成長・成熟

「コミュニケーション能力」を紐解く - 平田オリザ著『わかりあえないことから』の繊細さ。 by Jun Nakajima

劇作家・平田オリザの「コミュニケーション」
に対するまなざしは、繊細でしなやかである。

平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)は、副題を「コミュニケー
ション能力とは何か」としている。

世の中で、あまりにも「コミュニケーション
能力」が叫ばれてきたことに対する、問題提起
である。

 

(1)「コミュニケーション能力」とは何か

平田オリザは、コミュニケーションに対して
繊細・しなやかで、しかし真剣な切り口で
疑問を投げかける。

例えば、企業の人事採用では「コミュニケー
ション能力」が求められてきている現状がある。
これに対して、即座に問い返す。


「では、御社の求めているコミュニケーション
能力とは何ですか?」

 

また、企業の管理職者が、若者たちのコミュニ
ケーション能力に嘆くことに対して、きりかえす。


「はたして本当にそうなのだろうか?」


劇作家である平田オリザからの問いかけは、
シンプルだけれど、重い。

ぼくが経験してきた国際協力の現場でも、
海外の企業においても、コミュニケーション
能力の大切さはとてもつもなく大きい。

しかし、コミュニケーション能力を叫ぶ
当の本人たちの「間」において、そこでいう
コミュニケーションの内実のズレがあったり
する。

だから、一段おとして、企業なり企業、
個人なり個人のレベルで、コミュニケーション
能力の内実を明晰に理解しておくことが求めら
れる。


(2)「ダブルバインド」にしばられる

平田オリザは、企業が求めるコミュニケー
ション能力に「ダブルバインド」(二重
拘束)が見られることを指摘する。

「ダブルバインド」とは、二つの矛盾する
コマンドが強制されていることであるという。

例えば、自主性のコマンドが発出されて
いるなかで、ある人が上司に相談する。
相談を拒否されるが、問題が起きると、
報告しなかったことに対して叱られる。

このようなダブルバインドのなかで、
社員たちは身動きがとれなくなっていく。
平田オリザは、日本社会に転じて語る。

 

いま、日本社会は、社会全体が、
「異文化理解能力」と、日本型の「同調
圧力」のダブルバインドにあっている。

平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)

 

(3)「わかりあえない」地点から。

平田オリザのまなざしは真剣だが、繊細な
地点からの視点だ。

題名にあるように「わかりあえないこと
から」という地点から、コミュニケーション
を語る。

わかりあえないなかで「わかりあう」こと。

しかし、平田オリザは、上記のダブルバインド
を必ずしも悪いこととはみていない。

 

 私たちは、この中途半端さ、この宙づり
にされた気持ち、ダブルバインドから来る
「自分が自分でない感覚」と向きあわなけ
ればならない。
 わかりあえないというところから歩き
だそう。

平田オリザ著『わかりあえないことから』
(講談社現代新書)

 

そう、
わかりあえないというところから
ぼくは、歩きだし、歩きつづける。

そうすることで、言葉は、「わかりあう」
メディアとなり、そして、まれに、
それは言葉をこえる言葉となるのだ。

「歳だから...」の言い訳を乗り越えるための、3つの方法 by Jun Nakajima

「歳だから…」という言い訳を、
ぼくたちは、例えば30代の若い時期から
口にするようになる。

この「歳だから…」は、他者に向けられた
言い訳であると同時に、それは自分自信に
向けられた言い訳である。

この言い訳を乗り越える方法は、いく通り
もある。

 

(1)日本以外の社会で「実感」する

年齢にぬりこめられた意味や物語は、相対
的なものである。
つまり、社会によって異なる。

日本では、30代後半になると、転職は
難しいといわれる。
香港では、40代でも転職する。できる。
人材流動性が高いからである。

年齢と結婚時期の関係も、社会によって
差がある。

だから、日本以外の国や社会で、年齢に
ぬりこめられた意味や物語を一旦はがして
相対化することである。

 

(2)マラソン大会に出てみる

マラソン大会に参加してみることである。

ぼくがフルマラソンを完走したのは、
「香港マラソン」であった。
タイムはぎりぎりだったけれど、2度目の
挑戦で完走できた。

マラソン大会に参加するなかで、実感として
びっくりしたのは、ぼくよりもはるかに
高齢の方々が走っていることである。

そして、その方々が、ぼくよりもはるかに
速いスピードでかけぬけていくことである。

ハーフやフルマラソンの折り返し地点よりも
手前のところで、ぼくがまだ折り返し地点
を通過する前に、反対方向から、すでに
折り返したランナーたちが、コースをかけ
ぬけていく。

そのなかには、かなりの高齢の方もいる。
ぼくよりも体格的に小さい方々もいる。
盲目の方たちも、伴奏者を伴い、しかし
ぼくよりも速いスピードで走っていく。

「歳だから…」という気持ちが一気に
消え失せていく瞬間だ。

 

(3)成功事例や体験記を読む

有名なのは、ケンタッキーフライドチキン
の「カーネル・サンダース」である。
カーネル65歳からの挑戦であった。

その他、世界でも日本でも、年齢に関係の
ない挑戦・成功劇にあふれている。


時代は「100年時代」を迎えている。
「歳だから…」の言い訳は、100年時代
の生き方にそぐわない。

ぼくたちのマインドは、80年時代の
物語に閉じ込められている。

また「歳だから…」が、自分に対する
言い訳であるのは、「自分」というマインド
がつくりだした「檻」が即座にくりだす
言葉だからである。

自分のつくりだす「檻」からぬけでること。
そのために、他の社会やランナーやカーネル
といった「他者の存在」は大きい。

世界に流されずに生きるには。 - モノが増え情報過多、スピードが加速するこの世界で。 by Jun Nakajima

世界では、モノが増え続け、情報量は過多を
越える量となり、スピードが加速している。

ぼくたちはどのように、このような世界に、
このような時代に、このような社会に
向かうことができるのか。

次の3つを挙げておきたい。


1.「本質」を見極める力

モノ・コトの「本質」を見極める力が
必要である。
世界はモノであふれている。
世界は情報であふれている。
「ほんとうのもの・こと」を探す力である。

本質を見極める力をつけるためには
本質的ではないもの、嘘のもの、虚構のもの
を見ること・経験することも必要である。

見極める眼は「考える力」のことである。
論理的に考える以上に、無意識の次元での
「考える」ことも含め、考える力である。

「考える力」をつけるためには、
考えるための「視点・パースペクティブ」が
必要である。

それは、視点・パースペクティブをつける
ような読書や経験から醸成されていく。

そのような本や人に出会うことである。

「本質を見極める力」は
本質的な生き方をつくっていく。

それは、シンプルだけれど、ほんとうに
大切な生き方をえらびとっていく力となる。


2.「Disconnect 非-接続」する力

「新しい接続」をつくっていくために、
「非-接続」する力である。

「本質」を見極めていくためにも、この力は
大切である。

ぼくたちは、日々の仕事や家事や流れてくる
情報などなどに「接続」されている。

それらの出来事に「反応」する心身をもって
いる。

ぼくたちのマインドは、常に「接続」の状態
にある。

だから、「非~接続」する力が必要だ。

自分の外の事象から「非-接続」すること。
そして、自分の内側(マインド)において
感情などから「非~接続」すること。

方法は様々な仕方にひらかれている。

世界のハイパフォーマーが活用する
メディテーションから、走ること、など。
ストレスに対処する方法(感情を客観視、
紙に書く等)も様々だ。

「非~接続」は、大きくは2層ある。

一つ目の層は「日々の非-接続」。
二つ目の層は「生き方全体の非-接続」。

社会や「常識」や教育などから押し付けら
れた「生き方の全体」において、非-接続
できたとき、生はあらたな世界をきりひらく。

 

3.「自分」をつくっていく力

上の2つもこの内に包含されてしまうが
「自分」をつくっていく力である。

「自分軸」のある人になること。
ただし、常に「自分」を変えていく意志と
姿勢につらぬかれていること。
人からとことん学んでいくこと。
「創られながら創る」という、自分という
人間の解体と生成を生きていくことのできる
人になることである。

それは「自分」をつくっていくなかで、
「他者」にひらかれてあることでもある。 

モノが増え、情報が過多となり、スピードが
加速している世界の中で、ぼくはぼくである
ために、
●「本質」を見極める力
●「Disconnect」する力
●「自分」をつくっていく力
を研ぎ澄ましている。

日々、走り、走りながらメディテーションし、
言葉をかきつづる。
メンターたちの生き方にならい、アドバイスを
もらう。
すばらしい本との出会いを大切にする。
人生のパートナーと共に、成長する。

この世界で流されないように。

とことん人から学ぶこと - James Altucherの流儀に心身が動かされる。 by Jun Nakajima

ベストセラー作家・投資家・起業家の
James Altucherは、とにかく人から学ぶ。
とことん学んでいく。

Jamesは、新著『Reinvent Yourself』
中で、「プラス、イコール、マイナス」の
流儀を紹介している。
(2017年1月の出版。邦訳はなし)

学びはこの「プラス、イコール、マイナス」
から生みだしていく。

「プラス」は、自分よりも「上」の人。
つまり、メンターからの学び。

「イコール」は、自分の「ライバル」で
ある人。ライバルであることからくる学び。

「マイナス」は、自分から「下」の人。
教えることからの学び。

彼の、徹底した学びと、そしてそこから
気づき、さらには実践に、ぼくは心を
動かされ、ぼくの行動へとつながっていく。


(1)徹底した学びの「姿勢」

彼の学びの「姿勢」は、圧倒的にオープン
である。文章から、話し方から、姿勢が
あふれだしている。

彼のPodcast「The James Altucher Show」
では、いつも、そのことを感じさせられる。

毎回、超一流のゲストを迎えての「学び」
のインタビューである。

2017年3月のTony Robbinsのインタビュー
は、JamesもTonyRobbinsも、語りが圧巻
であった。


歴史家Yuval Harari氏(『Homo Deus』
の著者)へのインタビュー
も、傑作である。
ぼくは、Jamesがインタビューの終わりで
投げかけた、とてもシンプルな質問に、
心が震えた。

 

(2)徹底した学びの「振り返り」

それから、彼は徹底して学びを振り返る。

「The James Altucher Show」の
インタビュー終了後に、彼は学びを
文章でまとめる。

その学びは、ブログで公開されていく。
そして、それが、書籍になっていく。

徹底した振り返りには、頭が上がらない。
 

(3)徹底した学びの実践

そして、学びと振り返りは、もちろん
「実践」につなげられていく。

これまで数々の「失敗」を繰り返して
きたJamesが、自分をアップグレード
していく。

 

(1)から(3)のサイクルが高速で
回されていく。

彼の英語は、シンプルな単語で構成され
話し言葉的な文章はリズミカルだ。
文体は真面目すぎず、しかし真剣である。

これらが、総合的に結晶していく形で、
彼の新著のタイトルにある言葉
「reinvention」が生まれたように、
ぼくは思う。

ぼくは、彼の学びへの「謙虚さ」と
「オープンさ」に心身が動かされる。

Jamesのインタビューに耳を傾けながら
自分をアップグレードしていく気持ちの
<炎>を、ぼくは大切にともしている。

「Be present」(今ここに在ること)の方法 - 「感謝」を「今」に結びつける by Jun Nakajima

マインドフルネス(mindfulness)などが
ポピュラーになってきている。
関係するところでは、「今ここに在ること」
(Be present)ということが言われる。

この「今ここに在ること」はやってみると
とても難しい。

「今」という時間と「ここ」という空間に
フォーカスしていく。
「在る」とは、文字どおり「する」では
ないということもある。
「今ここに在ること」をしようと思うと
うまくいかない。

ぼくの「思考」は、今ここに在ろうとする
ときに、忙しなく動きまわるのだ。

思考は、効率を考えて、「次にやること」
に向けて投げかけられる。
段取り思考である。
思考が未来に向けて投げかけられる。
常に、次のこと、次のこと、次のこと。

また、ときには、思考は過去のことに
向けられる。

あのときの「失敗」について、こうすれば
よかったとか、ああすればよかったとか。
「マインド」は落ちつきを失い、心配や
不安をよびおこしてしまう。

でも、あるとき、ぼくは気づく。

「感謝」を、「今ここ」に結びつける。
使った食器を洗いながら、いつもは、
思考は過去や未来に向けられている。
そこで、「食器に感謝する」という方法を
とる。
洗いながら、食器に感謝することで、
食器に思考も気持ちも向けられる。

ひとつひとつの動作において、
感謝の心をそそぎこむ。
そうすると、「今ここ」に在ることができる。

そのようにして、動作に丁寧さがでてくる。
気が散って「間違ったことをすること」が
減ってきた。

でも、まだ、少しでも気をぬくと、
思考はつい過去や未来、また「ここでは
ないところ」へ飛び立ってしまう。

「今ここに在ること」を「する」のでは
なく、自然と「なる」までには、まだまだ
道のりは遠い。

生き方の「モデル」をみつけることで変わる - シュリーマンの語学力 by Jun Nakajima

外国語を勉強してきて、
外国語を駆使し、ぼくは
日本以外のところで生活してきた。

「きっと将来役にたつ」との確信の
もとに、英語にフォーカスし、勉強してきた。

外国語学習ということで、
誰か「モデル」となる人がいたかと
いうと、なかなか思い出せない。
鮮烈な「モデル」は、人の人生を
大きく変えていく力をもつことがある。

覚えているのは、
『古代への情熱』(岩波文庫)の
シュリーマンである。
シュリーマンは、19世紀に生きた
人物である。

トロヤ戦争の物語から、トロヤの
古都が必ず存在したことを信じる。
そして、数々の困難を乗り越えて
トロヤ遺跡を発見した人物である。

ぼくは、学校の「課題図書」で
この『古代への情熱』を読むことに
なった。
副題にあるように「シュリーマン自伝」
である。

トロヤ遺跡に辿りつくまでの「情熱」に
も、ぼくは心を動かされた。
しかし、彼の語学に対する「情熱」も
また、ぼくの脳裏に鮮明に焼きついたのだ。

彼の言語習得の「一方法」は次の通りである。

● 非常に多く音読すること
● 翻訳しないこと
● 毎日1時間をあてること
● 興味ある対象について作文すること
● この作文を教師の指導によって訂正すること
● 前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること

(『古代への情熱』岩波文庫より)

「あとがき」にあるように、
シュリーマンはその後15ヶ国語を
話したり書いたりするようになったという。

ぼくのイメージには、
この圧倒的な語学力をもつシュリーマンが
存在している。

その後のぼくの人生で、15ヶ国語が
できるようになったわけではない。

でも、シュリーマンの「生き方」は、
ぼくに、夢や勉学の情熱と人間の可能性を
教えてくれたように、思う。

学校の「課題図書」は、その当時は
できれば避けたいものであったけれど、
シュリーマンやヘルマン・ヘッセなど、
その後のぼくの人生に影響を与えてきた
ことを、25年ほど経ってから、ぼくは思う。

英語を話すこと -「英語は3語で伝わる」ことについて。 by Jun Nakajima

英語を日常で話すようになってからは
15年ほどが経過した。

海外に住みながら、意識としては日本と
海外の「間」に置かれているぼくとしては
「英語を話すこと」を通じて、
その「間」のことを考えさせられる。

「ツール」としての英語、
また「楽しみ」としての英語ということ
以上に、日本人である「私」という人間を
形づくるものとしての英語のことである。

電子書籍を検索している折に、
中山裕木子『英語は3語で伝わります』
(ダイヤモンド社)という書籍を目にする。

「3語」というのは、ここでは、
主語-動詞-目的語(SVO)のことである。

英語は、この文型にあわせて、語を
組み合わせていくことで、文章ができる。
言葉を伝えることができる。

日本語との相違は、まずは、
「動詞-目的語」という順序である。
日本語は「目的語-動詞」というようになる。

「speak English」は「英語を話す」と
いうように順序が逆転する。
この焦点の合わせ方、
つまり「動詞」を先にすることも
「私」という人物のあり方に
影響する。対象との距離感が変わる。

しかし、より大きなことは、
「主語」である。
日本語では「主語」は、往々にして
会話で取り除かれる。
その「場」や「グループ」という
磁場に溶解する。よくも悪くも。

英語を15年以上にわたって話して
きた中で思うのは、
「主語」を明確にすること、
つまり、「私」を明確化して
伝えていくことの大切さや、自分
という人間への影響である。
「個人」がより前面に出る言葉
なのだ。

主語の次にくる「動詞」は、
「何をしたいのか」を明確にする。
日本語では、ときに、動詞さえもが
曖昧になる。
目的語を伝えることで、相手が察知
する関係で動いたりする。
「日本語は1語で伝わる」ことが
あるということである。

「英語は3語で伝わる」ということ
は、英語のシンプルさについてだけ
れども、それは、もう一段深い次元
での議論へ誘うメッセージでもある。

日本と海外の「間」という場所で、
ぼくは、言葉や文化、そして人に
ついて考えるのである。

「グローバル」ということは、
ひとつには、ぼくたちが「主語」を
きっちりと持つということでもある。

「ミニマリスト x クオリティ = ○○○○○○○」- 香港で学んだこと。 by Jun Nakajima

香港で学んだこと。

香港に住んで、
・香港という空間
・香港社会
・時代背景
という条件の組み合わせの中で、
ぼくは、あることを学んだ。

それは、次のことである。

  1. 「ミニマリスト」の地平
  2. 「クオリティ」の追求

「ミニマリスト」の地平は、
ぼくが香港に住んでいるときに
みえてきた風景である。

大枠としての問題系は、
ミニマリスト、エッセンシャル、
断捨離、クラッター、コンマリ
などと語られる問題系である。
いわゆる「片付け」から開かれて
いく地平である。

香港の住居環境や都市環境は
物質的な「空間が狭いこと」が
特徴である。
その中で、ぼくたちは、
よりよく生きていく術を考え、
実践していく。
「ミニマリスト」的生き方を
実践する喫緊性がある。

香港の書店でも、
「片付け」の本が並べられている。

そして、香港だけでなく、
いわゆる「先進国・地域」では
近年、このような思考と実践を
後押しする社会ムーブメントがある。

そのような中、ぼくも、
香港で暮らしながら、徐々に
「ミニマリスト」的な生き方に
移行している。

ただ物事を少なくしていくのでは
なく、「エッセンシャル」な物事
にフォーカスしていく。

それは、「クオリティ(質)」の
追求につながる。
ひとつひとつのことを大切にする
生き方だ。
物もそうだし、行動もそうである。

香港の過去10年は、経済社会の
急速な発展の中で、「物」に溢れた。
「もっと、もっと」の世界である。
ぼくたちも、香港社会の中で、
気がつけば、エッセンシャルでは
ない「物」に囲まれる生活を送って
いたわけだ。

でも、徐々にギアをシフトしてきた。
「ミニマリスト」的生き方と
「クオリティ」を足し算する。
そして、いつしか、足し算が掛け算に
変わるような経験をしてきた。

「ミニマリスト x クオリティ」
=「生き方が変わる」

「生き方が変わる」だけでなく、
そこには、さまざまなもの・ことが
あてはまる。

ぼくは、このことを
ここ香港で、学んできた。
実践してきた。

生きることの内実の隅々が
入れ替わっていく経験である。

日本の外で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。
そして、人生で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。

そんなことを最近は、
ここ香港で考えている。

香港に住んで、まもなく10年 - 香港で/から学んだこと。 by Jun Nakajima

香港に住みはじめて、まもなく10年になる。

10年前は、ぼくは、東ティモールに住んで
いた。
ぼくの20代の後半は、東ティモールの
コーヒー生産者とともにあった。
30代になり、香港に移り住むことになった。
ぼくは、ぼくの30代を、香港で、香港と
ともに、成長していった。

香港で学んだことは、数限りなくある。
香港から学んだことも、数限りなくなる。
「学んだこと」を、今、文章としてまとめて
いるところである。

次のようなことが「学んだこと」のいくつか
である。

  1. 生きていく力
  2. お金というもの
  3. 多様性というもの

香港は、活気・熱気があり、混沌があり、
エネルギーに満ちている。
そこには「生きていく力」がある。
強さと言ってもよいし、サバイバル力でも
ある。

「生きていく力」を駆動していく源泉の
ひとつは、「スピード」である。
香港のスピードは、世界屈指である。
社会も、ビジネスも、人も、そこには
スピードが感じられる。

香港国際空港の「荷物」受け取りスピード
は、世界でも最強の部類である。
飛行機を降り、イミグレーションを通過し
すでにそこに荷物が到着している。

スピードが社会のDNAに刷り込まれている。
その背景のひとつには、お金がある。
ここでは時間はお金である。

お金というものの価値が最重要で重視される。
人によってはこの価値に抵抗感があるが、
それはシンプルでもある。

郵便局のサービス方針として、
「Value for Money」がうたわれている。
お金に見合う価値の提供。
シンプルである。

お金の価値軸が社会の芯となっている。
歴史的な不安定さに対応するには、
お金は「安心」の拠りどころである。

このような社会だから、ぼくは「お金」に
ついて、よく考えることができた。

そこの芯があるからか、
香港は多様性のある社会である。

多様なもの・多元的なものを受容する力は、
強い。
日本では「グローバル、グローバル」の
掛け声があるが、香港では、日常がすでに
「グローバル」である。

人の多様性もそうであるし、
話される言語も多様である。
多様性が社会にとけこんでいる。

この環境に身を置きながら、
肌感覚として生活してきたことは、
ぼくにとっては、とても大切なことであった。

香港に住んで、まもなく10年。

よかったことも、うんざりすることもあった
けれど、ぼくは香港とともに成長してきた。

じぶんの仕方を求める - 走りながらのメディテーション by Jun Nakajima

昨年頃から、日本でも
・マインドフルネス(Mindfulness)
・メディテーション(Medidation)
などのトピックが、書籍やWeb上で
見られるようになってきている。

日本では「メンタル」の問題系が
このようなトピックをひきつける。

「英語の世界」、つまりアメリカなど
では、日本に先行して、注目されて
きていたものである。

もちろん、日本では、流行ではない
けれど、これらの「実践」は、
もともと文化の中に根づいてきたもの
である。

ぼくも小学校の頃に、
毎日「黙考の時間」があったことを
思い出す。
クラス全員で、1分程度、一緒に
眼を閉じる時間である。
当時はまったく「意味」がわからな
かったけれど、今になってみれば、
それは「メディテーション」の効用
を求めるものであったことに気づく。

英語の世界での受容のされ方の
特徴は、大きく二つある。

  1. ハイパフォーマンスという目的があること
  2. 「科学」による見直しが進んできたこと

スポーツ選手から会社のトップレベル
層まで、「ハイパフォーマンス」を追求
していくなかで、これらの実践の
効用を認識している。
また、アメリカの学校などでも、
マインドフルネスが授業に取り入れられて
いる。

ぼくも、ここ10年ほど、
メディテーションを実践してきている。
(日本語訳では「瞑想」だが、個人的に
「瞑想」は使わない。「瞑想」という
言葉に様々な意味と感覚が染みついて
いる。)

チャレンジングな人生に直面し
ぼくは「じぶん」にもどっていく時間が
欲しかったことが理由の一つである。

いろいろとじぶんで試しながら、
じぶんに合った仕方を探してきた。
主に、英語のオーディオや教材を利用
してきた。

まず第一に、
「ガイド付きのメディテーション」である。
英語でのナレーションにより、
メディテーションの状態を深めていく。

二つ目は、
「脳波を最適化する音声によるメディテー
ション」である。
(耳に直接にきこえる)声は入っていない
けれど、音声が脳波を最適な状態にもって
いく。

三つ目は、
「じぶんだけでするメディテーション」
である。
快適なポジションですわり、眼を閉じる。
この仕方には、いろいろと方法がある。
何も考えないという方法もあれば、
思い浮かぶもの・ことを観照する方法も
ある。

いろいろ試してきた今でも、
ぼくは、気分によって、これらを
楽しんでいる。

ただ、じぶんにもっとも合う仕方は
「走りながらのメディテーション」である。
また、走るときは、オーディオブックを
きいている。

「メディテーション」とは、必ずしも
「眼を閉じてしずかにするもの」ではない。

走りながら、メディテーションと同じ
ような状態に、ぼくははいっていく。

オーディオブックの言葉をききながら
ぼくの思考はおちつく。
思い出すことや、さまざまな思考が
つながることや、思いつくことなど、
ぼくは、走りながら、この「状態」に
はいっていくのだ。
この時間はとても楽しいものだ。

長年、メディテーションをやってきて
たどりついた「じぶんの仕方」である。

何事も100%の方法はない。
専門家も、いろいろな専門家がいて、
異なる意見を展開することもある。
専門家の意見を参考に、
じぶんで、じぶんに合った仕方を
一つ一つ試しながら、みつけていく
しかない。

そして、この経験が「生きる」という
ことの本質でもある。

 

追伸:
まだ読んでいないけれど、
次のような英語書籍を検索で見つけた。

『Running with the Mind of Meditation』
by Mipham, Sakyong

読みたい書籍のひとつである。

「創られながら創ること」(真木悠介) - 「創ること」の本質 by Jun Nakajima

IT技術とインターネットの普及により
時代は多くの「クリエイター」を
生み出している。

アート(芸術)、作家、ブロガー、
YouTuberに至るまで、これまでに
ない勢いで、自分の「作品」を世に
出す機会が開かれている。

「作品」は、自分を表現するもの
などと言われる。

ぼくは、このような言説が語られる
たびに、立ち止まって、考える。

脳裏にうかぶのは、真木悠介先生の
絶妙な言葉である。
真木悠介先生は、このことを
フランスの思想家バタイユの芸術論
からインスピレーションを得る。


創造するということは、
「超えられながら超えるという精神
の運動なんだ」と。
つまり、ほんとうの創造ということ
は、創るということよりまえに、
創られながら創ることだと。
…ぼくらは、近代的な芸術を批判
するものとして、バタイユを読み
返すことができると思う。
近代的な芸術というのは、個性の
表現とか主体の表現ということが
あって、…バタイユは、そういうの
は、いわば貧しい創造に過ぎないの
であって、ほんとうの創造は、
自分自身が創られるという体験から
出てくるのがほんとうの創造なんだ
ということを、半分、無意識に
言っていると思うんです。…

真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)

 

この言葉、「創られながら創ること」
は、鮮烈である。

ぼくは「ほんとうに大切な問題」
追求していくなかで、大学時代、
「人は旅で変われるか?」という
テーマに没頭した。

そのことを考えていくなかで、
この言葉は、ぼくが感じていたこと
に「言葉」を与えてくれたのだ。

真木悠介先生も、この言葉を
自身のインドへの旅を素材に語る。

 

ふつうの旅行というのは、
創る旅行であるわけだけれど、
途方に暮れるとか、そういう
ところから、いわば最初の設計
がだめになるということから
インドの旅が始まるという。…

真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)

 

中国本土を旅したときも、
返還前の香港を旅したときも、
ベトナムを旅したときも、
そしてニュージーランドで
徒歩縦断に挑んだときも、
ぼくは、常に、超えられる
という経験のうち、創って
いくということがあった。

旅に限らず、日常においても、
こうして文章を書くプロセスに
おいてそれは、常に超えられる
経験がある。創られながら創る
という経験がある。

そうして生まれた文章は、
創られるという経験が深ければ
深いほど、自分でも驚きと感動
の気持ちがわく。

それから、人との出会いも、
それが「ほんとうの出会い」で
あれば、関係の構築は、
超えられる経験のうちに
深まっていくものでもある。

真木悠介先生は、
この書の「あとがき」で
「創られながら創ること」という
絶妙の言葉を、「解体と生成」と
して表現している。

ぼくたちは、旅のなかで、
世界で生きていくなかで、
作品をつくりだしていくなかで、
それから人との出会いのなかで、
この「解体と生成」の契機に
置かれる。

「解体と生成」は、
人間の成長の本質である。

「解体」という経験は、
怖いものでもあり、でも同時に
恍惚の経験でもある。

人が変わることができるとしたら、
人が生まれかわれるとしたら、
人が成長することができるとしたら、
この「解体と生成」という経験の
内に、自分を乗り越えていく精神に
よってではないかと、ぼくは思う。

「見田宗介=真木悠介」の方法 -「ほんとうに大切な問題」 by Jun Nakajima

見田宗介『社会学入門 - 人間と社会の
未来』(岩波書店)の「序」は
感動的な文章である。

「社会学とは」について書かれている。
専門科学(経済学、法学、政治学等)
の「領域」をまたいで、「領域横断的」
な学問として、社会問題に向き合う。



 社会学は<越境する知>…とよばれて
きたように、その学の初心において、
社会現象の…さまざまな側面を、
横断的に踏破し統合する学問として
成立しました。…
 けれども重要なことは、「領域横断
的」であるということではないのです。
「越境する知」ということは結果で
あって、目的とすることではありません。
何の結果であるかというと、自分にとって
ほんとうに大切な問題に、どこまでも
誠実である、という態度の結果なのです。
 
 

それから「自分自身のこと」として
見田宗介先生の社会学との関係が
つづられている。

 

わたしにとっての「ほんとうに切実な
問題」は、子どものころから、
「人間はどう生きたらいいか」、
ほんとうに楽しく充実した生涯を
すごすにはどうしたらいいか、という
単純な問題でした。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)

 

「ぼくのこと」で言えば、
(今振り返ると、ということだけれど)
小さいころから、次のような問題系が
ぼくという人間を駆動してきた。

  1. 生きる目的や人間の本質といった「人間」の問題系
  2. 戦争などの争いのない「社会」の問題系

高度成長期後の日本において、ぼくは
生きにくさを感じ、疑問をもっていく。

(後年、この危機状況は「社会問題」で
あったことも書籍から知る。ぼくだけ
ではなかったということ。「ぼく」の
問題であると共に「社会」の問題でも
ある。)

人生は、ぼくに「道」を開いてくれる。

それは、
「世界を旅する道」であった。

大学に入り、世界を旅するようになる。
中国、(返還前の)香港、ベトナム、
タイ、ラオス、ミャンマー、ニュージー
ランドと、ぼくは世界を旅する。

その内に、ぼくの「ほんとうに大切な
問題」は、このように「具体性」を
帯びていった。

  1. 日本を出て世界を旅する日本人
  2. 「途上国問題・南北問題」

「生きづらさ」の感覚は、「旅で人は
変われるか?」という探索につながった。
「人が変わる」ということを、旅という
場を素材に、追求していくことになった。

そして「途上国問題・南北問題」は、
ぼくの人生をかたちづくっていく。

大学卒業後の進路はうまく決まらず、
また「学びの欲求」が益々強くなり、
ぼくは二つ目の「途上国問題・南北問題」と
いった問題系を大学院で学ぶことに決めた。

大学院で、ぼくは途上国「開発・発展」を
学ぶ。
途上国のことを学べば学ぶほど、それは
結果として、既存の専門科学を「越境」
せざるをえないことになった。

「人が変わること」と「社会が発展すること」
の問題系は、次第にひとつのキーワードを
結実させていくことになる。

それは、
「自由」(freedom)ということである。

この言葉を頼りに、この言葉をタイトルに
ぼくは修士論文(「開発と自由」)を書く。

見田宗介と経済学者アマルティア・センを
導きの糸として、ぼくは「自由」をとことん
考えたのだ。

修士論文「開発と自由」は、ぼくにとっては
とても大切な作業であった。
それは、ぼくのなかで、納得いくまで、
いろいろなこと・ものが繋がったからである。

でも、ある教授に言われた。

「よく書けているけれど、ある意味誰でも
書ける内容ですね。『経験』が見えない。」

理論に終始した結果、ぼくの経験に根ざした
文章にはなっていなかったのだ。

大学院の修士課程を終え、ぼくは、
「実践」にうつっていく。
国際協力NGOに就職し、途上国の現場に
出ていくことになったのだ。
こうして、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ
の地に、踏み出すことになった。

ぼくの「ほんとうに大切な問題」を手放すこと
なく、追求していく仕方で。

シエラレオネと東ティモールで、ぼくは、
それぞれ、難民支援とコーヒー生産者支援で
「実践」していく。

そのなかで、ぼくの「原問題」は、次のように
表層を変える。

  1. 「人が変わること、人の成長」の問題系
  2. 「いい『組織』をつくること、組織のマネジメント」の問題系

実践の中で、ぼくは、数々のプロジェクトを
動かしていく。その中で、「組織」という
問題にぶつかったのだ。

その後、人生は、ぼくに次の「道」を開く。
そうして、ぼくは「香港」に移ったのだ。

香港で、ぼくは、人事労務コンサルタントの
仕事につく。
「人と組織の成長・発展」を、
人事の視点からサポートする仕事である。

それから10年。
ぼくは、次のステージに立っている。

そして、やはり「ぼくの原問題」に立ち戻る。
それは、見田宗介先生の「ほんとうに大切な
問題」と交錯する。

「どのようにしたら、この世界で、よりよく
生きていくことができるのか」

時代は、大きく変わろうとしている。
すでに、変わってきているし、変わって
しまってもいる。
だからこそ、原問題から、ぼくは新たに
スタートする。

見田宗介先生は、『社会学入門』の「序」の
最後に、このような文章を書いている。


インドには古代バラモンの奥義書以来、
エソテリカ(秘密の教え)という伝統がある。
そのエソテリカの内の一つに、
<初めの炎を保ちなさい>という項目がある。
直接には愛についての教えだけれども、
インドの思想では万象の存在自体への愛
(マハームードラ Cosmic Orgasm)こそが
究極のものであり、知への愛である学問に
ついてもそれはいえる。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
 

旅も、世界で生きていくことも、そして
人生も、同じであるとぼくは思う。

<初めの炎>をぼくは、心の内に、灯し
続ける。

「見田宗介=真木悠介」の方法 - 本質への/からの視点 by Jun Nakajima

社会学者「見田宗介=真木悠介」の文章が
ぼくにとって魅力的な理由のひとつは、
本質的な問いに降りていくことにある。

常に「本質」への視線を投げかけていて、
本質的で、根源的な視点が地下の水脈に
流れている。

著書『気流の鳴る音』では、
「根をもつことと翼をもつこと」という
人間の根源的な欲求を展開していく。

同著には、また、
「彩色の精神と脱色の精神」と題される
文章が記されている。


われわれのまわりには、こういうタイプ
の人間がいる。世の中にたいていのこと
はクダラナイ、ツマラナイ…という顔を
していて、…理性的で、たえず分析し、
還元し、…世界を脱色してしまう。…
また反対に、…なんにでも旺盛な興味を
示し、すぐに面白がり、…どんなつまらぬ
材料からでも豊穣な夢をくりひろげていく。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


真木悠介先生は、この「二つの対照的な
精神態度」を、
<脱色の精神>と<彩色の精神>と呼ぶ。

この対照的な精神態度は、
ぼくたちの日々の生活への「見直し」を
せまる。

ぼくは、10代のきりきりとした時期に、
「脱色の精神」にとりつかれていた。
そんなぼくは、海外への旅をきっかけに
「彩色の精神」を取り戻していくことに
なった

また、次のような根源的な視点も
ぼくをとらえて離さない。

見田宗介先生は『社会学入門』(岩波
書店)の中で、「自由な社会」の
骨格構成を試みる。

この社会構想は、発想の二つの様式を
もとに展開される。

それは「他者の両義性」である。


他者は第一に、人間にとって、生きる
ということの意味の感覚と、あらゆる
歓びと感動の源泉である。…
他者は第二に、人間にとって生きる
ということの不幸と制約の、ほとんど
の形態の源泉である。…

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)


この他者の両義性をもとに、
「交響圏とルール圏」という社会構想
の骨格を、この「入門」の書で展開
している。
(「入門」はある意味で「到達地点」
でもある)

このように、「見田宗介=真木悠介」
の方法のひとつは、
本質的な問いに降りていくこと、
根源的な地点から思考することである。

日々の生活のなかで、表面的な現実に
疲れたとき、ぼくは、本質的で
根源的な地点に、思考を降ろしていく。

「頭の中の辞書」を見直す - 外国語の効用 by Jun Nakajima

「頭の中の辞書」の見直し、
つまり「自分の世界を書き換える
方法」
を進めていく上で、
「外国語の効用」は極めて大きい。

日本語の言葉や言葉の意味を
一旦「止める」こと。
「言葉を止める」には、
外国語の言葉と文法を「言葉の鏡」
として使っていくことができる。

例えば、「自立」という日本語。
英語の形容詞では「independent」
である。

この「自立」と「independent」
という言葉の「間」にみられる
定義や語感の違いが、ぼくたちに
「考える」ということを迫る。

日本語だけでこの作業をすると、
「言葉に染みついた意味と感覚」
につきまとわれることになる。

言葉の一つ一つには、
社会や時代、自分の生活経験が
あまりにも深く刻まれている。

言葉の意味だけでなく、文法、
言葉が語られる背景や文化に
至るまで、刻まれている。

だから、外国語という「言葉の鏡」
を活用する。

まったく同じものをうつす「鏡」
ではないけれど、この鏡は
大きな力をもっている。


ぼくは「英語」という言葉の鏡を
利用してきた。
英語にどっぷり浸かることで、
ぼくの「頭の中の辞書」を見直して
きた。

そして、それはうまい具合に、
効果を発揮してきたのだ。

それは、時に、
「(身近な)家族のアドバイス」
よりも、
「(距離のある)第三者のアドバイス」
が受け入れやすいのと同じように。

「頭の中の辞書」を見直す -「世界」を書き換える方法 by Jun Nakajima

ぼくたちの頭脳にある言葉や物事の
「定義」は、驚くほどに、思い込みと
間違いに充ちている。

何かの都合で、何かを読んだり聞いたり
していて、自分が思っていたことの
間違いに気づく。

ぼくたちの「世界」は、言葉と言葉の
解釈で構成されるものでもある。
言葉が間違っていると、「世界」は
間違ったパーツでつくられてしまう。

人と人のコミュニケーションは、
ひとつの「世界」とひとつの「世界」
の間のコミュニケーションでもある。
だから、すれ違いや誤解が常である。

だから、時に、「世界」のパーツを
見直すことは、とても大切である。
「自分の頭の中の辞書」の定義を
見直すことである。

見田宗介・栗原彬・田中義久編の
『社会学事典』(弘文堂)は、
「引く事典」だけでなく「読む事典」
でもある。

ひとつひとつの項目に惹かれ、
言葉の世界に引き込まれてしまう。

事典の最初の項目は「愛」である。
これほど、人によって、定義や解釈
が異なる言葉もない。

ぼくの「頭の中の辞書」では
「愛」の項目はこう書かれている。

「愛とは、自分と相手の境界が
ないこと、なくなること」

『社会学事典』ではこのように
定義されている。

 

愛とは、主体が対象と融合すること、
一体化することであり、またそこに
成り立つ関係でもある。愛の対象は
一つの宇宙である。主体は対象に
ひきつけられることによって己れを
消尽しつつ、自らを宇宙へと開き、
直接、無媒介的に宇宙の中にいる。
主体と対象との間にはもはや
隔てるものがなく、愛は「消尽の
共同体」(バタイユ)として
存立する。・・・

『社会学事典』(弘文堂)より


これを読みながら、身体の震えと
共に、一人うなってしまう。
また、たった一つの言葉の、その
拡がりに驚かされる。

「頭の中の辞書」の見直し、つまり
「自分の世界を書き換える方法」は
二つある。

  1. 「辞書」や「事典」で学び、書き換える。
  2. 意識的に「自分なりの言葉」に書き換える。

1の作業だけでも、深い娯しみを
得ることができる。
関心と感心、驚きの連続である。
「インターネット時代」における
「ネット言葉」だけの世界に陥らない
ための方法でもある。

2は、既成の概念を超えていくこと
でもある。
自分の「世界」を積極的につくり
だしていくことである。

「世界を止める」(真木悠介)のは、
最初は「言語性の水準」である。

ただし、それは、身体性、行動、
それから生きること総体(生き方、
人生)に影響を与えていく。

ぼくは、ここ数年、「自立」という
言葉の書き換えをしてきた。
ぼくの「自立」は、狭い定義で、
それが日常の様々なところに
弊害を生んできていたからだ。

だから、「自立とは…」を書き換える。
自立は自分だけで立つのではない。
周りの応援や支えも、自立に含まれる
というふうに。

「世界を止める」(真木悠介)- 生き方を構想するために。 by Jun Nakajima

真木悠介先生の名著『気流の鳴る音』の
「概要と内容」を手短に述べることは
なかなか難しい。

理由は3つある。

  1. 要約を拒否する文体であること(ユニークな美しい文体)
  2. 削ぎ落とされた文体であること(徹底した論理)
  3. 一文一文がインスピレーションに充ちていること

真木悠介先生の言葉を拾えば、
『気流の鳴る音』とは、このようなことを
追求していく書である。


異世界の素材から、われわれの
未来のための構想力の翼を獲得すること…

われわれの生き方を構想し、
解き放ってゆく機縁として、これら
インディオの世界と出会うこと…

思想のひとつのスタイルの確立…

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


『気流の鳴る音』には、
「世界を止める」という章がある。

人が新しい生き方を獲得していく方法
である。

下記の水準において、「世界を止めて
いく」ことである。

  1. 言語性の水準
  2. 身体性の水準
  3. 行動の水準
  4. 「生き方」の総体

これまでの言語や身体の「すること」を
「しないこと」である。

言語であれば、これまでの思考を
やめてみる。

身体であれば、「目」に頼りすぎず、
五感で世界を感覚する。
ドイツ発祥の「ダイアログ・イン・
ザ・ダーク」の本質はここにある。
暗闇で食事を楽しむレストランなど
も、同様である。

『気流の鳴る音』では、インディオの
世界から、これらを追求していく。

ぼくたちは、世界への旅を、
世界の様々な異文化との出会いを、
「世界を止める」契機としていく
ことができる。

ぼくは、アジアへの旅のなかで、
シエラレオネで、東ティモールで、
香港で、幾度も幾度も、「世界を
止めること」を日常で繰り返す。

「生き方の発掘」(真木悠介)という
真木悠介先生の志に呼応するように。

「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介) by Jun Nakajima

life is but a dream.
dream is, but, a life.

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
扉の詞より


ぼくの人生のメンターである真木悠介先生が
「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの
歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて
勝手に訳したもの」である。

ぼくの座右の銘でもある。

東京、西アフリカのシエラレオネ、
東ティモール、そして香港と生きていく
日々の中で、この詞がぼくを支えてくれた。

英語文法的なポイントは
“but”の二つの意味合いである。

前者の文章の“but”は「ただ(only)」の意味
である。
後者の文章の“but”は「しかし」の意味である。
これを念頭に日本語訳すると、こうなる。

「人生はただの夢でしかない。
しかし、夢こそが
人生である。」

この詞にはたくさんの真実が詰まっている。
まず一つ目に、ぼくたちが「人生」だと
思っていることは、すべて「夢」である
ということである。

夢は、違う言葉では、「物語」とも言える。
いわゆる「現実」も、ぼくたちが脳で
つくりだしている「夢」でしかない。
いわゆる「人生の目的」もない。

でも、だからと言って、悲観することでは
ない。
「夢でしかないなら、意味がない」と
シニカルになることでもない。

夢こそが人生であるなら、この「夢」を
楽しんでいくことである。
素敵な「物語」をつくっていくことである。

そして、どんな夢も、どんな物語も
ぼくたちはつくり、生きていくことが
できる。
生ききることができる。

「毎日10のアイデア」- James Altucherに学ぶ by Jun Nakajima

「アイデアは実行しなければ意味がない」

これは正しい。
でも、これも正しい。

「アイデアを生むことが大切である」

人生の新しいチャプターへ入った今、
ぼくには、この両方の現実が切実に迫って
きている。
特に、何かをゼロから一の地点へつくって
いくとき、それは切実である。

これまでも、白紙のようなページの現実を
前にしたとき、ぼくは同じような焦燥感に
かられた。

ニュージーランドに、先を決めず、降り
立った時。
西アフリカのシエラレオネの只中に
佇んだ時。
東ティモールのコーヒー農園を前にして
将来を考えた時。
香港に何はともあれ来て、今後どうしよう
かと悩んだ時。

そして、これからの人生の章を、1頁1頁
書き記している時。

だから、ぼくは「アイデアを生む筋肉」を
つくることにした。

James Altucherが提唱する「アイデア・
マシーン
」となるため「10 ideas a day」
を試している。

1日に10個のアイデアをメモしていくのだ。
これが、なかなか難しい。

まず、「毎日」という壁にぶちあたる。
1日がこんなに早くすぎていくことに驚く。

それから、10個の手前でとまってしまう。
テーマを決めて10個を書き始める。
しかし、6個や7個で手がとまってしまう。

「10 ideas a day」を始めてからは、
常に「アイデアのアンテナ」が働くように
なった。

見るもの、聞くものなど、そこからアイデアを
見つけたり、発展させたり、可能性を考えたりと
「筋肉」が発達してきた。

これからの時代、世界で生ききるために、
「10 ideas a day」は、未来をつくる一歩と
なる。

「言語を学ぶこと」の「先の先」にあるもの by Jun Nakajima

英語、中国語、テトゥン語といった言語を
学んできた。そして、まだ学んでいる。

「言語を学ぶこと」で世界は拓かれてくる。

言語を学ぶことの「先」には、たくさんの
ベネフィットが待ち受けている。
旅行ができる、会話することで生活できる、
仕事を得ることができる、外国語書籍が読める、
インターネットで外国語ページが読める、
などなど。

でも、言語を学ぶことの「先の先」には、
3つのことがあるように、ぼくは思う。

  1. 人とのコミュニケーションの渇望
  2. 「世界」を拡げていくことの渇望
  3. 自分や自分の背景としての文化を知る渇望

大学時代、夏休みはバックパッカーで
アジアを一人旅した。
中国、香港、タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー。

どこにいても、現地の言語が話せたら素晴らしい
のにな、と感じた。

ベトナムを旅立つときは、将来ベトナム語も勉強
しよう、と思った(今現在できていないけれど)。
中国語をもっと勉強しよう、と思った(今現在、
まだ流暢にはなれていないけれど)。
人とのコミュニケーションの渇望を感じた。

「世界」は言葉でできている。
「世界」の解釈は、言葉でつくられている。
だから、新しい言葉を学ぶと、「世界」は
拡がっていく。

「’世界」が拡がりながら、自分が住んでいる
「世界」と、この言語が話される「世界」とを
比べていく。
そのようにして、「自分」というもの(現象)を
取り崩し、つくりなおしていく。
「比較社会」的に、自分の住んでいる「社会」
(「世界」)を客観的に見ていく。
牢獄にいる「自分」を、解きほどいていく。

言語を学ぶことの「先の先」に、
ぼくは、これらのことを渇望してきたのだと思う。

だから、今日も、「世界」を少しでも
拡げていこう。
その意味でも、生きることは、冒険である。

テトゥン語で生きる ー 東ティモールにて。 by Jun Nakajima

東ティモールでは、テトゥン語(Tetum, Tetun)で
生きてきた。

「テトゥン語で生きる」とは、文字通り、テトゥン語が
できないと、会話ができないということ。
英語が通じない。

首都ディリであれば、英語でも生きていくことができる。
ただし、首都ディリを離れると、テトゥン語あるいは
インドネシア語(あるいはその地方の言語)ができないと
生活が困難である。

仕事場は、首都ディリとコーヒー生産地のレテフォホ。
レテフォホに行く時は当初「通訳」をお願いしていた。
ただし、毎回というわけにはいかない。
いつしか、必要性にかられ、ぼくは、テトゥン語を
覚えていった。

これまでに学んできた英語と中国語とは異なり、
最初から「話す」「聞く」から始めた。
そして、後に、文法や単語の綴りを学ぶ。
日本での言語教育と逆の方法。
文字というより音で学ぶ。日々の会話で学ぶ。

その内、日常会話はもとより、スタッフとの会議、
コーヒー生産者との会議、さらには農業省での
プレゼンテーションもテトゥン語でできるようになった。

この言語習得経験は、学ぶことが多かった。

  1. どんな言語でも学ぶことができるという感覚
  2. 「必要性」という環境設定の有効性
  3. 「音」から学ぶことの有効性

世界で約80万人が話すというテトゥン語。

「テトゥン語ができるようになったとしても
80万人しか喋れないからなあ」

当初はそう思っていた。

しかし、テトゥン語で生きていくことから多くを
学んだ。
そして、東ティモールの人たちと生きていくことが
できた。