法としていた。

旅の豊饒さにひらかれると同時に、ぼくの「好奇心」もひらかれ、ぼくは社会学者である「見田宗介=真木悠介」の著作に出会うことになる。

大学生活における折り返し地点を折り返してからのことである。

 

見田宗介=真木悠介の著作を一冊一冊読んでいくなかで、なかなか手が出せない一冊があった。

『自我の起原』(岩波書店、1993年)である。

なかなか手が出せない理由のひとつに、その副題「愛とエゴイズムの動物社会学」に付された「動物社会学」という言葉があった。

その言葉は、動物「社会学」というよりも、「動物」社会学のように聞こえ、生物学の領域の「境界線」がぼくの前に引かれたのだ。

生物学という理系の響きに、ぼくは躊躇してしまったのである。

紀伊国屋書店の新宿店で、ぼくは本を手にとって、目次や構成などを目にすると、やはり生物学の記載が見られ、なおさら躊躇してしまうことになる。

 

それでも、ぼくを突き動かしたのは、著者が見田宗介=真木悠介という人であったことであり、そしてまた、副題の「愛とエゴイズム」であった。

小さい頃から、ぼくの思考の中を旋回し続けてきた「愛とエゴイズム」という問題を、ぼくはやはり追求してみたくなったのだ。

見田宗介は、社会学の特徴として「越境する知」であること(つまり領域横断的であること)を別のところで書いているけれど、それは「越境」が目的なのではなく、問題を追求してゆくうえで、やむにやまれず、専門領域を<越境>せざるを得ないということである。

「愛とエゴイズム」という問題を追求してゆくうえで、真木悠介=見田宗介は「生物社会学」などの知見も取り入れていかざるを得なかった。

 

…生物社会学的な水準の自我の探求は、この重層する自我の規定の、1つの基底的な位相を明確にしておこうとするものにすぎない。
 けれども<自我>という現象のさまざまな契機ー個体であること.「主体」であること.自己意識.「かけがえのなさ」の感覚.等々ーの原初の起原を、生命の形態展開 evolutionの系譜の内に明確に同定しておくことは、現在に至るわれわれの「自己」という現象の本質と存立の機制を明晰に掌握する上で、不可欠の理論的予備作業である。

真木悠介「補論1<自我の比較社会学>ノート」『自我の起原』岩波書店、1993年

 

こうして、真木悠介自身も書いているとおり、著書『自我の起原』は<分類の仕様のない書物>として、世に放たれることになった。

この書物では、カルロス・サンタナも、進化生物学者リチャード・ドーキンスも、宮沢賢治も、<自我の起原>を探求する旅程に、ぼくたちの前に現れることになる。

「愛とエゴイズム」という問題の探求の内に、文系/理系という「境界」はもとより、さまざまな「境界」となる「分類」も、消失しながら、この名著はつくられたのだ。

 

この書物と学びの経験は、当時のぼくにとっても、そして今のぼくにとっても、圧倒的なものである。

文系/理系ということの内にじぶんなりに引いてしまっていた「/」という境界線を、じぶんの意識としては乗り越えたときでもあった。

専門領域を尊重しないわけではない。

 

けれども、この書物で真木悠介の言葉や理論や論理に導かれるようにして、「自我」や「愛とエゴイズム」などにかんする思考の旅をしながら、ぼくは、圧倒的な「自由さ」を感じることになった。

なぜなら、この書物を読んだ世紀の変わり目の頃も、そして今世紀も、ぼくたちの前には、専門領域を超えるようにしてしか(おそらく)探求できない問題・課題がいっぱいだからである。

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日本, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 日本, 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

「25秒早く出発した日本の電車」のニュースを、日本の外から見て。- 「時間の比較社会学」(真木悠介)の視点と共に。

先日BBCのアプリでニュースを読んでいたら、「Japanese train departs 25 second early - again」(BBC News)という見出しの記事に出くわした。

先日BBCのアプリでニュースを読んでいたら、「Japanese train departs 25 second early - again」(BBC News)という見出しの記事に出くわした。

日本の鉄道会社が、電車が25秒早く駅を出発したこと(数ヶ月の内に同様のケースとして2件目)について謝罪したというニュースだ。

記事に書かれているとおり、電車が(極度に)時間通りに運行されることにおいて、日本の列車は高い評価を得ている。

しかし、25秒というように秒刻みで動く社会の「ニュース性」ということが、日本という社会の特異性を示してもいる。

日本に住んでいると、そのような電車があたかも「あたりまえ」のように生活する一方で、ひとたび、日本の外に出ると、そのことが「あたりまえではないこと」として、見えてくる。

アジアのいろいろなところを旅し、ぼくはこれら双方の視点で、「時間」をかんがえてきた。

 

社会学者の真木悠介(=見田宗介)は、1970年代にメキシコに住んでいた折に、日本で電車が1時間ほどおくれたことから暴動がおきたことを報じるメキシコの新聞を見て、次のように書いている。

 

…それは必ずしも先天的な「民族性」云々の問題ではなく、「みんな生活がかかっている」のだ。精緻なシステムの破綻するときに一挙に裂け目を噴出するそのエネルギーは、分刻みに追われる時間に生活がかけられている社会構造が、平常はみえないところに抑制し、たくわえられているいらだちの情動のようなもののすごさを思い知らされる。「1日に2度とおる」というバスを朝から待つようなくらしの中で、“緊急用件”の無限連鎖のシステムとしての<近代>のうわさがとおい狂気のように伝わってくる。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

日本における「時間どおり」はとてもすごいものだと思う一方で、さすがに、「25秒」に「みんなの生活がかかっている」システムと生活は行き過ぎだと、日本の外にいながら、ぼくは見つめる。

海外に駐在する駐在員の人たちが「ぶつかる」問題に、出勤などにおける「時間」の問題があるけれど、その問題の詳細はさておき、「時間感覚」の違いが、このようなニュースにも見てとれるように思う。

 

真木悠介は、日本とメキシコの「間」に置かれながら、時間はたんに費用(コスト)にすぎない<近代>の世界と、メキシコなどのいなかの市場で売り手と買い手のはてしないかけひきに1日を暮らす人たちの世界をかんがえている。

 

…インディオたちにとって、時間はどんな時間でもそれ自体人生であるようにみえる。バスを待つ時間は近代人にとって、最小限にきりつめられるべき無意味な余白か、本をよむこと(doing!)などに有効に活用されるべき資源だ。インディオたちはどんな時間も等価に充実していることを知っているから、待つときは待つことのうちに現実に存在してしまう。彼らが関心をもっているのは時間を活用することではなく、時間を生きることだ。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

どちらがよい・悪いということではなく、ぼくたちが「あたりまえ」としている日常を、「あたりまえではないこと」として照射する視点を投じている。

真木悠介はこの問題意識を熟成させながら、後年、名著『時間の比較社会学』を書いている。

近代がもたらした「光の巨大」を豊饒に享受しながら、近代の「闇の巨大」を乗り越えてゆくところに生き方をひらいていくうえで、とても大きな課題が提示されてもいる。

「時間」ということを通じて、現在と未来に目を向けることは、ぼくたちの「生きる」という経験の芯へと、ぼくたちを導いていく。

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「人間の生き方における究極の三次元」(C.W. モリス)にかんする真木悠介の考察。- 「生のあり方」をかんがえる視点。

社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。

社会学者である真木悠介の考察に、「プロメテウスとディオニソスーわれわれの「時」のきらめき」と題されたものがある。

そのタイトルだけではその内容が定かではないけれど、「交響するコミューン」というシリーズにおいて、1973年に誌上で連載され、そのシリーズの最後に書かれた文章である。

文章は名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)に収められ、この著書の最後におかれている。

ぼくたちの「生のあり方」を、ひとまず、全体像のなかにおさめる試みで、(短いけれど)深い考察に充ちた内容となっている。

 

文章は次のように書き始められている。

 

 われわれの日々の生活は、未来にある目標によって充実することもできるし、現在における交感によって充実することもできる。すなわちわれわれの<今、ここにある自分>の生は、その内に未来を抱くことで充たされることもできるし、他者(人びとや自然)を抱くことで充たされることもできる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

こう書き出してから、真木悠介は次のようにひとまず呼んでいる。

 

●「未来によって充たされる生のあり方」=「プロメテウス的な生」

●「他者によって充たされる生のあり方」=「ディオニソス的な生」

 

「プロメテウス」は文明の英雄(文明を構築する人類の、労働・生産・創造・前進の英雄)であり、「ディオニソス」は反文明の英雄(人間と神・自然、人間と人間を和解させるイメージ)である。

ここで真木悠介は、C.W.モリスによる比較研究(キリスト、ブッダ、マホメッド、孔子、老・荘、エピクロス、ストア派、アポロン・ディオニソス・プロメテウスの神話等々の比較研究)をとおして導きだされた「人間の生き方における究極の三次元」にふれ、次の3つの要因について書いている(※前掲書より)。

 

(1)プロメテウス要因(創造・生産・克服・支配・変革・活動・努力・労働など)

(2)ディオニソス要因(交感・融合・共感・愛・連帯・集団的享受・感受性など)

(3)ブッダ要因(解脱・超越・瞑想・自己認識・自己統一性など)

 

これらの3つの要因が「円」をつくるようにして描かれ、互いに影響し、均衡をとっている(本書ではさらにその他の「原理」も複合的に描かれているけれど、ここでは省略する)。

 

 私自身の志向するところはもちろん、一つの社会の内部においても、一つの集団の内においても、一人の生涯のうちにおいても、プロメテウス的、ディオニソス的、ブッダ的な生を、相互に増幅し徹底化する交響性として実現することにある。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

真木悠介はそのように「生のあり方」のイメージを語ったうえで、具体的な形態については、あらかじめプログラムされるべきものではなく、そのつどに創出するものとしている。

 

『気流の鳴る音』の本編とは別の章で展開される文書ということもあって、ぼくはあまり深くは読んでこなかった文章でもあるけれど、よく読んでみると、「生のあり方」の本質にするどくきりこんでいる考察でもあることに気づく。

「ではどうすればいいの?」と方法ばかりを他者に依存する人たちにとっては、上述のとおり「具体的な形態」は語られていないから、物足りなさが残るかもしれない。

しかし、「具体的な形態」は、ぼくたちひとりひとりに託されていることである。

「プログラム化された方法」は、ぼくたちを狭い方法と生のあり方に閉じ込めてしまうだろう。

 

20世紀は「プロメテウス要因」が、社会や集団や個人の生を牽引してきた時代であった。

ディオニソス要因とブッダ要因に照らされた活動や人びとの生が、あらゆるところに現出しながら、これからの時代の方向性をつくろうとしているように、ぼくには見える。

これからの開かれてゆく社会とひとりひとりの生のなかで、3つの要因が「相互に増幅し徹底化する交響性」として実現される方向に、「生のあり方」をかんがえてみることができる。

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「虚構の時代」の深まっていく時代に。- 「次にくる時代」をいま生きる方向へ舵をとる。

社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った。

🤳 by Jun Nakajima

 

社会学者の見田宗介は、今ではよく知られる論考において、1945年以降における日本の現代社会史を、「現実」に対する3つの反対語(現実と理想、現実と夢、現実と虚構)にふれながら、また日本の「高度成長期」とも絡めながら、3つの時期の特徴を語った(見田宗介『社会学入門』岩波新書、2006年)。

 

  1. 「理想」の時代:人びとが<理想>に生きようとした時代(1945年~1960年頃:プレ高度成長期)

  2. 「夢」の時代:人びとが<夢>に生きようとした時代(1960年~1970年前半:高度成長期)

  3. 「虚構」の時代:人びとが<虚構>に生きようとした時代(1970年後半:ポスト高度成長期)

 

この区分と特徴をぼくが知ったのは2000年頃のことであったけれど、それは「眼」を見開かせるような経験であった。

どのような時代を超え、そしてぼくはどのような時代に生きているのかを知るだけでも、ぼくにとっての「世界の見え方」はおどろくほどに変わり、「世界の出来事」を視る眼も変わった。

 

見田宗介は、この論文を書いた1991年以後、「虚構の時代」の後にくる時代についてよく聞かれることになる。

 

「バーチャルの時代」というふうに僕も言ったことがありますが、それは結局、虚構の時代の延長なのです。虚構の時代がもっと深まって居直っただけであって、結局、高度成長期の前と真ん中と後ということだと思います。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に行われた講演会の質疑応答で、見田宗介はこのように、「虚構の時代の後」を語っている。

 

そうすると、この「虚構の時代」の深まっていく形は、どこまで続いてゆくのだろう、という疑問が、おそらく次に立てられるかもしれない。

ここで、見田宗介が別に展開する太い線、つまり、人類の人口増加率と社会の推移を視野にいれることになる。

見田宗介は、人口増加率の観点から、人類は「第II期:高度成長」から「第Ⅲ期:安定平衡」の時期に入らなければいけない時代にきていることにふれながら、上述の講演での質疑応答で、続けて次のように語っている。

 

…人類の全体の人口の増加率を見ると、もうすでに第Ⅲの時期に入らなければいけない時代にきているけれど、第Ⅱ期の高度成長をいつまでも続けよう、また高度成長を復活させようなんていう政治家とかまだいますからね。そうすると人気が出たりする。そういうメンタリティーとか社会システムが非常に力強くまだ働き続けているものだから、環境限界に達した後、実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ないのです。欲望を作り出すとか、フィクションの世界で無限に商品を売るとかね。
 そうすると、本当に第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむという時代が来るまでは虚構の時代であらざるを得ないと思うんです。…第Ⅱ期が終わった後の第Ⅲ期がはじまるまでのいわば中間であって、無理やりに第Ⅱ期的な高度成長を続けようと思えば、虚構の時代にならざるを得ない。…

見田宗介『現代社会はどこに向かうかー≪生きるリアリティの崩壊と再生≫ー』弦書房、2012年

 

2010年に語られた内容だけれど、ますます、現代の社会の状況を照らし出す明晰な分析と理解を、ここに見てとることができる。

無理やりに高度成長を続けていこうとする/復活させるような時代において、「虚構の時代」が要請されてしまうなかに、ぼくたちはいる。

「実態ではないもので無理やり高度成長させようと思うとフィクションにならざるを得ない」と見田宗介が語るように、そのような現実の現象が、社会のあらゆるところで見られる。

情報通信技術がそこに重なりながら、「フィクション」はますますフィクション性を強め、巧妙になってきているなかで、「虚構の時代」はますます深まっている。

 

そのような時代にあって、時代を見晴るかす視点をもち、時代に垂直に立ち、そして「第Ⅲ期の充実した明るい現在を、そういうものとして人々が楽しむ時代」を現実に生きながら、きりひらいてゆくところに、ぼくは照準を定めている。

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<話合い>と<感覚>という「共同性の存立の二つの様式」(真木悠介)。- 「交響するコミューン」というモチーフ。

社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。

社会学者である真木悠介の名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)は、生きていく過程で、じぶんのなかで問い、じぶんの経験に問われ、そうして生成していくような「根本的な問題」に充ちている。

そのような根本的な問題を明晰に提示し、ぼくたちの「生きる」ことのなかに種をまくように言葉を届けてくれることが、この「分類の仕様のない本」を名著にしている。

 

そのような根本的な問題として、<集団のあり方>の二つの様式・契機ということが、提起されている。

真木悠介は、「人間の個体性と共同性の弁証法の問題」として、問題を提起している。

現代において、時代の大きな過渡期のなかで、いろいろな集団や組織などがつくられ、運営され、試みられているなかで、この根本的な問題を認識しておくことは、とても大切なことであるように、ぼくは思う。

 

真木悠介が当時、実際に訪れたりして体験した集団として、「山岸会」と「紫陽花邑」という、二つの集団が取り上げられている。

山岸会の仕事をしていた野本三吉さんという方に、東京の若い施設員の方が、ある身心に問題を抱えた人を山岸会で生かしてもらえないかと依頼したところ、野本さんは、山岸会ではなく奈良の紫陽花邑をすすめたという。

野本さんは、「山岸会は話合いだからだめだと思った」と後日語ったという。

エゴの強い人は山岸会にいくとほぐれるけれど、弱い人や病気の人は紫陽花邑の方が幸福になるという、野本さんの考え方であったという。

真木悠介は、ここに、根本的な問題をきりとる。

 

 「話合いだからだめだ」という野本さんの直感は、本質的な問題を提起していると思う。
 紫陽花邑のばあい、「感覚でスッと通じてしまう」と野本さんはいう。…この<話合い>と<感覚>という、共同性の存立の二つの様式、二つの契機の問題は、われわれのコミューン構想にとって、最も深い地層にまでその根を達する困難な問題をつきつけてくる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

これら二つの集団の「自己規定」は、対照的であるという。

山岸会は、<ニギリメシとモチ>ということが取り上げられ、ニギリメシのように一粒一粒のお米のように一人一人のエゴが残って相克や矛盾が起きないように、モチのような「一体社会」を目指すという。

それに対して、紫陽花邑は、紫陽花の花のように、ひとりひとりが花開かせることをとおして、自然と、集団としてのかがやきを発揮しようとするという。

 

 二つの集団の自己規定は対照的だ。すなわち集団としてのあり方を性格づけるにあたって、山岸会では一体性を、紫陽花邑では多様性をまずみずからの心として置く。
 しかもこのことは、…<話合い>ー<感覚>という、共同性の存立方式における対比と、逆立しているようにみえる。<感覚でスッと通じる>ということの方が、個我相互間の、ある直接的な通底を前提するのにたいして、<話合い>による「公意」への参画という、媒介された共同性の形式の仕方においては、より多く個々の成員の「多様性」を前提もし、またこれを再生産するように考えられる。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

共同性の存立方式における対比と、「逆立している」と、真木悠介は鋭く見て取っている。

大切なところなので、もう一度、まとめておくと、次のようになる。

 

●<話合い>の集団:「一体性」をめざす。→ 【成員の前提】個々の成員の「多様性」

●<感覚でスッと通じてしまう>集団:「多様性」をめざす。→ 【成員の前提】個我相互間の、ある直接的な通底

 

こうして、真木悠介は次のように文章を続けている。

 

 極限的な共同性(モチ!)をその理念とする集団が、まさにそれ故に、その現実の運動において、諸個体の個体性をより敏感に前提する方式をえらび、多様に開花する個体性(あじさい!)をその心とする集団が、まさにそのことにおいてある共同性を直接に存立せしめてしまう。あらゆるコミューンの実践にとって最も根本的な問題ー人間の個体性と共同性の弁証法の問題が、この逆説のうちに鋭く提起されている。

真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年

 

どちらの集団が良い悪いということではなく、「人間の個体性と共同性」をかんがえていくとき、また実際にコミューンや集団や組織をつくっていくときの「根本的な問題」として、だれもが、直面していくような、深い地層の問題である。

「多様性」ということがよく言われ、あるいは多様性に彩られた集団・組織(あじさい!)をつくることをめざす人たちが多い現代において、鋭い問題を提起してもいる。

『気流の鳴る音』の副題にある「交響するコミューン」を追い続けてきた真木悠介が、現代という時代のなかに「交響するコミューン」をうちたてようとするぼくたちの思考と実践に点火する「モチーフ」である。

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「自己批判の系譜」(見田宗介)というエッセイの視点。- 「じぶんをのりこえる」ということ。

人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。

人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。

その「とき」の前に、(世間的な観点において)「何か」を達成してきた人もいれば、とりわけ達成していない人もいる。

いずれにしても、ぼくは「のりこえてゆく」ことに関心がある。

その「のりこえ」のひとつの方法(また形態)として、「自己否定・自己批判」ということを踏み台にすることがある。

社会学者の見田宗介は「自己批判の系譜」という短いエッセイで、作家などの「系譜」にふれながら、この「のりこえ」について書いている。

 

系譜として挙げられている作家のひとりは、トルストイである。

『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などで知られるトルストイであるけれど、これらの作品を含め、彼の壮年期の作品を、トルストイは晩年になって否定した。

それから、与謝野晶子は『みだれ髪』など、若い頃の作品を忌み嫌っていったという。

でも、このように書き手じしんによって否定されてきた作品たちは、「古典」として長きにわたって読みつがれているように、読み手の心の奥深くに届くものである。

また、「自己否定・自己批判」のあとの作品たちが、その前の作品たちを超えるようなものであるかというと、そういうことでもない。

 

見田宗介は、これらに触れながら、次のように「視点」を提示している。

 

…このことは「自己否定」が必ずしもつねに全身的なものではないということを示す。
 しかし同時に、このようにたえず自己を否定してのりこえようとする資質、あるいは精神の緊張がもともとその人にあったからこそ、その「初期」のすぐれた作品もありえたのではなかっただろうか。
 …問題はどれだけ深い思想性をもって過去の自分を総括しのりこえ、その後どのような仕事をしているかということにあるだろう。「自己批判」とは最も悲惨な虚偽でもありうるし、最も偉大な跳躍でもありうるきわどい両義性の炎の中で、その人の資質を照らし出す行為である。

見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

この文章自体、見田宗介の若い日(30歳を超えた頃)の文章であり、それから50年近くを経過した今の地点から振り返るのであれば、この文章が書かれてから数年後に、見田宗介は「偉大な跳躍」へと突き抜けていき、ほんとうに大きな仕事をしている。

とはいえ、それまでの仕事を否定しきるという仕方ではなく、しかし、幾重にものりこえていく仕方によって跳躍している。

 

ところで、「自己否定」という言葉は、その表層だけではなく、一段降りて、その意味合いをひろいだしておくことが大切であると、ぼくは思う。

単純に「自己を否定する」というように語ると、人によっては、ただただネガティブな仕方で取り込んでしまうかもしれない。

 

まず第1に、「自己」とは、じぶんの存在すべてということではなく、じぶんのやり方であったりあり方ということである。

別の観点では、ここでの「自己」とは、言葉や観念でつくられている「社会的な自己」の行動や思考ということであるともいえると、思う。

 

それから第2に、「否定」ということは、やり方やあり方を違った視点で見て変えていくことであるけれど、その基軸は「正しい/正しくない」「良い/悪い」などではない。

そのような基軸で否定・批判していくこともあるだろうけれど、必ずしもそうではないし、それらの基軸をこえるようなところに<跳躍>がみられるようにも思う。

 

第3に、上述からもわかるように、「自己ー否定」は、必ずしも「じぶんが悪かった」という図式ではない(少なくともそのような図式には限られない)。

むしろ、「じぶん」を客観的にみつめることで「じぶん」を深いところで受け入れながら、「じぶんの軸」においてこれまでのやり方やあり方を深いところで変えていくときに、「きわどい両義性の炎のなか」で、跳躍への跳躍台を準備するものとなると、ぼくは思う。

 

跳躍台は、跳躍の先に(世間的に)大きな仕事をするかどうかを約束するものではないけれど、それは「じぶん」をきりひらいてゆくための、あるいはこれまでとは異なる世界に生きていくための、その足がかりとなる。

「自己否定」という言葉が表層につくりだすイメージを超えたところに、「じぶんをのりこえる」(あるいは「じぶんがのりこえられる」)ということの本質が現出してくるように思われる。

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「芸と人柄」(見田宗介)というエッセイの視点。- 評価の基軸としての「芸」と「人柄」。

「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。

「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。

スターの人気というものが、世代によって「選択の基準」そのものが異なるという現象を、ある放送局がおこなった調査から抽出している。

その調査によると、年配の層は、俳優や歌手をその「芸」を基軸として評価するのに対し、若い層は、スターの「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価しているということである。

当時の若い層は、歌や演技などの芸とは別に、歌手や俳優などが「どんな人」なのか、どのような「生き方」をしているのかということを知り、「人柄」における、かっこよさや率直さ、親しみやすさなどを、評価の軸としていたということである。

 

「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価される傾向は、1969年以降、そしてほぼ50年が経過した今も、変わることがないように思われる。

むしろ、情報技術の発展とともに、情報の窓が有名人たちのプライベートへとさらに深くさしこまれるなかで、その人物の全体性がさらに問われるようになってきている。

また、このことは有名人に限られたことではなく、ビジネスの分野でも同様の傾向がひろがり、「商品」だけではなく、会社や組織の「ブランド」の全体性が問われるようになっている。

 

見田宗介は当時、次のように分析的なコメントを書いている。

 

 古い時代のファンたちもスターの「人間」を問わぬわけではなかった。だがそれは、人生をかけた精進の結果としての「芸」にこそ結晶し、しぼりこまれて表現されるべきものであった。その生き方がホンモノかニセモノかを証す最終的決済が「芸」にほかならなかった。今や基準は逆転し、歌や演技がホンモノか否かを定める文脈として、大衆はスターの「人間」を問う。それはそもそも歌手や俳優が、その芸によって、自己の生き方の最終的な決済を大衆に問うというだけの、気迫の芸を失ったからかもしれない。

見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

今の時代の文脈のなかに、このコメントを落として視てみたとき、そこにはどのような風景が見えてくるだろうか。

歌や演劇などではないけれど今の時代において「職人技」が脚光をあびることの背景として、見田宗介が当時推測していたように、自己の生き方の結晶された「気迫の芸」がますます失われているのかもしれない。

だからこそ、「職人技」はぼくたちの心をうつ。

また、そのようにかんがえていると、歌や演技においても、生き方が凝縮されたような「気迫の芸」がやはり存在していることにも気づかされる。

そうして<芸ーーー人柄>という、それぞれを両端とする線分があるとして視てみると、その線分上にさまざまにプロットできるような仕方で、アーティストは存在している。

 

他方で、このようなスペクトラムを崩すような仕方で、のりこえていってしまうような人たちもいる。

例えば、生き方という<芸>を追求し、これまでの定義や固定観念を書き換えていく人たち。

そのような自由な<芸の人>たちが、世界の風景に、風穴をあけてゆく。

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時代の感性たちの交差。-「キンコン西野からのお願い」(西野亮廣)と「幸福への軟禁」(見田宗介)の交差するところ。

キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。

キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。

 

一応、連続ベストセラー作家なので、皆様ご存知の「印税」なるもものをいただいているのですが、貯蓄などはせず、税金をお支払いした上で、残りは全額投資しています。
「さすがに全額は嘘だろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、嘘ではなく(マジで全額)投資しています。

西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日

 

「投資」とは、いわゆる金銭的投資ではなく、スナックを作る、分業制で絵本を作る、Webサービスをたくさん作る、学校を作るなどのことで、「皆が楽しめる『場』」を作ること。

「お願い」とは、「食いっぱぐれた際は夜ご飯に連れてってください。高いお店は緊張するので苦手です。お蕎麦か、ガード下の焼き鳥屋とかでいいです」というお願いである。

 

西野亮廣のかんがえる「お金」はいわゆる貯金通帳の数字ではなく、<信用>ということであるから、そもそもの考え方が異なっており、表層的な貯蓄論で議論しても行き場のない議論になるだけである。

西野亮廣は次のように書いている。

 

…現代(貯信時代)における「貧乏」は貯金の有無ではないので、貯金がつくことはあまり大きな問題ではありません。
そんなことより、面白い方が重要です。

西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日

 

このような考え方がすんなりわかる人とわからない人では、生き方の方向性は大きく異なってくる。

貯蓄・貯金はもちろん、人それぞれのライフサイクルにおける出費をまかなうものでもあったりするから、貯蓄・貯金が良い悪いということではないけれども、生き方の方向性として、あるいは生き方のスタイルとして、西野亮廣のような思考と行動が、現代において生き方の可能性をひらいてくれていることは確かだ。

貯蓄・貯金そのものよりも、そこに埋め込まれた「心性」や「生き方」に光が照らし出されると、養老孟司が言うような「煮詰まった時代」という時代の閉塞性を突破するような思考と行動が増殖していくようにも思う。

 

今から50年程前の1969年、社会学者の見田宗介は新聞の連載で、「貯蓄する人生の心性」について、「幸福への軟禁」という短い文章を書いている。

 

 この貯蓄する人生はどのような心性を生み出すだろうか。一口でいえば、戦争と革命への恐怖である。なぜならそれらは、過去の労苦の凝結であると同時に未来の幸福の基盤でもある「貯蓄」を台無しにするからである。だから彼らは、いらいらしながらしかもぬけ出せないような、すわりのわるい幸福に軟禁されている。そしてこの進歩主義的保守感覚こそ、今日の日本社会の秩序を支える心の安定勢力である。

見田宗介「鶴とバリケード」『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年

 

見田宗介はその後の仕事で、一夜において革るような「革命」ではなく、<生き方の魅力性>という方法によって、ひとりひとりの生が歓びとともに解き放たれていく方向性を描き出してきた。

見田宗介は当時の時代状況のなかで「戦争と革命への恐怖」というように一口で表現しているけれど、西野亮廣の2017年の著作は『革命のファンファーレ』(幻冬舎)と題され、「革命」をつげる本である。

西野亮廣のいう「革命「は、「幸福への軟禁」をする者たちの(「恐れ」を土台とした)安定志向をこえて、信頼を基軸にしながら、ひたすら<面白い事・面白い場>に向けて突き抜けていくものである。

時代の感性たちが交差するところだ。

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「こんな生き方もあるんだ」という感覚。- 「自明性の罠」(見田宗介)をひらく。

アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。

アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。

いわゆる(狭義での)「情報」としては、ぼくたちは、「いろいろな生き方」があるということは知っている。

けれども、頭でわかっているだけで、「いろいろな生き方」を実感し、いろいろな生き方へとひらかれてゆくことは、それほど容易ではなかったりする。

「いろいろな生き方」をしている人たちが、じぶんの<実感として感じることのできる範囲>に現れることで、「いろいろな生き方」が、ぼくたち自身が自身のなかに仕掛ける<自明性の罠>(見田宗介)のなかに忍び込み、その罠をときほどいてゆく力を宿していく。

あくまでも、ぼくの経験上のことである。

 

アジアを旅しながら、ぼくはいろいろな「旅人」に出会ってきた。

1年以上の「年単位」で旅する旅人たちが存在することは、いろいろな本でも読めるし、情報としては知っている。

しかし、宿のドミトリーで、そんな人たちと会話をしていると、「いろいろな生き方があってもよい」という感覚が、ぼくの「あたりまえ」という<自明性の罠>に入り込んでゆく。

 

ニュージーランドに暮らしながら、そこでもいろいろな人たちに出会った。

アジアの国々から家族で移住してきた人たち、ニュージーランドで農場を営む人たち。

キャンプ場で出会った陽気な旅人たちは、イスラエルの兵士たちだと知る。

ぼくと同じように、ワーキングホリデー制度を利用して、「何か」を求めながら暮らしている日本の人たちなど。

 

西アフリカのシエラレオネでは、長い紛争が終わった後に、一生懸命に生活を立て直そうとする人たちがいた。

国連や国際NGOで働いている人たちも、いろいろな人たちで、シエラレオネという土地で、いろいろな人たちの人生が交差した。

世界の紛争地をかけめぐって支援をしている人たちもいる。

各国の軍隊や警察の人たちと、たまたま、このシエラレオネで出会う。

会う人たちそれぞれが、それぞれの「生き方」をもっていて、「生きる」ということが直線である必要もなく、いわば「物語」に充ちていることを知る。

 

「こんな生き方もあるんだ」という認識にひらかれる前は、ほんとうに狭い生き方の「枠」のなかに閉じ込められていたようで、ぼくはそれらをまるで「あたりまえこと」のようにして生きていた。

「あたりまえのこと」のような「現実」をつくっていたのは、(今思えば)ぼく自身であった(「ぼく」というのはひとつの<現象>であって、そのうちに、社会や世間などの他者の考えや声が入り込んでいるから、単純に「ぼく自身」と言い切れないところがあることは注記である)。

「あたりまえ」と勝手に思っていた社会やそこでの生き方から離れてみて、そしていろいろな人たちがぼくの半径○メートルという世界に現れて、ぼくのなかでの<自明性の罠>に亀裂が入っていったようだ。

 

シエラレオネの次に住んだ東ティモール。

こちらでも、長年にわたる紛争をのりこえてきた人たちに出会った。

一緒に働いたコーヒー生産者とその家族たちの「生き方」にも、どっぷりとつかった。

国連や国際NGOで働いている人たちの生きてきたルートもさまざまである。

 

それから、ここ香港。

ここはここで、多様性のある社会であり、家族の大切にされる社会である。

やはり、いろいろな人たちが、いろいろな生き方をしている。

 

ぼくは、このようにして、「こんな生き方もあるんだ」という感覚を、ぼくの<自明性の罠>からひらかれるようにして、ぼくのなかにつくりだしてきた。

このように、「生き方の幅」がひろがったことは、ぼくのなかで根拠のない自信も形成する。

なにがあっても大丈夫。

どのような人生のルートをとっていこうとも、どうにかなってゆく。

ぼくのなかに存在する他者たちも、ぼくにそう語りかけてくる。

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「喪われた全体性」への渇きと希求。- <近代・現代>社会を乗り越える地平からの、真木悠介の眼差し。

日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。

日本の神道の神社に行くと、そこは「清浄感」で満たされ、箒(ほうき)で玉砂利を掃き清められた、塵(ちり)一つ落ちていない空間に入っていくことができる。

しかし、本来の神社は、そうではなかったということが民俗学の研究によりわかってきたことを、民俗学者であった谷川健一の論考(「祭場と葬所」)にも触れながら、社会学者の真木悠介は語っている。

1977年に行われた花崎皐平との対談(「<心のある道>は勝ちうるか」)においてである。

 

…元々はお宮の中にお墓があったわけですね。祭り事をする部分と死者を葬る部分というのが抱き合わさって、その全体性がいわば聖なる場所だった。それは本来の土着信仰としての神道ですね。その土着の神道が次第にきたないもの、否定的なものー死んだ人間とかそういうものの処理を疎外して、仏教にゆだねるわけでしょう。そこで神道と仏教の二重信仰という、世界でも珍しい日本人の信仰が生れてくるわけですね。だから今でも葬式は仏教、お宮参りとか結婚式は神道、というのが普通ですね。

花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月

 

日本人の信仰において「神道と仏教の二重信仰」につながってゆく力線を、<きたないもの、否定的なものの疎外>という視点において、真木悠介は明晰にとらえている。

<きたないもの、否定的なものの疎外>の帰結としてある「二重信仰」を、(宗教を信仰していても、していなくても)生活の一部として生きている。

また、<きたないもの、否定的なものの疎外>という力学は、他人事ではない。

真木悠介は、じしんの中心的な問題関心でもある<近代の乗り越え>という地平から、このような「排除の構造」を現代社会のうちにみてとっているが、ここでも「神道と仏教の二重信仰」という事象のなかに、同じ構造を読み取っている。

 

 そういうふうに、土着の神道というものが次第にきたないもの、否定的なものを疎外していく過程と、神道が国家神道として民衆から疎外されて、あるいはみずからを疎外して民衆の上にそびえ立つという過程とが同じであるわけです。このことはじつは<近代>世界の、土着性からの自己疎外の過程、つまり、上昇の裏面としての自己抽象化ということと同じ構造をもつように思う。だから、喪われた全体性への渇きのようなものが、外見上は下降欲求として現れる。花崎さんが表層的には「ヒッピーになった」とうわさされたというようなことも、ぼくたちの時代の<自己解放>のとらざるをえないかたちとつながっているように思えます。…

花崎皐平・真木悠介「【対談】<心のある道>は勝ちうるか」『展望』第225号、1977年9月

 

<近代>世界は、このように、<きたないもの、否定的なものの排除>の上に、それらを別の仕方で抑え込みながら、成り立っている。

 

「排除の構造」について、真木悠介は見田宗介名で、日本の「都市」に、そのような排除の構造があることを指摘している。

1983年に日本に開園した東京ディズニーランドに関する、社会学者・吉見俊哉の分析を引きながら、ディズニーランドにおける「人口の空間の、徹底して外部を排除する自己完結性」が、現代の都市の凝縮されたモデルであることに触れている(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、および『社会学入門』岩波新書)。

例えば「渋谷」は、1970年以降の資本の展開において、「巨大な遊園地空間」として創られ、そこでは、かわいくないもの・きたいないもの・ダサいものが「排除される構造」をもってきたと分析されている。

おしゃれで、キレイな空間において排除されるような、土や汗や「きたない」仕事などは、消費という一連の流れにおける始点と末端でどうしても発生するものであるけれど、それらは、移民労働者やいわゆる発展途上国などの「見えにくい世界」に託されることになる。

 

見田宗介は、このような社会の構造について、後年(1996年)、『現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書)という名著に結実させてゆくことになる。

そこで目指されていたことのひとつは、この著書の刊行よりも20年前に行われた(上述の)対談にてふれられていた「喪われた全体性」への渇きをもつ世界というものを、「情報化・消費化社会」の闇の巨大と光の巨大をともに見晴るかしながら、いわば<全体性>のなかにおさめてゆくことであった。

そして「喪われた全体性」への渇きと希求は、社会のことであるばかりでなく、社会という関係の網の目をつくる個々人ひとりひとりの「内面における喪われた全体性」に照応する仕方で、真木悠介=見田宗介は語り続けている。

そこに、<近代・現代>という時代を乗り越えてゆくための、「ピボット(旋回軸)」の支点ともいうべきものが、打たれてある。

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「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 書籍 Jun Nakajima

「新入生に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』。

日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。

日本では4月から「新年度」が始まったばかりである。

海外に住んでいると、そこにはまた異なる社会の流れがあるから、ぼくは、ここ香港で、感覚としては文化の狭間に置かれる。

日本のニュースなどを通じて、この「新年度」の雰囲気を垣間見ることができるのと同時に、ぼくは日本に住んでいたころの記憶に「新年度」を感じる。

 

新しく高校や大学に入る「新入生」たちにとっては、ありふれた言い方だけれど、期待と不安の入り混じったスタートであるかもしれない。

そんな新入生たちに出会ったとしたら、ぼくは、どうするだろうか。

ぼくは、やはり、本を手渡すように、思う。

本は、見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)である。

もちろん、新入生の方々は多様であり、ひとりひとりにおいて、問題意識も関心も異なっている。

それでも、ぼくは、この本をやはり選ぶだろう。

 

理由をあえて挙げるとすれば、次のような理由を挙げる。

  1. 「社会学」という枠を超えて「学問する」ことの<初めの炎>に触れられている
  2. 「学問」を超えて、「生きること」の本質と方法論が書かれている
  3. 「生きること」において、「現在」と「未来」が深く、そして太い線で描かれている

文系・理系にかかわらず、この「現代社会」に生きる人たちすべてにとって切実な<人間と社会>の問題と課題に本書は照準しているのである。

本書のカバーの見開きには、次のように、本書が紹介されている。

 

「人間のつくる社会は、千年という単位の、巨きな曲り角にさしかかっている」ー転換の時代にあって、世界の果て、歴史の果てから「現代社会」の絶望の深さと希望の巨大さとを共に見晴るかす視界は、透徹した理論によって一気にひらかれる。初めて関心をもつ若い人にむけて、、社会学の<魂>と理論の骨格を語る、基本テキスト。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

本書の「目次」は下記の通りである。

 

【目次】

序 越境する知ー社会学の門
一 鏡の中の現代社会ー旅のノートから
  [コラム]「社会」のコンセプトと基本のタイプ
二 <魔のない世界>ー「近代社会」の比較社会学
  [コラム]コモリン岬
三 夢の時代と虚構の時代
四 愛の変容/自我の変容ー現代日本の感覚変容
  [コラム]愛の散開/自我の散開
五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題
六 人間と社会の未来ー名づけられない革命
補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成

 

本書のタイトル『社会学入門 人間と社会の未来』から、ぼくなりの「解題」をするとすれば、次のようになる。

 

(1)「社会学」

「社会学」ということについては、いわゆる専門領域としての「社会学」はもとより、見田宗介の「社会学」は<社会の学>というべきほどに、その問題意識と論理は「社会」の全域を貫いている。

 

(2)「入門」

「入門」とあるように、本書の一部は、見田宗介の「社会学概論」のような講義を圧縮して収録されている。

しかし、「入門」はある意味において、入門であるからこそ、問題や課題のコアに一気に直進してゆくところがある。

その意味において、ぼくは、(この本に出会って10年近く経った)今でも、なんどもなんども、この本に立ち戻っている。

 

(3)「人間と社会」

「社会」とは、人と人との<関係>のことである。

その意味において、「社会学」とは、<関係としての人間の学>(見田宗介)である。

そのような視点のうちに、見田宗介の問題意識は、つねに、社会の制度的な「ハードの問題」と、人間の内面という「ソフトの問題」を相互に連関させている。

仮に、そこに明確に語られていなくても、社会のシステムを語るときには「自我」の問題が、また自我を語るときには「社会のシステム」の問題が息づいている。

 

(4)「未来」

この本の射程は「未来」に向かって、はるかにのびている。

本書の「五 二千年の黙示録ー現代世界の困難と課題」「六 人間と社会の未来ー名づけられない革命」「補 交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成」は、いずれも、人間と社会の「未来」に向けて、その方向性を、太く深いところで明晰にとらえている。

情報テクノロジー、仮想通貨などの未来を語る情報が日々ながれてくるなかで、さらにその深い地層において「未来」への道筋(可能な道筋)をとらえておくことができる。

メディアにながれるそのような未来の言説にじぶんがながされないように、見田宗介の素描する「未来」は、ぼくたちの足場を確かなものにしてゆく力となると、ぼくは思う。

 

見田宗介(あるいは真木悠介というペンネーム)の数々の著作が「分類の仕様のない本」であるように、本書も、「分類の仕様のない本」であると、ぼくは思う。

それは、ぼくたちの「生きる」ということへの、真摯で暖かいまなざしにつらぬかれているからでもある。

 

本書の第一章では、「社会学は比較社会学である」というエミール・デュルケームの言葉を引きながら、自然科学と異なり、社会の科学においては「実験」ができないこと、しかし「比較」ということを方法とすることができることを、見田宗介は語っている。

 

…人間が歴史の中で形成してきた無数のさまざまな「社会」のあり方は、これを外部から客観的に見ると、人々がそれぞれの条件の中で必死に試行してきた、大小無数の「実験」であったと見ることもできます。一つの「企業」、一つの「家族」のような小さい社会でも、「幕藩体制」とか「資本主義」とか「社会主義」というような大きい社会でも、それがどういう社会であるかは、他の企業、他の学級、他の家族、他のシステムと比較することをとおして、はじめて明確に認識し、理解することができます。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

「比較」は、日常の生活の語彙としては、現在において「競争」の文脈のなかに投げ入れられたりする。

どちらが優位、どちらが劣位というように、「競争社会」という、社会の諸相の一面に偏って、とらえられ、語られ、意識される。

しかし、ここでの「比較」は、それとは垂直に異なる方向性において、方法論のひとつとして、取り出されている。

 

…社会学の方法としての「比較」は、<他者を知ること>、このことを通しての<自明性の罠>からの解放、想像力の翼の獲得という、ぼくたちの生き方の方法論と一つのものであり、これをどこまでも大胆にそして明晰に、展開してゆくものです。

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』岩波新書、2006年

 

ぼくのブログで幸いにも多くの読者を得ている、「<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして」と題したブログで触れた、ほんとうに大切な視点と生き方が、本書のここで語られている。

このように、比較社会学の方法は、生き方の方法論と「一つのもの」として、見田宗介のなかでは構想され、展開され、ぼくたちの「学ぶ」ことだけでなく、ぼくたちの「生きる」ことを<解き放つ>ところに、ひらかれている。

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「見田宗介=真木悠介」, 日本 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」, 日本 Jun Nakajima

「原恩」(見田宗介)あるいは「原悲」(河合隼雄)を生の根本にもちながら。- 「日本文化の前提」をかんがえる。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

「日本文化の前提と可能性」にかんする論考のなかで、社会学者の見田宗介は(1963年の初期の仕事において)、「汎神論」的世界における<原恩の意識>というものを取り出している。

方法として「汎神論」と対比しているのは「一神教」である。

仮に「価値=白」「無価値・反価値=黒」とする場合として、見田宗介は、次のように描写している。

 

…一神教とは、黒い画面に白い絵のかいてある世界であろう。「神」によって意味づけられた特定の行為、特定の存在だけが価値をもつので、人がただ生きていること、自然がただ存在することそれ自体は無価値であるか、あるいはむしろ罪深いものである…。「汎神論」では反対に、画面全体がまっ白にかがやいていて、ところどころに黒い陰影がただよっている。日常的な生活や「ありのままの自然」がそのまま価値の彩りをもっていて、罪悪はむしろ局地的・一時的・表面的な「よごれ」にすぎない。…日本文化論のレギュラー・メンバーとなっている俳句や和歌や私小説はつねに、生活における「地の部分」としての、日常性をいとおしみ、「さりげない」ことをよろこび、「なんでもないもの」に価値を見出す。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

汎神論的な世界をもつ精神構造においては、人間であること自体、生きていること自体に価値をおき、人の生や世界を外側から「意味」を与える超越神を必要としない。

これを、見田宗介は一神教の<原罪の意識>に対比させる形で、<原恩の意識>とよんでいる。

何かの行為や業績や成功などの前に、ただ生きていることそのものに「恩」を感じるような意識である。

 

心理学者・心理療法家の河合隼雄は、西洋的な<原罪>にたいして見田宗介が<原恩>とよんだものを、<原悲>とよんでいる。

キリスト教は「原罪」が基本となることにたいし、日本の宗教は「悲しみ」が根本になることが多いと、河合隼雄は語っている。

ここで河合隼雄のいう「悲しい」は、河合隼雄自身が指摘するように、「悲しい、哀しい、愛しい、美しい」などを包摂するような<かなしい>として捉えておくことが必要である。

その広義の「かなしい」を根本におく<原悲>は、見田宗介のいう<原恩>と重なるものだと、ぼくは思う。

 

河合隼雄はさらに、一神教の宗教を背景としたからこそ、近代科学が出てきたことを語っている。

 

…西洋の宗教では、神と人は明確に違います。姿形でも、人は神に似せて作られているから、人と他の被造物とも明確に違う。だからそこにピシャッと線が入る。「私がー花を観察する」とか、「私がー落下する石を観察する」という明確な区別があるから、近代科学が生まれたんですね。「観る」という漢字がありますね。外界を「みる」のも、内界を「みる」のもあの「観」です。…ところが「観る」の英語observeは「外」だけを「観察」してるんです。そういう態度は、おそらくキリスト教以外からは出て来ないんじゃないか。

河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

 

確かに、人と自然とが融合しているような文明・文化においては、近代科学は出てこなかったかもしれない。

しかし、見田宗介は前述の論考の最後に、次のように「論理」を深くしながら、このことについて書いている。

 

 ヒューマニズムと内面的主体性の確立が歴史的には、超越神への信仰を媒介としてはじめて可能であったということは、数多くの学者の指摘するとおりであろう。しかしそれは、あくまでも歴史的な必然性であって論理的な必然性ではない。一神教の伝統は、ヒューマニズムと内面的主体性の確立のための、いわば触媒であって、その内的な構成要素ではないことを忘れてはならないだろう。…

見田宗介「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」『現代日本の精神構造』弘文堂、1965年

 

「宗教」というものが社会においてかつてのような力をもった時代がすぎさった今も、そこの根底に息づいているようなものが、日常のふとしたところに見られたり、現象したりする。

現代の多くの人たちが信じる<資本主義>も、そこに深く流れるものにプロテスタンティズムの精神があったことをかつてマックス・ウェーバーは分析し、また、社会学者の大澤真幸が現代の文脈のなかで透徹した論理で描いていたりする。

この世界で、原罪を胸に生きている人たちがいること、あるいは<原恩・原悲の意識>で生きている人たちがいることを知っておくことは、いろいろな人と付き合っていくなかで「ものすごく強いこと」(河合隼雄)である。

「そういう意味で僕らは、いろいろ勉強する必要がある」と、西洋と東洋双方に真摯に向き合ってきた河合隼雄は、ぼくたちに語りかけている。
 

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欲望論からとらえる<市民社会>。- 「社会」に生き、総体的/相対的に理解し、構想していくために。

「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。


「近現代」という時代に生きながら、日々生きていくなかでいろいろなことに直面し、いろいろなことをかんがえる。

日々の人間関係から社会の出来事に至るまで、なぜこうなんだろうかという疑問をかたちづくるような体験・経験を積み重ねながら、自問しては「迷宮」のなかにもぐりこんでしまう。

そのような疑問を抱くことなく、ただ生きるということができればとも思ったりするのだけれど、現代社会とそこで起こることは「ただ生きる」ということをむずかしくしてしまうような、そのような磁場をつくっている。

だから、「迷宮」を脱して、人間や社会というものを論理として把握しておきたいとと、20歳を超えた頃に思い始めた。

「知識」として得たからといってすぐにどうこうなるものではないとわかりつつ、しかし、どうしても知りたいと思うようになった。

「社会に埋め込まれたじぶん」ではなく、「かんがえる」ということを始めたことの一歩のようなものであったかもしれない。

 

見田宗介の名著『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)を読んだときの興奮は、とても大きなものであった。

ぼくの「世界の見え方」が変わってしまうほどであった。

新書という形の小さい本ではあるけれど、深い洞察と明晰な理論で、現代社会を総体として描いている。

一度読んだだけでは理解できないことだらけであったにもかかわらず、知の深さと広さの体感にひかれるように、ぼくは幾度も幾度も、読み返した。

 

そこから時を経て、見田宗介が真木悠介名で書いた『現代社会の存立構造』(筑摩書房、1977年)を手にとり、この本も最初読んだときは一部しか理解できなかったけれど、そこで展開されていることの深さと広さの予感をたずさえて、ぼくは幾度も幾度も、まるで辞書を引くように読み返し、理解を深めるたびに、その理論の明晰さにただただ圧倒されるばかりであった。

そのエッセンスの一部が、1980年代に行われた、見田宗介と小阪修平の対談のなかで、<市民社会>の原理として語られている。

「対談」という形式は、複雑な理論が凝縮されて語られることから入門として入りやすい。

しかし、それだけで「わかった」というふうにはしてはならないけれど、「対談⇆理論の本」の双方向の読みをすることで見えてくるものがある。

 

「市民社会」という多義的な事象を、見田宗介は「欲望論」からとらえる視点を提示している。

 

…社会的な抑圧というものの根拠は、人間たちの欲望の相互関係にあると思うし、逆に言うと社会的な解放というものの、究極的な根拠というものも、やっぱり人間たちの欲望、欲望の相互関係にあると思います。

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

このことを、もう少し展開して、見田宗介は次のように論理をすすませる。

● 抑圧というものの究極的な根拠:「欲望の相剋性」
● 解放の究極的な根拠:「欲望の相乗性」


「欲望の相剋性」については、例えば、「悪」というものは世の中に存在はせず、その正体は人間たちの「欲望の相剋性」にすぎないと語られている。

また、「道徳、理念、倫理」などという言葉で語られるものも、複雑なメカニズムを通して形成される、「欲望の相互関係の反射」(特に他者に対する欲望の相互反射)としている。

「規範」も、「欲望の逆立した影」と見田宗介は明晰に捉えている。

そのように把握しながら、「共同体」に比して「市民社会」をとらえていく。

 

…共同体とはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものが、相互に規制しあう規範によって束縛されている状態である。…
 それにたいして、<市民社会>というものはなにかというと、人間たちの欲望の相剋性というものがいったん解放された状態であろう。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

欲望論の視点から社会を透徹する仕方でとらえ、欲望の相剋性/欲望の相乗性という見方で、共同体と市民社会を定義する見田宗介の理論はとても明晰だ。

この見方は、ぼくたちが日々直面しかんがえていることに、次のように接続される。

 

 市民社会というものは、解き放たれた欲望の集列的なせめぎあいが基本にあって、それが積分形態として、たとえば市場法則とかその他の経済法則のように、さまざまな物象化された社会法則であるとか、あるいは貨幣というもの、資本というもの、物象化された法のシステム、近代的な国家権力というようなもの、あるいは物象化された時間、空間の観念とかを存立せしめる、そういう社会形態である。…
 結論から言えば、解き放たれた欲望の相剋性が、物象化されたさまざまな制度というものを幾重にも産み出してゆくシステム(メタシステム)であるというふうに市民社会をとらえるわけです。

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

例えば、大学ではぼくたちは、政治は政治、経済は経済、法は法、国家論は国家論、貨幣論は貨幣論(経済)、時間論は時間論(哲学など)といったように、境界が区切られたままで学ぶことになるけれど、見田宗介の「市民社会の原理」は、それらを統合かつ一貫した論理で把握するものである。

この「市民社会の原理」が、「どういうメカニズム」で、貨幣、資本、法体系、国家、時間・空間の観念などを存立していくのかが書かれたのが、前述した名著『現代社会の存立構造』であった。

この理論の中心となる「欲望」の論は、その後、「欲望を抑える」という仕方ではなく、逆に「欲望をひらく」方向において、見田宗介=真木悠介の仕事のなかで徹底して追い求められていく。

つまり「欲望は欲望によってしか超えられない」ということの深い認識のもとで、<欲望の相乗性>の理論の展開へとつながっていくことになる。

 

現代は、貨幣、資本、法体系、国家などの、これまで基幹をなしてきたと思われるものが、変動(激動)にさらされてきている。

そのようなときだからこそ、社会や人びとの生を読み解き、社会のあり方や人びとの生き方を構想していく際に、見田宗介=真木悠介の展開してきた理論は、ますます、ぼくたちにとってよい対話相手となってくれる。

かつて、ぼくの悩みをもとに対話してきた見田宗介=真木悠介の理論群は、今のぼくにとっては、未来をひらくための対話相手のようなものとして、ぼくの生を支えてくれている。
 

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「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」(見田宗介)。- 市民社会の社会性の水準。

小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。

小さい頃からぼくが感じていた「生きづらさ」の感覚の根拠のひとつのようなものとして、社会学者の見田宗介の次の言葉は示唆に富んでいる。

 

 本源的に孤独なものたちがそのあかるい表層のつながりのうちにみずからの孤独をしらず、孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界に、たぶんわたしたちは生きているのだ。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

「孤独でないものが孤立のうちにしか生きられないという奇妙な世界」にわたしたちは生きていると、石牟礼道子の文学を語るモチーフとして、そのような「奇妙な世界」を見田宗介は描いている。

奇妙な世界の「あかるい表層」のうちにじぶんを引き出すのだけれど、ぼくはそのようなところに居心地の悪さを感じてきた。

幸いにも、ぼくの周りにはこの奇妙な世界のなかであっても「まっすぐに語る」人たちが現れて、その「まっすぐさ」に支えられながら生きてきたようなところがあると、ぼくは思う。

そのような人たちは直接的な関係性にかぎられず、見田宗介、石牟礼道子、河合隼雄などの本を通じて、ぼくは「孤立」せずに、奇妙な世界で生きてきた。

 

見田宗介は、この「奇妙な世界」を、<市民社会>という視角において書き足している。

「市民社会」という言葉は多義的であり捉えられ方や定義のされ方はさまざまであるため、一歩も二歩も引いて見る必要があるけれど、その「原的な」ところにおいて、見田宗介は<市民社会>を次のようにも見ている。

 

…<市民社会>とは、原的に孤独なものたちが孤独ではないもののように互いに社交することをとおして、原的に孤独ではないものを孤独なものとして排斥する、そのような社会性の水準である。…

見田宗介『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2012年

 

この記述は『著作集』における「定本解題」に載せられている(このような角度から見田宗介が<市民社会>を語っているところは、今のぼくの記憶のなかにはない)。

<市民社会>をこのような「社会性の水準」として捉える見方は興味深いものである。

ちなみに、見田宗介は、<市民社会>を、人間たちの欲望の相剋性がいったん解き放たれた状態(※「共同態」は欲望の相剋性を規制し合う状態)というように捉えており、その解き放たれた欲望の相剋性が物象化されたさまざまな制度を幾重にも産み出してゆくシステムであると捉えている(『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、『現代社会の存立構造』筑摩書房)。

<市民社会>はその意味で両義的であり、解放の側面と抑圧の側面をともにもっている。

この社会性の水準においては、その力学において、「あかるい表層」における社交のなかに排除の力をもってしまうというのである。

このような「奇妙な世界」でどのように生き、また「奇妙な世界」をどのようにきりひらいていくことができるのかを、見田宗介は「欲望の相乗性」の論理を透徹することで示していくのだけれど、ぼくたち一人一人の生と現実の社会には、幾重にも幾重にも、生きることの経験のうちにのりこえていかなければならない問題と課題が、はるか彼方までひろがる濃霧のようによこたわっている。
 

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