海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「KonMari」へのインタビュー(Tim Ferriss)から学ぶ。- 「KonMari Method」の本質について。

Podcast「The Tim Ferriss Show」のゲストは、KonMari。そう、著書『人生がときめく片づけの魔法』が、すでに世界40ヶ国語に翻訳されている、近藤麻理恵。...Read On.

Podcast「The Tim Ferriss Show」の
ゲストは、KonMari。

そう、
著書『人生がときめく片づけの魔法』が、
すでに世界40ヶ国語に翻訳されている、
近藤麻理恵。

彼女の「片づけの方法」は、
「KonMari Method」として世界に広がり
をみせている。

ぼくも、彼女の著書は数年前に読み、
「片づけの方法」を学んで、試してきた。

著書が世界で大ベストセラーになっている
ことは知っていたけれど、
アメリカを中心に、英語圏でのビジネスの
展開の拡がりに、ぼくは感銘を受けた。

その近藤麻理恵が、Tim Ferriss Showの
ゲストとして、呼ばれた。
久しぶりに「KonMari Method」のコア
コンセプトに触れ、また学ばせていただいた。

 

(1)「シンプルさ x 肯定」

彼女の「方法」は決して目新しいもので
はないけれど、彼女の方法とメッセージは
なぜか、人の心に届くものである。

ひとつには、方法の「シンプルさ」がある。
「Spark Joy」と英訳される「ときめき」
を感じるものを、残す。

ふたつめに、方法に「重さ」を感じない。
つまり、負荷的ではなく、「Joy」へと
みちびくコンセプトと実践である。

この二つが、「シンプルさ x 肯定」と
して掛け算され、伝わる力をもつ。
伝わる力は、「人を動かす力」をあわせ
持つ力だ。

 

(2)「KonMari」だから。

それから、やはり「KonMari」だから、
ということ。

そのことの意味合いは、3つある。

  1. 「KonMari」という人
  2. コンサルタントとしての能力
  3. 経験の深さから立ち上がるもの

3つ目に触れると、
インタビューの中で面白かったのは、
彼女が、「Spark Joy」にたどり着く
までの「道のり」である。

彼女は、最初の「片づけ」の経験では
「片づけ=捨てること」として、
それをとことん、気絶するまで、やり
続けたという。
そのプロセスは、とてもつらかった、
という。

その「気絶」の瞬間に、片づけで大切
なことは、捨てることではなく、
「残すもの」にあることに、深く気づ
いたという。
「Spark Joy」が見えたという。

この深い経験は、
アンチテーゼからテーゼ、
否定から肯定、
デタッチメントからコミットメント
という経験
と、本質的なところでは
同じ経験であると、ぼくは思う。

 

(3)時代背景とタイミング

最後に、時代背景とタイミングである。
それは、裏返すと、人びとが今、求めて
いるものであったことである。

「消費化社会」が、その内実を変容させ
ていく過程で、
人びとは、物質的なものに対して、
それから自身の内面において、
これまでの方向性を「転回」せざるを
得ないような、状況に置かれている。

また、もしかしたら、西洋的な視点から
は、「KonMari Method」には、「東洋
思想的なもの」を感じる方法であるかも
しれない。

生き方を切り開く「方法」として、
世界のハイパフォーマーたちは、東洋
思想的な方法をとりいれてきている。

インタビューの中で、KonMariは、
「KonMari Method」を実践する人たち
の中で、「注意が足りない点は?」と
聞かれる。

KonMariは「KonMari Method」は
思っていた以上にきっちりと受け入れ
られてきているけれど、と前置きをした
上で、足りないものとして「感謝」と
応える。

「物を捨てるときに感謝すること」と
いう「KonMari Method」のポイントに
加え、日々においての「物への感謝」を、
彼女は付け加えた。
いわゆる万物への感謝である。

「感謝」はどの文化でも大切なことだ
けれど、「万物」への感謝は、近代では
一般的ではなくなった。

「感謝」とは、本質的に、関係をとり
もどす思想であり、実践である。
分断する思想ではなく、「つなげる」
思想である。

人と人との関係を、つなげること。
人と自然との関係を、つなげること。

時代は「つながる/つなげる思想」を
求めている。

「Spark Joy」は、KonMariが述べる
ように、「残すこと」の思想・実践で
ある。

ほんとうに大切なものを「残すこと」。
それは、本質において、「つながる/
つなげる思想」であり、その具体的な
方法である。

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「方法としての旅」から見えはじめたこと。- <虚構の時代>(見田宗介)の中で。

「方法としての旅」ということを考えた。二十世紀の終わりに、ぼくは、「もがきの閉塞」とでも呼ぶべき生きにくさに出口を探して、日本の外に飛び出し、旅をくりかえした。...Read On.

「方法としての旅」ということを考えた。

二十世紀の終わりに、ぼくは、
「もがきの閉塞」とでも呼ぶべき
生きにくさに出口を探して、日本の
外に飛び出し、旅をくりかえした。

ぼくが「生きにくさ」を感覚していた
(当時の)日本は、どのような時代に
おかれていたのかを振り返るとき、
社会学者の見田宗介の有名な理論が
導きの糸となる。

 

「現実」という言葉は、三つの反対語
をもっています。「理想と現実」「夢
と現実」「虚構と現実」というふうに。
日本の現代社会史の三つの時期の、
時代の心性の基調色を大づかみに特徴
づけてみると、ちょうどこの「現実」
の三つの反対語によって、それぞれの
時代の特質を定着することができると
思います。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
 

「三つの時期」について、見田は、
下記のように、理論を展開している。

●理想の時代:1945年~1960年頃
       *プレ高度成長期
●夢の時代:1960年~1970年代前半
       *高度成長期
●虚構の時代:1970年代後半~。
       *ポスト高度成長期

人びとは、それぞれの時代において、
<理想><夢><虚構>に生きようと
してきた、という。

「現実」ということとの関わりに
ついて、見田宗介は、続けて、この
ように書いている。

 

「理想」に生きようとする心性と
「虚構」に生きようとする心性は
現実に向かう仕方を逆転している。
「理想」は現実化(realize)する
ことを求めるように、理想に向かう
欲望は、また現実に向かう欲望です。
…虚構に生きようとする精神は、
もうリアリティを愛さない。
二十世紀のおわりの時代の日本を、
特にその都市を特色づけたのは、
リアリティの「脱臭」に向けて
浮遊する<虚構>の言説であり、
表現であり、生の技法でもあった。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
 

ぼくが生まれ、そして「旅」をくり
かえしていた時代は、この考え方で
いくと、<虚構>の時代であった。

ぼくは、「虚構の時代」にあって、
<理想>や<夢>を生きようと、
もがいてきたように、振り返る中で
思う。

それは、格好悪いことであったかも
しれない。
トレンドにのっていなかったことか
もしれない。

でも、<ほんとうのもの>を、ぼくは
探していた。

その中で、「方法としての旅」があった。
自分の身体を、まったく異なる社会
に投じた。
五感をひらくことで、自分を変えよう
とした。
旅先で、とにかく、歩いた。
歩いて、見えてくるものがないか、
ぼくは、上海の街を、香港の街を
歩いていた。
ニュージーランドでは、徒歩縦断という、
人生の「無駄」に生きた。

方法を探しもとめ、自ら実験し、思考する。

「旅」は、いつの日か、仕事という形
で、ぼくを世界に連れだった。

紛争の傷を深く負った人たちとその社会、
紛争から立ち直る人たちとその社会。
日々を一所懸命に生きる人たち。
どんなに「悲惨な現実」をも、乗り超えて
いく人たち。
そんな人たちと、そのような社会で、
ぼくは生きてきたのだ。

そして、そんな中で、
どうしたら、この時代に、よりよく生きて
いくことができるのか、を、
失敗をいっぱいにしながら、
生きて、考えている。

このブログはそのような試みのひとつである。


追伸:
作家・辺見庸も、同じ時期に、虚構では
ない、「生きたことば」を探し求めて
いた。
彼の文章は、身体から、絞り出された
ような、言葉たちである。
ぼくは、その頃から、「生きたことば」
に敏感になりはじめた。

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ぼくの「旅の経験」の奥行き。方法としての「旅」-「目の独裁」から感覚を解き放つこと(真木悠介)

<目の独裁>から自由になること。ぼくが生きていくことの、豊かさの「奥行き」を、言葉として明晰に提示してくれた、真木悠介の一節である。...Read On.

…目の世界が唯一の「客観的な」世界
であるという偏見が、われわれの世界
にあるからだ。われわれの文明はまず
なによりも目の文明、目に依存する
文明だ。
 このような<目の独裁>からすべて
の感覚を解き放つこと。世界をきく。
世界をかぐ。世界を味わう。世界に
ふれる。これだけのことによっても、
世界の奥行きはまるでかわってくる
はずだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


<目の独裁>から自由になること。
ぼくが生きていくことの、豊かさの
「奥行き」を、言葉として明晰に
提示してくれた、真木悠介の一節である。

この言葉たちが収められている
名著『気流の鳴る音』に出会う直前の
数年間、ぼくは「旅」に魅せられていた。

もう20年以上前のことだ。
東京で感じる閉塞感、あるいは居心地の
悪さのようなものから自由になりたいと
ぼくはもがいていた。

「もがきの閉塞」から、裂け目とその先
に光を見ることができたのは、一連の
「旅」であった。

18歳で、横浜港から鑑真号にのって上海。
上海から西安、そして北京と天津。
天津港からは、燕京号で神戸へ。
19歳で、香港から広州。
広州からベトナム、そして広州から香港。
20歳で、ニュージーランドに滞在。

ニュージーランドから戻り、
ぼくは「本との出会い」を得ていた。
その中で出会ったのが、
真木悠介『気流の鳴る音』であった。

それは、ぼくの「旅での経験」を、
<ことば化>してくれたと同時に、
これまでの「もがきの閉塞」の先に
「新しい世界」の存在と美しさを、
ぼくに提示してくれた。

「旅での経験」で、ぼくの身心をはじめ
からさらったのは、「におい」であった。

中国は「におい」に充ちた空間であった。
香港も、飛行機から降りたときに、
「におい」が、ぼくを出迎えた。
ベトナムも、もちろん、ぼくの臭覚を
襲撃してきた。
それらは、東京では感じなかった。

<目の独裁>から解き放たれ、
世界をかぐ。
真木悠介の言うように、これだけでも
世界の奥行きはかわった。

「旅」は、ぼくにとって「方法」の
ひとつとなった。
そうして、ぼくは、自問した。
「旅で人は変わることができるのか?」

その後も「具体的な方法」を探し求めた。
幼少に視力を失ったエッセイストである
三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』など
を読んだ。

「音」の採集などを試みた。
「Dialogue in the Dark」を経験した。

これらを経験してきて、ぼくは<目の
独裁>から抜け出せただろうか。
おそらく、完全に解き放たれた「地点」
などは、存在しないのではないか。

ひとつ言えることは、
これらの経験は、ぼくの「世界」に
確かに奥行きを与えてきてくれたこと。

これらの経験は、ぼくの身心の内奥に、
広々と拡がる「世界」の入り口への、
確かな「楔(くさび)」を打ち込んで
くれた。

 

追伸1:
最近のアジアの国々は、
「におい」が薄くなってきたように
ぼくは感じる。
経済発展と、それに伴う各地の
「都市化」の力学が、
においを脱臭してきたのだと思う。
いい・悪いの話では、ないけれど。

 

追伸2:
写真は、
真木悠介『気流の鳴る音』の
最初の「形」。
ぼくの大切な一冊。
その後、「ちくま学芸文庫」になり
そして、今は、岩波書店の
「定本 真木悠介著作集」に
収められている。

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「論理・ロジック」の学び方について。 - ぼくの(まったくの)個人史から。

世界で仕事をしていく中で、また、情報が氾濫する世界で、「論理・ロジック」はとても大切である。...Read On.

世界で仕事をしていく中で、
また、情報が氾濫する世界で、
「論理・ロジック」はとても大切である。

それが、すべてではないけれど、
「論理・ロジック」は、徹底的に
身につけておくべきものである。

多くの人たちとコミュニケーションを
とってきた中で、ぼくが感じるのは、
「論理・ロジック」を本当に身につけて
いる人はそんなに多くないということだ。

ぼくが「論理・ロジック」を学んできた
方法を、ぼくの(まったくの)個人史から
共有したい。

ひとつでも、ヒントになればよいと思う。
 

(1)「論文」の書き方を学ぶ

ぼくが、「論理・ロジック」を最初に
学んだのは、大学のゼミであった。

大学3年・4年と「国際関係論」のゼミ
で、Peter B. Oblas先生のもとで、
ぼくは「論文の書き方」を学んだ。

論文の書き方に関する英語書籍を、
ゼミ生で読み進めながら、
参考文献の探し方、ノートの取り方、
英語論文の書き方まで、学んでいった。

大学4年が終わるときに、ぼくは、
卒業論文を英語で書き上げた。
もちろん、「論」を展開しながら。

この経験は、ぼくが今まで大学で提出して
きた「論文」は、「論文」ではなかった
ことを教えてくれた。
ただの「感想文」をぼくは書いていた。

「英語論文」の世界では、論・ロジックは
とても大切である。

英語で書いたことが、さまざまな視界を
ひらき、さまざまなことを教えてくれた。
知識を超える学びであった。

Oblas先生から、「論の芽」が出てきた
ようなことを、卒論のコメントとして
直接いただいたことをぼくは覚えている。

 

(2)本との出会い

大学3年・4年時には、
Peter B. Oblas先生との出会いに加え
さまざまな書籍との出会いがあった。

何よりも、社会学者の見田宗介(真木
悠介)の書籍、『気流の鳴る音』
『時間の比較社会学』『自我の起原』
『現代社会の理論』『宮沢賢治』など
との出会いにより、
ぼくの「本の読み方」が変わった。

見田宗介の書く文章は、
要約が極めて難しいほどに削ぎ落とされ
理論が徹底している。

見田宗介の理論が、最初はまったく理解
できなかったぼくは何度も何度も読んだ。
字義通り、読み倒した。

見田宗介先生に、ぼくは、書籍を通して
論理・ロジック、そして理論を学んだ。

 

(3)大学院での「論文」

「論文の書き方」を学んで、
「何か」を掴んだぼくは「論・ロジック」
の面白さを得た。

そして、見田宗介の理論が、深いところ
で理解できるようになっていた。

それは世界が開かれていくような感触だ。

大学院では「論文」を書いた。
毎週のように提出する論文において、
「論・ロジック」を組み立てていった。

そして、論文を書くために、
徹底的に、他者の論文や書籍を読んだ。
そこで展開される「論理」に、
村上春樹が翻訳をするときのように、
「論理」の中にすっぽりと身を投じた。

修士論文は、その集大成として、書いて
いった。
個別の論文で論を立て、
個別の論文が最後につながる形で、
修士論文ができたのだ。

 

(4)仕事の世界で。

国際NGOで働きはじめてからも、
「論理・ロジック」は極めて大切であった。

仕事の実務・現場の世界でも、それは
変わらない。

西アフリカのシエラレオネでは、
国連や現地政府を相手に、論を立てて
コミュニケーションをとらなければなら
なかった。

東ティモールでも同じことだ。
国際協力機構とのやりとり、様々な
報告書、政府でのプレゼンテーション、
などなど。

香港での人事労務コンサルテーション
では、もちろんのことである。
コンサルテーションは、まずは
ロジック勝負である。

とにかく、使い倒しながら、学んで
いった。
完璧は目指さずに。

 

これらは、ぼくのまったくの個人史である。

今も、日々、論理・ロジックを学んでいる。

現代という時代の過渡期で、
また情報化社会が進化していくなかで、
これからの世界をひらくために
「論理・ロジック」を、
徹底的に身につけておきたい。

くりかえすけれど、徹底的に。


追伸:
写真は、ぼくが、世界どこで暮らすとき
にももっていく、見田宗介先生の著作
の一部です。
ぼくの人生の旅の「同伴者」です。

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「人生のreactivist」から「人生のactivist」へ。- 人生が積極性に「転回」するところ。

Tim FerrisのPodcastを聞いていたら「reactivist」から「activist」へという言葉が彼の口から出てきた。面白い言い方だなと思う。...Read On.

Tim FerrissのPodcastを聞いていたら
「reactivist」から「activist」へと
いう言葉が彼の口から出てきた。
面白い言い方だなと思う。

人はとかく、「reactive」になりやすい。
何かが起きてから、それに「リアクショ
ン」を起こす。
常に「反応的」になってしまう。

でも、この「現代という時代の過渡期」で
は、「activisit」のごとく、積極的な、
世界への働きかけが重要だ。
(「活動家」ということだけれど、ここ
では、ぼくは、政治的な意味合いは
「脱色」している。)

そして何より、自分の人生に対して
「reactivist」ではなく、
「activist」であることだ。

Podcastを聞きながら走っていて、
そんなことを考えていたら、
ぼくが修士論文を書いていたときの
こと
を思い出した。

経済学者アマルティア・センの一連の
仕事を追っていくなかで、ぼくはひとつ
のことに気づいた。

それは、センの人生の前半の仕事は、
どちらかというと「アンチテーゼ的な
仕事」であったということ。
つまり、これまでの厚生経済学への
批判を展開していたのだ。

センは、その後、特に「潜在能力アプ
ローチ」という自身の理論を軸にして、
積極的な仕事を展開していく。
言い方を変えると、積極的な転回が、
「潜在能力アプローチ」に結実していく。
いわば「アンチテーゼ」から「テーゼ」
への移行であった。
(ちなみに「潜在能力アプローチ」は
国連開発計画の「人間開発指数」の
理論的バックボーンだ。
経済成長だけではない成長の「評価
指標」を提示した。)

「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。

このことを、違った仕方で、ぼくは
村上春樹の仕事から学んでいた。

村上春樹は、アメリカに滞在中、河合隼雄
との対談の中で、
「デタッチメントからコミットメント」
ということを話している。

村上春樹の仕事が、社会からデタッチして
いくものから、社会にコミットメントして
いくものへと変遷していく。
(加藤典洋の著作『村上春樹は、むずかし
い』も、このあたりのことを書いている。
すばらしい村上春樹論であり、内容はそれ
にとどまらない。)

村上春樹の初期作品から読んでいくと、
そのことはよくわかる。

「reactivist」から「activist」へ。
「アンチテーゼ」から「テーゼ」へ。
「デタッチメントからコミットメント」へ。

世界や社会や他者、そして(深い意味で)
自分に向けられた「否定」「批判」など
が、ある時点で、積極的に、転回される。
「否定」や「批判」が、新しい理論や
考え方、生き方を軸に、積極性に転回され
ていく。

ぼくも少なからず、そんなプロセスを
生きてきた。

これから、もっと積極的に、転回して
いきたい。

「人生のactivisit」として、積極的に。

それは、きっと、社会へのコミットメント
をはらむ転回だ。

 

追伸:
黄昏時の「オレンジ色の街灯」は、
ぼくの記憶から、いろいろな風景を
思い出させる。

例えば、東ティモール。
エルメラ県の山(コーヒー農園は
山間地にある)から首都ディリに
向かう中で、ぼくが乗っている車両は、
オレンジ色の街灯の中を降りていった。

ここ香港で走りながら、「オレンジ色
の街灯」が、ぼくの頭上で静かに灯り、
その風景の中で、ぼくは上記のような
ことを考えた。

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「男女は(すべて)同じでなければならない」という「勘違い」- 「違い」からの出発。

日本に暮らし、アフリカに暮らし、アジアに暮らす。そんな中で、男女間の関係をあり方を、ぼくはいろいろと考えてきた。...Read On.

日本に暮らし、アフリカに暮らし、
アジアに暮らす。
そんな中で、男女間の関係をあり方を
ぼくはいろいろと考えてきた。
(ここでの男女は、男性性と女性性
という広い見方である。)

頭ではわかっていたけれど、男女間の
関係性は、表面的に観ると様々であった。

しかし、現代の人間は「重層的」な存在
(生命性・人間性・文明性・近代性・
現代性を帯びる存在)である。
生命性・人間性が、誰にでも生き続けて
いる。

ぼくが思春期を迎えた1980年代の日本
では、「男女雇用機会均等法」が制定
されたときであった。

法律の制定は、社会の状況を反映する
ものである。
その社会状況の中で、ぼくはなぜか
「男女は(すべて)同じでなければ
ならない」的な考え方を、自分の思考
にはりめぐらしてしまっていた。
よく考えずに、言葉の表層と社会的な
雰囲気だけに、自分をあずけてしまっ
ていたのだ。
もちろん「同じ」がよいこともあれば
「違う」こともある。

この「勘違い」が、人との関係において
無数の問題をつくりだしてしまった。

そして、ぼくだけではない、世界の多く
の人たちが、「自分中心」(男性なら
男性、女性なら女性)で考え行動して
しまっているように、ぼくは思う。

だから、日々の関係の失敗から経験的に
は学びを得ても、根本的な対策には至ら
ない。
また、相手が変わることを要求してしまう。

 

黒川伊保子の著書『鈍感な男 理不尽な
女』(幻冬舎)は、黒川が「まえがき」で
冗談交じりで言うように、「ノーベル平和
賞をもらってもいいくらいの一冊」である。
ノーベル平和賞は大げさにしても、
何らかの「平和賞」が授与されてもよいと、
ぼくはちょっと本気で思ったりする。

本書は、2部から成っている。

●Part 1: 女性脳のトリセツ
 ~女の機嫌をなおす18の処方箋

●Part 2: 男性脳と女性脳はなぜこんなに違うのか

Part1は、「女たちの18の不機嫌」の
ケースをとりあげている。

そして、黒川がそれぞれに解説を加え、
処方箋(対処方法)を提案している。

最初のケースは、
「もう、いい。自分でする!」と突然
キレる、ケースだ。
誰しもが経験する状況だ。
黒川伊保子の視線は、どこまでも寛容だ。

黒川伊保子は「女の機嫌のなおし方」と
題した「まえがき」で、次のように
記述している。

 

女は、惚れた男にだけ、よく機嫌を
損ねる生き物である。
なのに男は、女の機嫌をとるのが苦手だ。
人に秀でた才覚がある男ほど、その傾向
は顕著である。脳の信号処理が、目の前
の女性の気分にチューニングするように
はできていないからだ。目の前の人の
思いに引きずられて動揺する人は、
世界観が作れない。
 だから、彼女が少々嫌な顔をしても
気づかない。…女性の思いを察すること
は、本当に難しい。というわけで、女性
の機嫌のなおし方がとんとわからないの
は、男らしい男性の、正しい反応なので
ある。
 つまり、愛のある女と、才覚のある男
のベストカップルほど、「女の機嫌」に
つまずくことになる。
 で、この本の登場である。

黒川伊保子『鈍感な男 理不尽な女』
(幻冬舎)

 

この「まえがき」にぼくは気持ちが
救われた。
(別にぼくが人に秀でた才覚ある男
というわけではないけれど。)

この「世界中の男性の携帯辞書」(黒川)
は、日本語だけれど、世界中の男性が
読むべき本である。

そして、男性だけでなく、女性も一緒に
学び、日々関係を豊饒にしていくことで、
世界はきっと素敵になると、ぼくは思う。

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書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 村上春樹, 成長・成熟 Jun Nakajima

村上春樹著『翻訳(ほとんど)全仕事』から学ぶ、翻訳・仕事・生き方の作法

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』(中央公論新社)の主要なコンテンツは、次の二つである。...Read On.

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)の主要なコンテンツ
は、次の二つである。

●翻訳作品クロニクル 1981-2017
●対談(村上春樹x柴田元幸)

「翻訳作品クロニクル」では、
これまでの翻訳仕事を取り上げ、
ひとつひとつに、解説や背景、
思うところをつづっている。

このひとつずつを読むだけで
「村上春樹の世界」に入ることが
できる。
それだけで、世界は素敵になる。

「対談」は、「翻訳業の師匠役」
(村上春樹)である柴田元幸との
対談である。

これまでも、村上春樹と柴田元幸は
他の本でも翻訳対談を刊行してきた
けれど、今回は「翻訳クロニクル的
な視点」での対談がくりひろげられ、
世界はまた、それだけで素敵になる。

以下では、ぼくにとっての印象的な
学びと気づきから、ほんの少しだけ
をピックアップ。

 

(1)翻訳の作法について

村上春樹の翻訳により文章が
「村上化」しているという主張に
対して、村上春樹は次のように
語っている。

 

…僕の色が翻訳に入りすぎていると
主張する人たちもいますが、僕自身
はそうは思わない。僕はどちらかと
いえば、他人の文体に自分の身体を
突っ込んでみる、という体験のほう
に興味があるんです。自分のほうに
作品を引っ張り寄せてくるという
よりは、自分が向こうに入って行っ
て、「ああ、なるほどね、こういう
ふうになっているのか」と納得する。
その世界の内側をじっくりと眺めて
いるととても楽しいし、役に立ちます。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

ぼくは、この感覚がとてもよくわかる。

ぼくが翻訳という作業をしはじめたのは、
とりわけ、大学と大学院でである。
仕事ではなく、「課題」のようなものと
してであったけれど、中国文学の翻訳も
あったし、英語論文の翻訳もあった。

論文では、その著者の「論理」の中に
入りこみ、論理をたどった。
その過程で、言葉の「定義」をひとつ
ひとつ確認して、著者の意図に、身体を
投じた。
その中で「行間」が浮かび上がってきた
りした。

ぼくにとっては、翻訳的作業は、
「自分という殻」を一休みして、一旦
外に出るような行為だ。
翻訳はヤドカリの殻の部分をひと時の
間、交換するような作業だ。

村上春樹の言葉とリズムが、ぼくの
身体に、すーっと、浸透してくるのが
わかる。

 

(2)仕事の作法について

柴田元幸との対談の中で、村上春樹は
「翻訳仕事の仕方」を語っている。

村上春樹の「仕事の仕方」に学んで
きたぼくとしては、「なるほど」と
うなずくところだ。

「一日の時間配分」を聞かれた村上は、
次のように応答している。

 

基本的に時間があまっちゃうんですね。
僕はだいたい朝四時頃起きるじゃない
ですか。だから朝のうちに自分の小説
の仕事を済ませちゃうと、あとは時間
があまって……。ジムに行ったり走った
りするのは一、二時間あればオーケー
だから、まだ暇がある。それで、じゃあ
翻訳でもやろうかと思って、ついつい
やっちゃうわけです。…朝のうちは翻訳
はしません。朝は大事な時間なので、
集中して自分の仕事をして、翻訳は午後
の楽しみにとっておきます。
で、日が暮れたら仕事はしない。…

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

「午後の楽しみ」の翻訳は、しかし、
2時間ほどで疲れてしまうようである。

村上春樹の圧倒的な質量の翻訳書は、
この「午後の楽しみ」から生まれている。

 

(3)生き方の作法について

「まえがき」で村上春樹が、翻訳書の
総体を眺めながら振り返る言葉が印象的だ。

 

ここにこうして集めた僕の翻訳書を
順番に眺めてみると、「ああ、こういう
本によって、こうして自分というものが
形づくられてきたんだな」と実感する
ことになる。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

翻訳書のひとつひとつも魅力的だ
けれど、翻訳という作業の総体は
「作家・村上春樹」の生き方を
照らし出している。

「作家・村上春樹」は、翻訳という
丹念な作業の積み重ね(そのうちに
は「壊しては作り直す」作業で一杯
だったとぼくは思う)と、自身の
小説執筆という深い「井戸掘り」の
内に、やはり「創られながら創る
こと」(真木悠介)
という経験を
生ききってきたのだと、ぼくは思う。

ぼくも、そんな経験を生きていきたい
と、村上春樹の翻訳書と本書を前に、
感じてやまない。


追伸:
翻訳書のすべてを読んだわけでは
ないけれど、
ぼくは『グレート・ギャッツビー』
の翻訳が好きです。
スコット・フィッツジェラルドが
書く「冒頭」もすごいけれど、
村上春樹の翻訳する「冒頭」も
すごいです。

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シエラレオネのダイヤモンド、そして「石と花」

西アフリカのシエラレオネで、2017年3月、706カラット(一部のニュースでは709カラット)のダイヤモンドを、牧師が発見した。...Read On.

西アフリカのシエラレオネで、
2017年3月、706カラット(一部
のニュースでは709カラット)の
ダイヤモンドを、牧師が発見した。

世界で、史上10番目にもなりうる
というダイヤモンドである。
タイム誌の記事によると、
US$5000万相当のダイヤモンド。
競売でまだ買い手がつかないようで
ある。

発見された場所は、シエラレオネ
東部の「コノ地区」である。
ダイヤモンド産地として有名な場所
である。

シエラレオネのダイヤモンドは
内戦や紛争の原因であり、資金源で
あった歴史をもつ。

ぼくは、2002年末頃から2003年
途中にかけて、「コノ地区」に駐在
していた。
ぼくの所属する国際NGOは、
難民・避難民の帰還支援として、
国連難民高等弁務官事務所と
共に、井戸掘削事業を展開して
いた。

コノは、当時電気も水道もなかっ
た。
電気はジェネレーターで発電し
水は井戸からであった。

事務所の周辺にはダイヤモンド
鉱山がひろがっていた。
朝から多くの人たちが、
手作りの竹ザルを手に、泥まみれ
になりながら、ダイヤモンド原石
を探していた。

巨大ダイヤモンド発見のニュース
は、ぼくに、コノを思い出させた。

ダイヤモンドは、ただの「原石」で
あるものが、磨きをかけていくこと
で、まさしく「ダイヤモンド」になる。
そこに「夢」と生活をかけて、
今日も、人々は鉱山で泥をすくう。



そのような記憶と、路上に咲く花が、
イメージとして重なる中で、野口晴哉
(「整体」の創始者として知られる)
の文章が思い起こされる。


花は花と見ることによって花である。
石は石と見ることによって石である。
花も石である。
石も花である。

野口晴哉『碧巌ところどころ』
(全生社)

 

この言葉の存在を教えてくれた
社会学者の見田宗介は、「教育や
福祉や看護の仕事に巣立ってゆく
年々の学生たちに、記して贈る
ことば」として、この言葉を次の
ように説明している。

 

野口晴哉がこのことをいう時、
それは美しい理想でもなく
主観的観念論でもなく、人間は
人間が気を集注する方向に変化し
伸びてゆくものだという、現実的
な人間理解と実践知によって
裏打ちされている。石も花として
花開かせるという仕事は、技法が
技法であることの核心をきちんと
通ってつきぬけてゆく気構えだけ
が、はじめて実現することのでき
る冒険である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)


「人」にかかわるものとして、
石を花開かせることを身にひき
うけていく気構えと実践ができて
きたか、と、野口晴哉の厳しく
美しい言葉は、ぼくに問いをなげ
かけてくる。

シエラレオネで
原石がダイヤモンドとして成る。
ぼくは、シエラレオネで、
「支援」という仕事の実践で
石を花開かせることができたか。

香港の路上で、
美しい花を見ながら、
また、香港の「Hong Kong
Sevens」の開幕が、香港の
春の訪れをつげるなか、
そんなことを、ぼくは思っている。

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書籍, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

堀江貴文著『すべての教育は「洗脳」である』-「G人材とL人材」論について、香港で考える。

堀江貴文の新著『すべての教育は「洗脳」である』を、ここ香港で読む。副題は「21世紀の脱・学校論」。...Read On.

堀江貴文の新著、
『すべての教育は「洗脳」である』
を、ここ香港で読む。
副題は「21世紀の脱・学校論」。

日本では題名(とくに「洗脳」と
いう言葉)だけで反論を呼ぶのかも
しれないが、語られている内容は、
「まっとうな分析」である。

学校は、メインストリームの制度に
おいては、産業革命に開かれた社会
の枠組みを超えられずにいることは
確かだ。
(ただし、途上国における教育は、
若干の「留保」が必要であると思う。)

さて、本著作において、ぼくの関心事
とつながるところは、
「第2章 G人材とL人材」である。

堀江貴文によると、
今後、人は、生まれた国・地域に関係
なく、「生き方、考え方、働き方」に
おいて、次のように、大きく二つに
分かれていくという。

●G人材:「グローバル」を行動範囲
●L人材:「ローカル」(地元)に根付く人材

G人材は、彼の言葉では、次のような
人材だ。

 

【G人材】
・人物像:合理的・寛容・フラット
・大切なもの:自分のやりたいこと
・フットワーク:軽い・変化を好む
・豊かさの指標:情報
・こだわる場所:なし
・生きている時間:現在
・希少性:高い

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

もちろん、例外を排除し、理解を
目的として簡素化された人材像である。

彼が本書で何度もくりかえすように、
どちらがよい・悪いということではなく
「生き方」の問題である。


大切なのは、GとLの二つから、
うまみのありそうな方を選ぶ
ことではない。自分のやりたい
こと、大切にしたいものを理解
することなのである。その結果
どちらを選ぶことになろうと、
あなたの”本音”と合致している
限り、幸せな生き方は追求でき
るはずだ。

堀江貴文
『すべての教育は「洗脳」である』
(光文社)

 

上述したように、堀江の「G人材・
L人材」論は、理解のために簡素化
された参照のようなものである。

なお、どちらでもない人は、
「N人材」として説明されている。
Nはnationの頭文字である。

それぞれの特徴の詳細はともあれ、
人材の「二極化」自体は、これから
さらにすすんでいくと思われる。

産業革命が牽引してきた「近代」と
いう時代の慣性、その解体という
力学のなかで、ぼくたちは、価値観
と生き方において、違う極に引き裂
かれている。

それら両極への力学のなかで、
大切なことは、自分の「生き方」で
ある。
世界の編成が目まぐるしく変遷する
なかで、どのように生きていきたいのか
が、いつもぼくたちに、問われている。



ところで、本書で触れられる、
G人材の豊かさの指標に記載された、
「情報」の考え方がおもしろい。

背景として押さえておくことは、
インターネットがもたらしたのは、
情報を、
「所有すべきもの」から
「アクセス」するものに、
変貌させたこと。
つまり、情報革命は、
「所有」の価値を落としたこと。

G人材は、このような、
「アクセスするもの」としての
「情報」に価値をおく、と語られる。

この方向性が内包する「可能性」は、
<消費/情報化社会>の弊害
を解決する•低減する道へと続いて
いるように、ぼくは直感する。

それにしても、
ぼくは、堀江貴文の「口癖」が好きだ。

 

「やればいいじゃん!」
 

何かに迷ったときに、ぼくの脳裡に
この言葉が聞こえる。

本書のメッセージは、冒頭に置かれ
た、この「口癖」にもどってくる。


行動は、いつしか、自分が「あたり
まえ」だと思っていることに疑問を
さす。

その裂け目から、「洗脳」をほどく
糸口がひらく。

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香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

香港で、22年前の「旅」を振り返る - 「人との出会い」を考える。

1995年7月、初めて、香港に来た。飛行機でする旅としても、初めてであった。...Read On.

1995年7月、初めて、香港に来た。
飛行機でする旅としても、初めて

あった。

成田空港から、香港の(今はなき)
啓徳空港へのフライトであった。
今でもいつもそうなのだけれど、
「飛行機」が空を飛ぶという不思議さ
に、当時も思考の迷宮に陥っていた。

前年の1994年の夏は、
横浜港から上海への3泊4日のフェ
リーの旅であったこともあり、
たった3時間半ほどで日本から香港
へ着いてしまうことに、ぼくは
驚くばかりであった。

機内に乗り込む人たちを見ながら、
この人たちは、どんな思いで、飛行機
に乗って香港に向かうのだろうと、
ぼくは物思いにふけてしまう。

その機内で、ぼくの隣の席は、
若い日本人夫婦(のよう)であった。
夫である彼の方が、ぼくに話しかけて
きた。

彼らは中国生まれであった。
小学生くらいまでの人生を中国で
過ごし、それから日本に移った。
ご家族が在留孤児であったようだ。

彼は自衛隊に入隊し、
ひとまずの任期が終わり時間が
できたところで、旅に出たとのこと
であった。

機内ではいろいろな話をした。

自衛隊で、サリン事件で出動した
こと。
また、関西大震災でのことなど。

1995年は、1月に関西大震災、
そして3月には東京でサリン事件
が発生していた。

1995年3月20日、昼近くに、
ぼくは起床。
電車に乗って大学に向かうとき、
ぼくは、その路線のすぐ先で、
朝方にサリン事件が起きたことを
知った。

香港への旅は、同じ年の夏のこと
であった。

彼らに出会えて、いい人たちに
出会えたことを感謝した。

一人旅を通じて、ぼくは、
ほんとうに多くの人たちに出会
えた。
返還前の香港で、中国で、タイで
ベトナムで、ラオスで、ミャンマー
で。

その後も、シエラレオネ、東ティ
モール、香港で暮らしていく中で
いろいろな人たちに出会ってきた。

 

ぼくは「人との出会い」を考える。

第一に、出会ってきた人たちが、
ぼくの「内的な世界」を豊饒に
してくれた。

東京の部屋を出て、世界に飛び出
してみて、ぼくの「内的な世界」
は、いろいろな人たちと出会う中
で書き換えられていった。

「内的な世界」が、砂漠のようで
あるとしたら、
そこに木が植えられ、オアシスが
でき、街ができ、人が行き交い、
そのようにして「世界」ができて
いくようであった。

「自分(という現象)」は、
他者の集積でもある。
他者の「声」が、内化されて、
「自分」という現象が形成されて
いく。

「自分」は、その本質にして、
一人ではなく、他者の集まりで
ある。

出会いが与えてくれたことの
二つ目は、
「いろいろな生き方」や「いろ
いろな人生」があってもよいのだ
という感覚であった。

それまでは、人生は大別すると
二つしかないと思っていた。
レールにのる人生と
レールにのらない人生。
今思うとバカバカしいけれど、
当時のぼくは真剣に悩んでいた。

世界のいろいろなところで
世界のいろいろな国・地域の
人たちに出会う中で、この感覚と
考え方が崩れた。

人生は、カテゴリー化を許さない
のだと。
人の数だけ、人生はあるのだと。

だから、ぼくも、
魅力的な人生をつくっていきたい。
他者の「内的な世界」を豊饒化
するような生き方であり、
人生の数は人の数だけあるという
生き方である。

ぼくの(そして、ぼくと人生の
パートナーの)人生の旅は、まだ
始まったばかりだ。

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海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

聴いて「一石十鳥」のPodcast - Tim Ferris Show & James Altucher Show

「小さなステップ」を踏み出し、歩み続け、切り開いていく道のりで、聴いて「一石十鳥」のPodcastに、ぼくはインスピレーションを受けている。...Read On.

「小さなステップ」を踏み出し、
歩み続け、切り開いていく道のりで、
聴いて「一石十鳥」のPodcastに
ぼくはインスピレーションを受けて
いる。

この二つのPodcast(英語)である。


- The Tim Ferris Show

- The James Altucher Show
 

どちらも、世界のトップパフォーマー
にインタビューを行うPodcast。
作家や大学教授、デザイナーやアー
ティスト、起業家など様々なゲストが
呼ばれる。

週1ほどで定期的にアップロードされ
一話は1時間から2時間である。

一石「十鳥」は、この通りである。
 

1. 「英語」のブラッシュアップ

英語の聞き取りの練習になる。
世界のトップパフォーマーたちの
話を聞きながら英語を学べる。

 

2. 1週間のリズムをつくる

週ごとにアップロードされるので
これを聞くことで、週のリズムを
つくっていくことができる。

 

3. トップパフォーマーの仕事

トップパフォーマーたちの、
それぞれの仕事を知ることができる。
その業界でどのようなことが起きて
今後どのようになっていくのかなど、
最新の「声」を聞くことができる。

 

4. トップパフォーマーの知恵

どちらのShowも、トップパフォー
マーたちの「知恵」を探りだして
いく。
生活習慣から、生きていくことの
アドバイスまで。
ゲストそれぞれの「伝記」的な
話を聞くこともできる。
ぼくもそこから学び、実践して
きている。

 

5. Recommended Booksの充実

ゲストたちは、推薦書籍を挙げて
いく。
このリストはとても充実している。
ぼくも気になるものがあれば、すぐ
に購入して読む。


6. インタビューの仕方の学び

Tim FerrisとJames Altucherの
インタビューの仕方を学ぶことが
できる。
どのようにして、ゲストの話を
聞き出していくか。
うまくいくときもあれば、
噛み合わないときもある。
しかし、質問自体を含め、学び
の多いインタビューである。

 

7. Tim Ferris & Jamesの知恵

インタビューアーである
Tim FerrisとJames Altucherから
も学ぶことができる。

 

8. Podcastの作り方

Podcastがどのように作られて
いくのかを学ぶこともできる。
構成から内容、ゲストの選択や
呼び方まで。
James Altucherは、ブログで
Podcastの作り方・改善の仕方を
共有している。

 

9. Podcastの発展形式

Podcastが、例えば書籍になって
いく過程などがわかる。
Tim FerrisもJamesも、
Podcastの学びをベースに
ベストセラーの書籍をつくり
だしている。

 

10. よりよく生きる「仲間」

Tim FerrisもJamesも、
それから様々なゲストも、
よりよく生きていけるよう、
それぞれに力を尽くしている。
よりよく生きる「仲間」の
ような感覚をもつことができる。

 

「一石十鳥」のPodcastである。
それにしても、Podcastは相当に
パワフルな媒体である。
これが無料である。

今週もたくさんの学びと気づきを
得た。
聞きながら感じたこと。それは
将来、ぼくも、このような
Podcastをつくりたい。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「小さなステップ」を踏み、歩き続け、開いていく - 「世界」の裂け目。

どんなことも、何かを成し遂げるには「小さなステップ」からである。...Read On.

どんなことも、何かを成し遂げるには
「小さなステップ」からである。

「小さなステップ」を踏むことの
大切さは、何度言っても言い足りる
ことがない。
そこで、人生の行く末が決まって
しまう程である。
だから、ぼくは、自分に言い聞かせ
ながら、感覚を大事にして「一歩」
を踏み出していく。

7年程前に、香港で、マラソンに
チャレンジしたときも、
小さなステップを大切に、積み上
げていった。
最初は10分ほどで息をきらして
いたけれど、2年程で、香港の
フルマラソンを完走した。

そして、先月から、
週6日走るように「小さなステッ
プ」を踏んだ。
フルマラソン完走が目的ではなく
人生の舵をきっていくための
「一歩」である。

「小さなステップ」はしかし、
踏むことの先をいくことが大切で
ある。

  1. 「小さな一歩」を踏む
  2. 「一歩」を踏み続ける
  3. 「一歩」の内・外に気づきを得る

一歩を踏み、続けていくことは
もちろんである。
最近では「習慣化」などがよく
語られて、踏み続けていくことに
焦点があてられる。

そこに、もうひとつ3段階目を
加える。

それが、一歩の「内」に気づき
を得ていくことである。
また、一歩の「外」に気づきを
得ていくことである。
そうして「自分という殻」に
裂け目ができていく。

特に、一歩の「外」に気づきを
得ること。
「走ること」を続けていくこと
で、走ることの他に「何か」が
かわっていく。
「姿勢を変えること」を続けて
いくことで、姿勢とは別に
「何か」がかわっていく。
その「何か」をつかむことで
ある。

「自分」というものは、
「システム」である。

真木悠介が名著『自我の起原』で
鮮やかに論じたように、人間の
身体は「共生のシステム」である。

また、自我・マインドも、創出
された「システム」である。

ひとつが変わると、他も変わる。
あるいは、
ひとつを変えてみると、
他も変えたくなる。
その裂け目を、小さなステップ
の中で、つかんでいくこと。
世界を開いていくこと。

真木悠介の名著『気流の鳴る音』
は、次のような言葉の引用で
終わっている。

 

「夜明けの光は世界と世界の
あいだの裂け目だ。それは
未知なるものへの扉だ。」

真木悠介『気流の鳴る音』
(ちくま学芸文庫)

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社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

4年たっても、忘れない動画 -「Creativity x Skill x Heart」がつくりだす感動。

YouTubeでは毎日、数限りない動画がアップロードされている。そのYouTubeの中で、見てから4年たっても、忘れない動画がある。... Read More.

YouTubeでは毎日、数限りない動画
がアップロードされている。

そのYouTubeの中で、見てから
4年たっても、忘れない動画がある。

ぼくは、折にふれて、その動画を思い
出す。

Doveの「Real Beauty Sketches」
である。

2013年に動画がアップされ、以来、
短いバージョン(3分)と長いバージョ
ン(6分)をあわせて、7千万以上も
観られている。

【YouTubeリンク】
- Dove: Real Beauty Sketches (6mins)
- Dove: Real Beauty Sketches (3mins)
- 3分バージョンの日本語字幕版

「Real Beauty Sketches」プロジェ
クトの「すごいところ」は、次の3つ
のポイントに集約される。

  1. 「手法」の斬新さ
  2. 才能の「使い道」の転回
  3. セルフ・イメージの解放

手法の斬新さにはじまり、
「犯罪者の似顔絵師としての力」を
「美しさ」を軸に転回させる仕方に
ぼくは心が動かされる。

参加した女性たちのセルフ・イメー
ジ(ここでは狭義の意味)が、
描くという力で、「見える化」され
ていくことにも、ただただ、感動
してしまう。

その「貧しい」セルフ・イメージが
描く力で、瞬間的に、転回される
光景に、言葉がでない。

映像をつたって、それが伝わって
くる。

そして、これら3つが美しい映像で
紡がれ、そこに「物語」を内包して
視聴者に届けられる。

このプロジェクトを観るたびに、
自分のセルフ・イメージに思いを
よせ、そしてぼくもこんな映像が
つくれたらと思う。

「動画」というメディアは、時代を
経るにつれて、その「影響力」を
増してきている。
SNSでも、ホームページでも、
動画はあらゆる場面でとりこまれて
きている。
VRは新しい世界をひらいていく。

「Real Beauty Sketches」は、
人を、あるいは人との関係性
(セルフ・イメージは本質的に関係
性の投影でもある)を、
クリエイティブに、感動的に、
変える力をもつ。

「Creativity x Skill x Heart」
= 感動(と行動)

感動は、きっと、参加者たちの
行動も創出していったはずだ。

ぼくの「個人ミッション」は、
同じ方向性をもっている。
描く力を魅せてくれたGil Zamora氏
に深く感謝である。

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総論, 成長・成熟 Jun Nakajima 総論, 成長・成熟 Jun Nakajima

ブログを2ヶ月毎日書いて気づいた、3つのこと - 「坂の踊り場」で考えたこと。

ぼくは、ブログを始めて、この2ヶ月間、毎日書いてきた。「坂の踊り場」のような現在の位置で、気づいたことを3つ書いておきたい。...Read More.

ぼくは、ブログを始めて、この2ヶ月間、
毎日書いてきた。

「坂の踊り場」のような現在の位置で、
気づいたことを3つ書いておきたい。

 

(1)生きていくことのリズム

「毎日書く」ということは、生活の
リズムをつくっていく。
毎日運動すること(例えば、走ること)
に似ている。

リズムは、そこに、とても小さい
けれど「足跡」を残していく。
書かれたものが、目に見える形で足跡
を確かに残す。

このリズムと足跡は、日々、自分という
軸をつくり、保持し、修正し、という
果てしない作業において、有益である。


(2)「アンテナ」が世界に放たれる

書くテーマの「アンテナ」が、できる。
世界をみる眼がするどくなる。
些細なものごとにも、物語をみるよう
になる。
学ぼうとする姿勢が強化される。

これは、思っていた以上に大きな効果
であった。
これまでも、いろいろとアンテナを
張り巡らしてきたけれど、さらに
強化されたように感じている。

 

(3)短期・中期・長期のテーマ

ブログは、短期の仕事の「小分け」
のようなものだ。

社会学者の大澤真幸は、著書『考える
ということ』の中で、考えることの
テーマを、短期・中期・長期に分けて
いる。

 

 長期のテーマは…一生考え続ける
もので、したがって、十年以上の思考
の蓄積を必要とする。
 中期というのは、極端に大部では
ない、普通の厚さの一冊の本をイメー
ジするといいだろう。…
 短期というのは、一年未満の仕事で
ある。数ヶ月とか、あるいは来月まで
の締切とか、ときには一週間くらいの
場合もある。

大澤真幸『考えるということ』
(河出書房新社)

 

ブログは短期の仕事の中の、さらに
小分けのように、ぼくには感じる。
ときには、ブログの一節が、もっと
大きな仕事につながる予感を感じさせる
こともある。

ぼくは、ブログを書くことと並行する
ように、中期のテーマを書いている。
ブログはその源泉ともなっている。

大澤真幸がのべているように、
短期のテーマは長期のテーマにつなが
っている。
長期のテーマは「一生のテーマ」である。
ブログは一生のテーマを追いかける、
その一歩でもある。


そして、これからは「個人ブランド」の
時代である。
その一つの土台と基地が、ホームページ
である。

それは「住まい」のようなものでもある。
「住まい」は生き方そのものでもある。
自分の住まいをつくり、他者をそこに
招き入れる。
そして、そこから「何か」が生まれていく。

そんなことを、2ヶ月間、毎日書いてきて、
ぼくは考えている。

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香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「天気がいい/悪い」と、言わないように。 - 自分の中に「地球」を描く。

「天気がいい/天気が悪い」と言わないこと。ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、身についた価値観と感覚を入れ替えることは容易ではない。...Read More.

「天気がいい/天気が悪い」と、言わない
こと。
ぼくはこう決めるけれど、個人史の中で、
身についた価値観と感覚を入れ替えること
は容易ではない。
ここ香港で、ついつい、晴天を待ち望んで
しまう。
気象庁に相当する「香港天文台」も、来週
頭から「天気は回復する(improving)」
と天気予報をつげている。週末は天気が
悪くなる。

天気がいい/悪いという分岐線は、
・晴天がよいこと
・雨天は悪いこと
という価値観を前提にしている。

世界の色々な国・地域を旅し、住み、移動
していくと、雲や雨の大切さが身にしみて
くる。

途上国で仕事をしているときは、
雨がもたらす「水」の有り難さにふれる。
日々の生活につかう水から、農作物が
育つための水。
シエラレオネの井戸水は、雨水が地層に
しみこんで濾過された水である。
東ティモールのコーヒーの木たちが、
コーヒーの実をむすぶために雨の役割は
大きい。
雨がふらないと、水不足で、コーヒーの
精製はもとより、生活水にもこまる。
マレーシアのクアラルンプールでは、
雨がふらないため、断水の時期がある。
ぼくは都会での生活にもどると、水の
大切さ、雨の有り難みがうすれてしまう。

人類は「自然から自立すること」で
文明と近代・現代を築いてきた。
そして「都市生活」が全域化してきたのが
近代であり現代である。
人類は、自然から自立し、しかし
同時に自然が疎遠になり、自然から疎外
される。

「水道」というツール・道具は、
自然からの自立を可能にしてくれた。
しかし、水道水を「当たり前」として
享受する人たちは、水は道具でしかなく
水という自然から疎外される。

現代とこれからの「いまだ名づけられない
時代」は、この自然からの疎外という
関係性を変えていく時代である。

宇宙を舞台にする数々の映画がつくられて
いる。
クリストファー・ノーラン監督の映画
『Interstellar』、マット・デーモン主演
の映画『The Martian』などなど。
それらの映像がぼくたちに感じさせてくれ
るのは、宇宙や他の惑星という視点から
折り返される「地球の美しさ」である。

地球の美しさには、晴天も雨天も、すべて
が内包されている。

宇宙という視点から折り返される「地球」。
世界の様々な国・地域に、様々な仕方で
住む人たちが織りなす「地球」。
ぼくは、そのような風景と感覚を、
自分の経験を媒介にして、自分の中に
とりこんでいく。
イマジネーションを働かせ、自分の内奥に
美しい地球を描いていく。

そのようにして
「天気がいい/悪い」という言い方、
そしてその言い方を支える前提と価値観を
少しずつだけれど解体し、新たな「何か」
を自分の中で生成させていく。

人間の「外部の自然」との関係は、
人間の「内部の自然」(人間の心やマイ
ンド)と、確かにつながっているのだから。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「情報」を判定するための方法 - 経済学者アマルティア・センから学んだこと。

「情報」を判定するための方法のひとつを、ぼくは、経済学者アマルティア・センから学んだ。ある情報が何を言おうとしているのか、何を主張しようとしているのか。...Read More.

「情報」を判定するための方法のひとつを、
ぼくは、経済学者アマルティア・センから学んだ。
ある情報が何を言おうとしているのか、何を主張
しようとしているのか。

経済学者アマルティア・センは、1998年に
ノーベル経済学賞を受賞した。
GDPなどの経済指標だけではない、人間開発の
代替的な指標(「潜在能力アプローチ」)を
提示するなど、理論においても実践においても
大きな影響を世界に与えてきた。

センは、アメリカの心理学者・哲学者であった
ウィリアム・ジェームズの著作『心理学原理』
(1890年)から、こんな言葉を拾い、論文の
中で引用している。


「賢明である技術(art)は、何を見落とす
べきかを知るという技術である。」

アマルティア・セン論文「権利と潜在能力」
(1984年)

 

センがこの言葉を引用する理由は、
「何が見落とされているかを評価することは
何が主張されているかを判定するのにまったく
よい方法であるから」である。

ある情報を手にしたとき、そこには何が
「見落とされているか」を見ること。
見えない言葉を拾うこと。

世界は、毎日、情報を発信し続けている。
メディアのニュースもそうだし、ブログも
そうである。
仕事の中での情報もそうだし、起きる問題も
そうである。

その中で、ぼくたちは様々な「情報」に
出会うことになる。

そんなときに、言われていること、主張され
ていることから目をはずし、「言われていな
いこと」をみる。
普段とは違う「見方」で情報を見る。
目の視点をズラすことで立体像が浮き上がる
3D画像のように。

センが言うように、見落とされているものは
何が主張されているかを判定するのに、
よい方法なのだ。

センは、この方法で、厚生経済学のある「不
可能性」を切りひらくことになった。

日々、世界は、主張でいっぱいだ。
そんなとき、そこで語られていない言葉に
耳をすますこと。
見えないものに目をこらすこと。

ぼくは、こんなことを、経済学者アマルティア・
センから学んだ。

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総論, 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima 総論, 社会構想, 成長・成熟 Jun Nakajima

『包括的な「開発と自由」論」(仮名) - 15年前の「未完」の作業をひきついで。

15年ほど前の2002年1月、ぼくは大学院で修士論文を提出した。タイトルは、『開発と自由~アマルティア・センを導きの糸に~』である。

15年ほど前の2002年1月、
ぼくは大学院で修士論文を提出した。

タイトルは、
『開発と自由~アマルティア・センを導き
の糸に~』である。
経済学者アマルティア・センの研究を題材に、
途上国の開発や発展を「自由」をつくりだす
という視点でとらえなおす試みである。

執筆作業の最後の2週間は、
昼も夜もわからなくなるくらいに
自室で黙々と書いていた。

でも、一つ確かに言えることは、
ぼくは、この修士論文を、書きたくて書いた。
書く必要性があって書いたことである。

大学院の修士課程を修了する必要はあった
けれど、ぼくはそれ以上に、この論文を
書く必要があった。

15年ほどして、その修士論文を読み直す。

気づいたのは、次の通りである。


(1)生き方の基盤づくり

ぼくの生き方の「基盤づくり」となった
ことが、まず挙げられる。

論文完成後の15年にわたる、ぼくの生の
方向性をしめしていてくれたことを、感じる。

納得のいくまで書き上げた文章は、
必ず、ぼくたちの人生を豊饒にしてくれる。

基盤づくりは、大別すると二つの点に
おいてである。

① 内容
② 論文執筆の準備とプロセス

「自由」に関する内容はもとより、
執筆の準備とプロセスである。
その準備とプロセスで得てきたものが、
ぼくの内面の奥に、しずかに積み上げら
れてきたのである。

 

(2)原的には今も変わらない理論

理論は、今読んでも、今の考え方と変わ
っていないことに気づく。

15年の歳月をかけて、ぼくは「経験・体験」
を自身に通して、生きてきた。
それでも、基本の考え方は変わっていない。

ただし、それが「実践」にどこまでうつせ
てきたかは、綿密な分析作業が必要である。
これは、今後のぼくの課題としたい。

しかし他方で、世界は、この15年において
次の時代に向けて大きく変わってきている。

グローバル化は圧倒的なスピードで拡大して
きている

情報技術の進展も、多くの人が予測できて
いなかった。
人工知能は、すでに世界を変えはじめている。
アジアの発展はめざましく、しかし今度は
国単位ではない貧富の差が拡大してきている。

視点を歴史にうつすと、Yuval Harari氏が
いうように、飢餓・伝染病・戦争は、管理
可能な課題に移行をしてきたのが人類である。


そして「現代」は、社会学者の見田宗介が
いうように、「近代」の最終局面にある
<過渡期>としてとらえられる。

次なる局面に、どう移行していけるだろうか。
 

(3)「終章」の存在

修士論文の終章は、ぼくに次の「課題」を
あたえていたことに気づく。

終章は「包括的な『開発と自由』論(仮名)
に向けて」と題されている。

そのようなことを、ぼくはすっかり忘れて
いた。

時を経るうちに、記憶は終章の存在を、
ぼくの無意識に、そっとおさめていたのだ。

村上春樹の著作が、第二部でいったんおわり
続編である第三部がでるかでないのかわから
ないのとは異なり、ぼくは、明確に、次の
課題を記載していたわけだ。

ふと修士論文を見たくなったのは、
もしかしたら、この終章がぼくを呼んでいた
のかもしれない。

ぼくの無意識がなんらかの理由で、
この記憶を意識下におくりだしたのかも
しれない。


人生には、ぼくたちは多くの「未完」を
無意識にしまってあるのかもしれない。

無意識の地層で、ときにゆっくりと眠り、
ときにゆっくりと熟成されていく。

そして、ときに、なんらかの磁場のなかで
それらは意識に浮上してくる。

だから、ぼくは、意識下におくりだされた
この記憶を頼りに、この「終章」を、
なんらかの仕方でひきついでいく方途を
さがしはじめている。

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ひとに「伝える」ことができるとしたら -「伝える技術」の一つ下の地層で。

「伝える技術」的な書籍がポピュラーである。

ぼくも、日々の生活のなかで、いろいろと
参考にしている。
佐々木圭一『伝え方が9割』など、実際の
実践につなげていくべきところが多い。

そもそも本を読む人は意外に少なかったり
する。
また、本を読んだとしても、ぼくを含めて
多くの人が、読んで終わりになりがちで
ある。
内容を実践にうつして、試行錯誤のなかで、
じぶんなりの仕方を身につけていくことが
何よりも大切である。

このような書籍がポピュラーである背景
には、コミュニケーションのむずかしさ
がある。
コミュニケーション能力が、さまざまな
場と局面で求められている。

ひとに伝わらない苦々しい経験と
もどかしさが、伝える方法・仕方の学び
を求める人たちをひきつけていく。

「伝える」ということを考えるとき、
ぼくの脳裏には、社会学者・真木悠介
の文章が浮かぶ。

「エローラの像」という文書で、
真木悠介著『旅のノートから』(岩波
書店)に収められている。

真木悠介は、インドにあるエローラ石窟
群にある「teaching Buddha」という
像から、「伝える」が成り立つことの
「秘密」をとりだしてきている。

この「teaching Buddha」は、3つの
像があり、それらは「教える」という
ことに至る3つの姿勢を形づくっている
という。

 

 最初にあるのが ”giving Buddha” -
「与えるブッダ」、あるいは自分を
「明け渡す」という姿勢。自分を

オープンにするという姿勢である。
次にあるのが ”touching Buddha” -
「触れる」ということ。相手に触れる。
ということである。「心に触れる」
「魂に触れる」という日本語がある
ように、そしてtouchという英語も
また、感動させる、心に触れるという
意味があるように、元々は相手の身体
に触れる、じっさいに触れるという
具体性からくるのだろうが、とにかく
相手の存在の核の部分に「触れる」と
いうこと。このことが次にある。
teaching pose - 「教える」という
ことが可能になるのは、この2つの後
ではじめて成り立つことである。

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
 

教える、つまり「伝える」ということは、
与えること、それから触れることがあって
はじめて成り立っていく。

伝えることができない苦々しい経験の
只中で、ぼくは、この「秘密」を思い出す。

「技術」「術」などのハウツーの手前、
一段下の地層において、ぼくは、自問する。
相手に与えることができているか。
オープンになれているか。
相手の心に触れることができているか。

「方法」は「姿勢」がともわないと、
ぼくたちを、伝わらないことの、あの苦々
しい経験のなかに、おきざりにしていく。

だから、今日も、ひとつ下の地層を、
ぼくは掘っていく。

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香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima 香港, 海外・異文化, 成長・成熟 Jun Nakajima

「香港」にたどりつくまで - 願いと予感が導くところ。

2007年に、ぼくは「香港」にうつった。
10年前のことである。

どのようにして「香港」にたどりついたのだろう
と考える。
成田空港から飛行機にのってやってきたし、
香港を住む場所として「選択」をしたことも
確かだ。
しかし、表層ではなく、すこし深い「心の地層」
において、ぼくはどのようにして「香港」に
たどりつくことになったのだろうか。

 

(1)香港への「予感」

香港にはじめてきたのは、さらに時間をさか
のぼる1994年。
大学の夏休みに、飛行機にはじめてのって、
ぼくは香港におりたった。
香港から広州、広州からベトナム、そしてその
ルートから香港へもどってくる一人旅であった。

香港のTsim Sha Tsuiのヴィクトリア湾に面す
プロムナードから香港島のビル群を見渡した。
そのときに、ぼくは、香港に仕事でくるような
そんな「予感」を感じたのだ。

香港はまだ中国への返還前であった。

それから、ぼくは香港とはまったく関係のない
「途上国」での仕事にかかわっていく。
香港からは程遠い世界だ。
2006年、ぼくは、東ティモールで、銃撃戦の
なかにいた。

翌年2007年、仕事がおちついたところで、
ぼくは香港に拠点をうつすことになった。

 

(2)海外への「願い」

「香港への予感」をさかのぼり、大学時代の
一人旅からもさらにさかのぼっていく。

ぼくは、中学生か高校生のときだったか、
卒業文集に「将来の自分」をイメージして
書いていた。

手元には、そのときの文集はないけれど、
ぼくは、「世界をとびまわっている」と
書いていたことを覚えている。

将来にたくした「願い」だ。

文集に書いたことを思い出したのは、
NGO職員として、アフリカやアジアを
行き来していたときだったかと思う。

ぼくの願いに「詳細」はなかったけれど、
願いは現実になっていくものだ。

「願い」と「予感」。

ぼくのなかで、これらが化学反応をおこし
ぼくを香港へとおくりだしていった。

あるいは、ぼくが、自分の人生という
「物語」のなかで、勝手にストーリーを
つくっている。

だから、ぼくは、願いと予感を丁寧に、
これからの未来をえがく。
キーボードをタイプし、字を書くこの
手を大切にしている。

香港の街を一人歩きながら、
ぼくは、ふと、そんなことを考える。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「目新しいものはなにもない」と言わない・考えないための、3つの自問。

ぼくもかつてはそうであった。

話を聞いたり、本を読んだりしてから、
それらの内容に新しいものがないと
「目新しいものはなにもない」と口にしていた。
「(誰それと)同じことを言っている」などと
そこで考えることをやめてしまうこともあった。

でも、いつしか、この言い方や考え方は
じぶんにとってよくないな、と考えるように
なった。
意味がないだけでなく、弊害を生む考え方で
ある。

この言い方や考え方は、
じぶんは「知っている」という立場にいる。
でも、問われるのは、
「ほんとうに知っているのか」ということで
ある。
また、知っているとして、それに沿ったように
何か「行動しているか」ということである。

「目新しいものはなにもない」という人の
多くは、そこで思考も行動もストップして
しまっていることが多い。

ぼくは、このように考えがちなときに
ぼくのマインドにうちかえす問いを即座に
はなつようにしている。

 

(1)ほんとうに「同じこと」か?

「同じこと」であっても、もう少しうがって
みてみる。
ほんとうに同じことであるのか。
同じことのどこに焦点をあてているのか。
同じことに辿りついた経験や体験は。
などなど、一見同じことにみえても、差異が
あったりする。

 

(2)「同じこと」の展開の仕方はどうか?

同じことであっても、本を出版していたりする。
同じことを、ブログで述べていたりする。
それでも、注目を集めたりしていることもある。
同じことであっても、展開の仕方を学ぶことが
できる。

 

(3)じぶんが行動しているか?

目新しいことではないと切り捨ててみたところで
じぶんは行動にうつせているのか問うてみる。

「こんな内容であれば、じぶんでも本を書ける」
と豪語したところで、じぶんは書いているだろうか。
同じことを言っていても、書いていても、その
発信者は少なくとも「行動」をおこしている。
人の差は、行動をおこす・おこさないの差であった
りする。

そして、行動をおこせていないときには、ほんとう
に内容を理解していなかったりする。
内容が「頭での理解」にとどまっている可能性がある。
理解は、頭だけでなく、心、そしてお腹にまで
おとしていくことが大切である。

 

世界は、情報技術の発展とともに、ますます
多くの人たちがじぶんの意見や方法を、
世の中に発信してきている。
目新しいこともあれば、これまで聞いていた
ことと同じ(ような)こともある。

そんなときに、じぶん自身に問い返したい。

そして、じぶんは理解できていても、
また、じぶんは行動していても、それらを
一歩先に踏み込んで、他者にひろげていく
ことも大切である。

だから、「目新しいものはなにもない」と
いう思考停止・行動停止の「呪文」は、
言わないことである。

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