香港で、「海景」をきりとってみる。- 写真家・杉本博司の「海景」の想像力と視力にあこがれながら。
香港の風景は、「霧」に包まれている。霧が風景を覆い、窓から見渡す限り、霧である。
香港の風景が、今日は濃い「霧」に包まれている。
霧が風景を覆い、窓から見渡す限り、霧である。
湿度もいっぱいに上がり、ときおり、霧に混じるようにして小雨がちらつく。
香港島と九龍側を隔てる海域も霧がたちこめ、ときに、いつもはすぐそこに見える風景が見えない。
そんな海を見ていると、そこは海岸線の涯てのようだ。
海上にたちこめる霧の先には、ただ、広い海原がひろがっているような感覚がどうしても、ぼくから離れていかない。
そのような風景にカメラを向けたときに思い出したのは、写真家の杉本博司の写真である。
杉本博司は、1970年代にアメリカ、そしてニューヨークに移り、写真家としての道をあゆんでいく。
杉本博司の作品群のなかに「海景」のシリーズがあり、そのミニマルだけれど、どこか人の深いところとつながるような写真は、ぼくの深いところをうつ。
杉本博司の写真集『海景』に掲載される、見田宗介の文章は、1976年のニューヨークで、偶然のようなことで初めて杉本と出会った見田宗介の回想がのせられている。
当時はまだ若く貧しく無名の杉本博司は、倉庫を改造したような建物に住んでいたのだという。
建物と外をつなぐ階段はコンクリートの打ち放しのものだけれど、杉本博司はそのコンクリートに、ふつうの人はみないものをみていたことを、見田宗介は思い起こしている。
…階段のコンクリートの水やひび割れの作る微細なしみたちをよく記憶していて、いろんな生命や静物の饗宴をそこに見ていた。とりわけお気に入りの立派な馬がいて、下の階からの踊り場を曲がる以前から、あそこには馬がいるのだと予め高揚していた。…その反還元的情熱は、この時代までのニューヨークの前衛のコンテンポラリーを志向するアーティストたちとは異質のものだったと思う。むしろ天空のランダムに散乱する星たちの中に、馬だの射手だの楽器だのの饗宴を見る文明の原初の人々の想像力に近いものだった。…
見田宗介「時の水平線。あるいは豊饒なる静止」『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店
霧がいっぱいにはる香港の海を見ながら、そこには饗宴という名の物語が生まれてくるような予感をいだきながら、ぼくはカメラを海に向けた。
そうして、ぼくは、香港の「海景」を写真できりとってみる。
杉本博司の写真集『海景』シリーズのモチーフは、「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」という自問であったという。
<原始人の見ていた風景>という、魅力あふれるイメージと想像力は、<打ち放しのコンクリートの階段に饗宴を見る視力>の戯れである。
このような想像力と視力に、ぼくは、あこがれる。
「五感の序列性」と、生きること。- 仏教の五根、ブリューゲルの5枚連作「五感」。
よりよく生きていくことにおいて、人間の「五感」の問題はとても大きな問題としてあるように、ぼくは思う。
よりよく生きていくことにおいて、人間の「五感」の問題はとても大きな問題としてあるように、ぼくは思う。
真木悠介は、「近代」のあとの世界と生き方を構想するなかで、この問題にふれている。
「われわれの文明はまずなによりも目の文明」であると真木悠介は述べながら、人間における<目の独裁>から感覚を解き放つことで、「世界」は違った仕方でぼくたちに現れることについて、書いている。
…<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。
人間における<目の独裁>の確立は根拠のないことではない。目は独得の卓越性をもった器官だ。
真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
<目の独裁>の根拠にかかわる例として、真木悠介は「仏教における五根」の序列性を挙げている。
仏教では五根を「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)」というようにならべるように、この配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が、確かに、自然であるように思われる。
このことを西洋美術史を専門で学んでいる友人に伝えたら、この「五感の序列性」(「視覚」の至高性)が、西洋の思想にもあることを教えてくれた。
事例として教えてくれたのは、17世紀の絵画における、ブリューゲルの「五感」という5枚連作。
これら5枚のすべての絵画作品において、背景に庭があり、建物のなかに女性とキューピッドがいる。
おもしろいのは、それぞれの作品に五感のアレゴリーが散りばめられていること(例えば、絵のなかに描かれる「絵画」=視覚)、また、例えば、「触覚」では廃墟がみえるなど、「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の序列性が見てとれることである。
また、五感と「対象との距離」という視点からもこれら5枚連作が読みとれるということに、ぼくは心地のよい驚きを覚えた。
真木悠介は、五感と「対象との距離」について、配列(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、「対象を知覚するにあたって主体自身が変わることの最も少なくてよい順」だろうと書いている。
「身」による認識においては、「知ること」と「生きること」がほとんど未分化なのに対し、「視覚」においては、<生きること>と<知ること>の乖離が最大化することを、真木悠介は指摘している。
そのことは、視覚優位の現代社会では、<知ること>とから<生きること>への道のりを、ぼくたちは心してあるいていくことを示してもいる。
ぼくが「五感」ということを客観視して見るようになった契機は、アジアへ旅するようになってからであった。
船や飛行機を降りたときに、日本とはあきらかに異なるにおいが嗅覚を刺激し、街や通りなどの異なる音たちに身体がさらされる。
そのような体験であった。
近年の「情報テクノロジー」の発展は、ぼくたちの五感をさらに「視覚」へとおしこめてしまうような磁場をもっている。
松岡正剛は、ブログ「千夜千冊」でデリック・ドゥ・ケルコフ『ポスト・メディア論』にふれながら、「知覚とメディアの関係」という問題に直球のボールを投げ込んでいる。
直球のボールは、さまざまな人たちによって、さまざまな企ての形でも投げ込まれている。
ドイツを発祥の地とする「Dialogue in the Dark」は、ここ香港でもあるけれど、<目の独裁>をふつうには得られない次元の「暗闇」によってくずすことで、ぼくたちに気づきの体験を与えてくれる。
真木悠介が40年前に「<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと」と提示した生き方の作法は、今もなお(あるいは今だからこそ)、ぼくたちの「生き方の道具箱」のひとつにおさめておくことができる。
「silence(沈黙・静寂)」のこと。- フレッド・ロジャース、ジョン・ケージ、見田宗介。
「silence」(沈黙・静寂)ということをかんがえる。
「silence」(沈黙・静寂)ということをかんがえる。
「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組の司会者であった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)は、かつてインタビューで、現代社会が、「wonder」(おどろき)ではなく、あまりにも「information(情報)」にばかり関心をもってしまっていること、また「silence(沈黙・静寂)」ではなく、あまりにも「noise(ノイズ)」に充ちていることに対して、警鐘をならした。
ロジャースの静かだけれど凛とした声は、ぼくの心に直接に届くひびきをもって、伝わってくる。
「沈黙」でつらぬかれた有名な作品「4’33’’」を創った音楽家のジョン・ケージにとって、沈黙はいわゆる沈黙ではない。
…ジョン・ケージは沈黙は環境に存在するあらゆる音の一瞬の総和であると語った。彼は同じことを、「沈黙は生きている」と表現することもできた。
デリック・ドゥ・ケルコフ『ポストメディア論』NTT出版、1999年
沈黙が、時空間の「欠如」と捉えられがちな現代とは異なり、そこには「あらゆる音の一瞬の総和」とみる反転の視点が鮮やかに提示されている。
沈黙におかれるとき、ぼくのなかでときおり、ジョン・ケージのこの反転の視点があらわれる。
「愛の変容/自我の変容」と題された文章で、社会学者の見田宗介は「現代短歌の感覚と思想」を追いながら、最後に二つの短歌を取り上げて、そこに、現代を超えていくことのある種の「乗り越え」のイメージをとりだしている。
ためらわず車椅子ごと母を入れナース楽しむねこじゃらしの原 吉田方子
「愛」ではなく奉仕ではなく献身ではなく親切ではなく感謝ではないような仕方で、三人は自由に結び合っている。ねこじゃらしの原に酩酊することで、人と人との間にしかれているという国の境を越境している。
それぞれにそれぞれの空があるごとく紺の高みにしずまれる凧 渡辺松男
<孤高>ではなく<連帯>ではなく、複数の存在が存在しきっている仕方。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年(※その後、見田宗介『社会学入門』岩波新書に加筆して収録)
「ねこじゃらしの原」も、「紺の高み」も、いずれも、ノイズではなく、沈黙・静寂のなかに風景がおかれている。
しかし、その静けさは、関係の冷たさを体現するものではなく、逆に、関係の「境界線」がなくなってしまうようなところに顕現している。
20年程前に、ニュージーランドの自然を歩きながら、人は静寂や寂しさのようなものを克服する(逃れる)ようにして「都会」をつくったのかもしれない、という想念がかすめる。
都会の喧騒と彩りがとても魅力的に映り、また都会に戻って来るとぼくの自我は「安心のような感情」を抱いたりする。
しかし都会に長くいると、そのノイズに疲れてしまう。
今は、都会と自然という切り分け方そのものが、「情報テクノロジー」の世界のなかでは、その境界線をあやふやにしている。
どこにいても、人はいつのまにか「情報の渦」のなかに投げ込まれてしまう。
だからときには(あるいは日常に)、「沈黙」に身体をさらしたい。
それは欠如に身をおくことではなく、「あらゆる音の一瞬の総和」とでも呼べるような、また存在の境界線がなくなるような、そのような時空である。
「存在の海の波頭のように自我がある」(見田宗介)。- 「じぶん」という問題を問いつづけながら。
ぼくが小さい頃から格闘してきた「問題」のひとつとして、「エゴイズム」の問題がある。
ぼくが小さい頃から格闘してきた「問題」のひとつとして、「エゴイズム」の問題がある。
じぶんを守ろうとしてしまうじぶん、しかし逆に、じぶんをどこかおしころしていってしまうじぶん。
ときに、「じぶん」という枠が牢獄のようにも思えて、とても苦しくなってしまう。
ぼくから誰かに積極的にたずねることはしたわけではないけれど、学校の授業も、大人も、誰も、ぼくが納得のいく仕方で語ってはくれなかった。
だから、じぶんの経験をたぐりよせながら、かんがえるのだけれども、今おもえば、思考は「じぶん」の内部でめぐるだけのようであった。
時がすぎ、大学を休学してニュージーランドに住み、大学に戻ってから、ぼくは「本」を読むようになった。
その折に出会ったのが、真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)であった。
人類学者カルロス・カスタネダの著作を素材に、おどろくほど明晰な「世界」がそこに描かれていた。
メキシコのヤキ族の老人の生きる世界では、<ナワール>と<トナール>というように語られる世界のあり方がある。
<トナール>とは、社会的人間のことであり、いわば言語でつくられtら「世界」である。
他方、<ナワール>は、「<トナール>という島をとりかこむ大海であり、他者や自然や宇宙と直接に通底し「まじり合う」われわれ自身の本源性」であるという(前掲書)。
社会学者の見田宗介(=真木悠介)は、このことの「イメージ」を、小阪修平との対談で、次のように語っている。
…あんまり考えなしに、感じだけを乱暴に言うと、ぼくの感じで言うと自然というのは内部だという気がして…。つまり、わたしは自然だという感じかな。…体感としていうと、<私>は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちのさまざまなかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと。
だから、ぼくにとっては、ことばとか観念のほうが外部という感じになる。
…
自我というのは宇宙の海の波みたいなもので、波が自己絶対化して自分自身の形に執着する場合に、明晰な波は自分の運命が数秒間にすぎないことを知っているから虚しいというニヒリズムを感じるわけです。海とたたかう波として近代的自我というのがあるというイメージが、ぼくにはあるんです。
見田宗介『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社、1986年
<わたくし>という現われは、大海に忙しなく行き来する「波」のようなものとして感覚されている。
それは、デカルトにはじまる西洋の近代化を支えてきた近代的自我の精神が、ことばとか観念を「内部」としてその外に身体や自然や宇宙を置くのとは、逆転したようなイメージとしてある。
ぼくにとって、このイメージはすーっと納得できるものであったし、ときにやりきれなさを感じてきた「じぶん」をかぎりなく広く捉える視野であった。
見田宗介が名著『宮沢賢治』の第一章の冒頭に、宮沢賢治の有名な詩集『春と修羅』の序、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い証明です」という一節を置いているけれど、そこでも、いわば「海の波」のように、やってきては消えまたやってくるようなイメージが重ねられている。
このような、「存在の海の波頭のような自我」について、見田宗介は次のようにも書いている。
存在の海の波頭のように自我があるのだとわたしは思っているのだけれど、海が「主体」で、波としての自我を「外化」したりするわけではない。海はただ存在し、その存在のゆらめきとして波は立ち現われ、光って、消えてゆくだけである。
波がじぶんのつかのまの形(ルーパ)に執着し絶対化して、海と闘おうとするときに、波は勝手に自分自身を海から<疎外>するだけである。
見田宗介「<透明>と<豊饒>について」『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』所収)
「存在の海の波頭のような自我」のイメージはその後の見田宗介の仕事に光をあたえながら、小阪修平との対談から7年後の1993年に、真木悠介名で名著『自我の起原ー愛とエゴイズムの動物社会学』を書き上げる。
この著作の表紙は「波の写真」であり、裏表紙はしずかな「大海の写真」である。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の論理のもつれを、さらに徹底させていくことで、「利己/利他」の地平をきりひらく『自我の起原』は、ぼくが小さい頃からなやんできた「じぶん」という問題のありかと、そこにひらかれている可能性(と不可能生)とを、明晰な仕方で提示してくれた。
じぶんがなやんでいることは、世界のどこかで、あるいはこれまでの歴史のなかの世界で、きっとだれかが、正面から立ち向かっていっているものだということを、ぼくは心づよく思ったし、今でもそう思っている。
そこに生きるうえでの「解決」はなくても、知識や知恵としての、あるいは問いとしての「糸口」がある。
生きることの矛盾をひきうけながら、そこをどのように生きていくのかが、ぼくたちのひとりひとりに問われている。
そして、河合隼雄が言うように、その矛盾をひきうける「生き方」に、ぼくたちひとりひとりの<個性>が現れてくるのだと思う。
<透明>と<豊饒>とは対立するのか?- 社会学者・見田宗介の思考にそいながら。
「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた。
「森のイスキア」を主宰していた佐藤初女は、かつて、<透明であること>を生き方としていた(ブログ:<透明>にみちびかれていく生。- 佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の生き方にふれて)。
佐藤初女の書くものを読みながら、ぼくは、社会学者の見田宗介が1980年代に行った対談の「あとがき」として書いた文章、「<透明>と<豊饒>について」を思い起こしていた。
そこで、見田宗介は、自身としては<透明>にあこがれるのも、<豊饒>に魅かれるにもあるとしながら、そもそも<透明>とは、<豊饒>とは何だろうかと問い、これらが思想の二つの体質のようなものとして対立するものであるかどうかを考えている。
ぼくはもう一度、この対談と「あとがき」を読み返し、そこで展開されるかんがえ方と論理の明晰さに、圧倒される。
この文章は、小阪修平との対談(『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社)の後に、小阪修平による見田宗介の著作『現代社会の村立構造』(筑摩書房、1977年)への批判への議論として「あとがき」に書かれている。
小阪修平はヘーゲル哲学を下敷きとしながら、「外化ー内化」の論理が、世界を透明化することで豊饒をきりつめる論理ではないかとしてふれたことにたいする応答である。
見田宗介は、ヘーゲルからサルトルにまで至る近代西洋哲学の論理をおさえながら、その論理をひとつひとつ解きほぐしながら、また透明と豊饒という絡まった糸も解いていく。
ここではその詳細には立ち入らないけれども、解きほぐされていく論理と、その論理に「出口」が見いだされる仕方は、鮮やかである。
ひととおり、近代的自我の「論理」を追ったあとで、見田宗介はふたたび、<透明>であること、<豊饒>であること、をかんがえている。
サルトルにとって、つまり、透徹した近代的自我の哲学にとって、自己だけが自己にたいして「透明」であった。けれどほんとうに、自己は自己にたいして透明か?あるいはほんとうに、他者は自己にたいして不透明か?あるひとにとって、「自己」もまた不透明であると観じられ、また感じられる。あるひとにとって、「他者」もまた透明であると観じられ、また感じられる。
<透明>とは対象や世界に固有する属性ではなく、ひとつの主体に、対象や世界がたち現われてくる、たち現われ方のひとつの様相である。あるいは主体が、ある対象や世界に向って開かれている、その開かれ方のひとつの様相である。<豊饒>もまた同様である。
見田宗介「<透明>と<豊饒>について」『見田宗介ー現代社会批判 <市民社会>の彼方へ』作品社(見田宗介『定本 見田宗介著作集X』所収)
佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、対象と世界は、透明にまた豊饒に、立ち現われていたのだと、ぼくは思う。
対象と世界が透明にまた豊饒に立ち現われるのは、佐藤初女がそれらに向って開かれているからである。
佐藤初女は「生物多様性」へ視線を向けながら、対象や世界の豊饒さにも開かれている。
佐藤初女が<透明であること>を生きるとき、透明と豊饒がともに現われるようなところに、佐藤初女の生をみちびいていったのだと、ぼくは彼女の語りに耳をすましながら、思う。
現代社会における「声と耳」(見田宗介)という視点。- 「ワークライフバランス」を一歩引いて考えながら。
「ワークライフバランス」論ということを、いろいろと考えている。
「ワークライフバランス」ということを、いろいろと考えている。
日本でもここ香港でも、この「標語」ほどひろく社会にいきわたり、賛否両論を起こし、またのりこえの方途の議論を活性化してきたものは、最近ではあまりないのではないかとも思う。
違和感の表明と新しい方向性の積極的な展開として、例えば、落合陽一が提唱するような「ワーク”アズ”ライフ」ということがあったりする。
基本路線においては賛同するところでもあるのだけれど、一歩踏みとどまって、視界をひろげることで、「ワークライフバランス」を考えている。
一歩踏みとどまって考えるとき、ぼくが「分析」をしたいと思ったのは、この標語や賛否や新しい方途は、誰が、誰に向かって、何を意図して語っているいるのだろうか、ということである。
「働くこと」のいろいろな形態と形式と内容を一緒くたにして語るのは性急にすぎる。
そんなことを考えながら、再び読み直したのは、社会学者である見田宗介の初期著作と「現代文化の理論」に関する論考である。
見田宗介の初期著作や論考は、後期の著作群からは思いもよらないほど、「現代日本」の諸相と内実、ひとりひとりの発する声に迫っている。
もうひとつは、「現代文化の総体的な理論」の助走として書かれた、「声と耳 現代文化の理論への助走」(初出:『岩波講座 現代社会学』第一巻「現代社会の社会学」岩波書店、1997年)である。
この論考は、「難解」であるとして岩波新書から出された『社会学入門』(岩波書店、2006年)からは外されたが、著作集の第Ⅱ巻において「声と耳ー現代思想の社会学Ⅰ:ミシェル・フーコー『性の歴史』覚書ー」と改題され所収された。
フランスの思想家ミシェル・フーコーの「権力」にかんする理論にふれながら、見田宗介は次のように書いている。
権力は耳である。このことをフーコーは見事に論じた。権力はひとに「真理」を語らせる。このことをとおして権力は、「真理」を発見する「主体」としてわれわれを構成してしまう。…ところで、大衆もまた耳である。大衆はひとに「真理」を語らせる。このことをとおして大衆は、「真理」を発見する「主体」としてわれわれを構成してしまう。…権力もまた大衆も、同じひとつのもののそれぞれの器官に他ならないからです。…
方向をもった耳のうしろにはどんな耳でも…、方向をもった身体がある。
見田宗介「声と耳ー現代思想の社会学Ⅰ:ミシェル・フーコー『性の歴史』覚書ー」『定本 見田宗介著作集Ⅱ』岩波書店、2011年
「どんな思想も、通俗化という運命を逃れることができない」と、見田宗介はこの論考を書き出している。
仏教やキリスト教、プラトニック・ラブやエピキュリアン、マルクス主義やフロイト主義などを、「ある特定の方向に一面化し、単純化し、平板化することを愛好し、必要とさえする力」が、それぞれの時代の社会の構造の力学に根拠があることへと、読者の視点を向けさせている。
「ワークライフバランス」ということも、その言葉が取り出され、使われ、一面だけが語られ、単純化されて語られることは、時代の社会の構造に力学を持っている。
「方向をもった耳のうしろ」には、方向をもった身体がある。
また、そもそも「ライフ=生」ということで見るながら、「ワークライフ」という並置はおかしいにもかかわらず、そのように感覚する「身体たち」をつくってきた社会の構造も、丁寧に取り出されなければならない。
「ワークライフバランス」を一歩引いてみながら、どのような力学のダイナミズムが動き、誰が、誰に向けて、どのように語っているのか、誰が特定の方向に耳を向けて聴いているかなどを、丁寧に取り出していく。
議論が一面的にならないよう、また「未来」という方向性をただ今あることの「否定」という仕方にならないよう、ぼくは「声と耳」の身体のありかを確かめながら、考えている。
生の道ゆきで出会われるものや他者への深い共感に支えられて。- 石牟礼道子、真木悠介、河合隼雄の文章との対話から。
いつの頃からだったか、生きていくなかで、「死」というものを、じぶんの近くにかんじるようになった。
いつの頃からだったか、生きていくなかで、「死」というものを、じぶんの近くにかんじるようになった。
小さい頃から猫や犬たちと暮らす中で、彼女/彼らの死に幾度も立ちあうなかで、ぼくの小さな感性が感じ取っていったものかもしれない。
そのような感覚が心の奥深くにつみかさなっていて、忘れているときも多くあるのだけれど、いろいろな場で表層にわきあがってくる。
現実のなかで、人の死に直面したり、死がまぢかであるような環境におかれて、そのような感覚に光があてられる。
死の恐怖みたいなこともあるのだけれど、他方で、その感覚は違った方向につれだすことになったように思う。
世界でいろいろな人たち(また美しい自然や生き物)と出会うなかで、ぼくたちはだれもがつかの間の生を生きていることを、強く感覚することがある。
その感覚は、その場と出会いを、とても愛おしいものとして照らし出す。
日本で、香港で、東ティモールで、シエラレオネで、ニュージーランドで、ぼくはときおり、そのような感覚に包まれる。
作家の石牟礼道子の作品『天の魚』(講談社)で書きつけられる文章にふれて、社会学者の真木悠介は、次のように書いている。
ここではわれわれの生が死のまぢかにあること、われわれの生の日がつかのまであることが認識され、実感されている。けれどもそれは…索漠たる虚無の感覚にむすびつくのではなく、反対にその生きられる刻と、出会われるものや他者へのかぎりなく深い共感にうらうちしている。…感覚の麻痺や強迫的な信仰や論理のレトリックによるどのような自己欺瞞もなしにわれわれを死の恐怖と生の虚無から解放するのは、存在に向かってひらかれたこの共時性の感覚である。
真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店
石牟礼道子の視線は、われわれ生きるものすべての生がつかの間であることを認識しながら、また「人類」そのものが永遠でないものとして感受されている。
それらはしかし、真木悠介が語るように、虚無の感覚にむすびつくのではなく、「生きられる刻と、出会われるものや他者へのかぎりなく深い共感」に彩られている。
心理療法家の河合隼雄が作家の小川洋子と対談をするなかでも、この「深い共感」にかさなる感覚が共有されている。
小川 …魂と魂を触れあわせるような人間関係を作ろうというとき、大事なのは、お互い限りある人生なんだ、必ず死ぬもの同士なんだという一点を共有しあっていることだと先生もお書きになっていますね。
河合 やさしさの根本は死ぬ自覚だと書いてます。やっぱりお互い死んでゆくということが分かっていたら、大分違います。まあ大体忘れているんですよ。みんなね。
…
小川 あなたも死ぬ、私も死ぬ、ということを日々共有していられれば、お互いが尊重しあえる。相手のマイナス面も含めて受け入れられる。
河合 それで、そういう観点から見たら、80分も80年も変わらない。…そのひとときが永遠につながる時間なんです。
河合隼雄・小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫
「永遠につながる時間」は、真木悠介の言う「存在に向かってひらかれた…共時性の感覚」である。
石牟礼道子、真木悠介、河合隼雄といった人たちの書くものの基底にはいつも、「われわれの生が死のまぢかにあること、われわれの生の日がつかのまであること」の感覚がしずかに、そして暖かくおかれている。
その感覚はもちろん虚無につながる感覚ではなく、生そのものを祝福する感覚だ。
石牟礼道子の文章と「視線」。- 見田宗介=真木悠介の思想と交響する唄。
小さい山に周りを囲まれた海が空からの光をきらめきで映し、遠くにかすれるように大海がひろがっている。
小さい山に周りを囲まれた海が空からの光をきらめきで映しかえし、その遠くにはかすれるように大海がひろがっている。
このような風景を見るとき、日本の九州の「不知火の海」が風景に重なって、ぼくには見える。
不知火海を、ぼくは実際に自分の眼で見たわけではないけれど、作家の石牟礼道子の作品にあらわれるものとして、ぼくの「眼」をつくっている。
ぼくの眼に「石牟礼道子の眼」が重ねられるのだ。
不知火の海は「水俣病」が発生したところである。
ぼくが「不知火の海」を視界に見るとき、人間社会の矛盾が凝縮されながらも、この世界の美の表出を見ているようだ。
2018年2月10日、作家の石牟礼道子は亡くなられた。
ぼくがどこでどのように石牟礼道子のことを知ったかは、よく覚えていない。
水俣病を扱った著書『苦海浄土ーわが水俣病』(講談社文庫)の書名はどこかで知っていたかもしれない。
直接的に石牟礼道子のことを知るようになったのは、社会学者の見田宗介(=真木悠介)の仕事を通じてであった。
見田宗介=真木悠介の仕事における問題意識、そして人を解き放つことの方向性をしめすものとして、石牟礼道子の存在と作品は、見田宗介=真木悠介の存在とその仕事と、深いところで交響するものである。
見田宗介=真木悠介の著作において、たとえば、次のような著作で、石牟礼道子がとりあげられる。
●『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
●『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)
●『白いお城と花咲く野原ー現代日本の思想の全景』(1987年、朝日新聞社)
●『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)
●『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
●『社会学入門』(岩波新書、2006年)
また、見田宗介は石牟礼道子の作品の「解説」や書評的なものも書いている。
●見田宗介「孤独の地層学」(『定本 見田宗介著作集Ⅱ』所収)、石牟礼道子『天の魚ー続・苦海浄土』(講談社文庫版)の「解説」
●見田宗介「石牟礼道子『流民の都』」『朝日新聞』朝刊、1973年(『定本 見田宗介著作集Ⅹ』所収)
見田宗介をはじめ、水俣の問題にかかわってきた人たちは、水俣病を「水俣の病」とするのではなく、「わたしたちの病」としてとらえている。
ひとつの社会を生きるひとびとの「人と人とのつながり方」の問題である(『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年)。
石牟礼道子が言うように、「わたしたち自身の中枢神経の病」である。
この「病」を、人はどのようにのりこえていくことができるだろうか。
「よりよく生きる」という、ぼくがじぶんに問うてきた問いは、こののりこえを考るための問いでもある。
石牟礼道子の文章について、見田宗介は次のように書いている。
石牟礼道子の文章は、失語の海の淵からのことづてのようだ。みえないものたちの影をみる視力のように、語られないものたちを語ることばをよびさます。<区切られないもの>の矛盾と多義性をじぶんの中に幾層にも響かせながら、それでも石牟礼は、あえて言い切ることもする。<おかしくならずにいられるだろうか>、こういう断念の一切を澄ませたうえで、そしてまた、人間の上を流れる時間の一切が砂に埋もれ<地質学の時間のように眺められる日>からの視線をもうひとりの自分の視線としながら、<人間はなお荘厳である>と、石牟礼は言う。海はまだ光っていると。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年
石牟礼道子の作品『椿の海の記』のふしぎな世界にひたっていると、この「海の光」が浮かび上がってくるように、見えてくる。
石牟礼道子の視線は、ぼくの視線にかさなって、生きている。
ネット社会だからこその「関係性の回復」(河合隼雄)。- 「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性(真木悠介)へ。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)の文庫版「おまけの講義」として、「関係性の回復ーネット社会こその相当の努力を」と題された、短い記事が掲載されている。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)の文庫版「おまけの講義」として、「関係性の回復ーネット社会こその相当の努力を」と題された、短い記事が掲載されている。
2004年6月、東京新聞に掲載された文章である。
10年以上前の記事であるにもかかわらず、書かれていることは、今でもその言葉の内実はうすれていない。
インターネットが悪い・よくないなどということではなく、文明の進歩を享受するためにも、「相当な努力」をして、あらゆる人間関係における「関係性の回復」をすることの重要性について、河合隼雄は書いている。
インターネットを通じたコミュニケーションの難しさは、直接的なやりとりでは、ある程度の「調整」が入る。
言語だけではない、非言語的なコミュニケーション(表情や身振りなど)が作動するからである。
このことはよく言われることだけれど、河合隼雄が強調していることは、次のことである。
…ここでもっと強調したいことは、人間の関係の在り方によって、人間の考えることや感じることも変わってくる、ということである。これは、私の行っている心理療法の根本と言っていいかもしれない。
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)
機械の操作で物が動くように、人間関係においても、自分が相手を操作したり、支配したりする関係になろうとすることに、河合隼雄は警鐘をならす。
そのような人間関係において、河合隼雄が言うところの「関係性」(=人間と人間の間に生じる相互的な心の交流)が喪失してしまう。
インターネットの書き込みには、「関係性」の喪失の上に立ってなされるので問題が多い。…
河合隼雄・南伸坊『心理療法個人授業』(新潮文庫)
「関係性」ということで、思い出すのは、社会学者である真木悠介が、名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)で語っていた、「関係の実質」ということである。
真木悠介は、差別語が「差別語」とならない現実の関係性にふれて、そこには本人を傷つけないだけの「関係の実質」があるからだと書いている。
また、同書における「出会うことと支配すること」という論考で、「他者と関係するときに抱く基本の欲求」について、論理的に述べている。
われわれが他者と関係するときに抱く基本の欲求は、二つの異質の相をもっている。一方は他者を支配する欲求であり、他方は他者との出会いへの欲求である。操作や迎合や利用や契約は、もちろん支配の欲求の妥協的バリエーションとしてとらえられうる。
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房、1977年
そうした上で、真木悠介たちが構想していた「コミューン」は、この二つの異相のうちの「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性である。
ここで、河合隼雄が言うところの「関係性」と、その回復ということにつながってくる。
人を傷つけないだけの「関係性」があるところでは、インターネットのコミュニケーションは上滑りしなくなる。
もちろん、すべての人たちの関係性を構築できるということではないと思うが、「出会いへの欲求」に基礎をおく関係性を実際にもっているかいないかは、直接に知らない人たちとのインターネットでのコミュニケーションの実質を変えていくだろう。
この「関係性」への視点から、ぼくのミッションにおける「世界」は「世界(関係性)』というように書いている。
「世界」は、関係の網の目であり、その関係性を豊かにしてゆくところに未来は構想され、また現在は生きられる。
「他者との関係性」と「ゲーム」。- 「リアリティの飢え」の形成による「情報資本主義の無限運動」(見田宗介)。
ぼくのメンターである方が教えてくれた、携帯アプリでのゲーム「旅かえる」。
ぼくのメンターである方が教えてくれた、携帯アプリでのゲーム「旅かえる」。
小屋「おうち」で、小さいカエルを育てる。
旅支度をしてあげると、カエルはいつのまにか、「たび」にでる。
そしていつのまにか、「たび」から帰ってくる。
場面は、あくまでも「おうち」を中心とした領域のみで展開していく。
日本でも中国でも流行っているとのことで、早速ダウンロードして、プレイしてみる。
ぼくが、あくまでも「感覚」として気になったことは、第1に、プレイヤーが「旅にでる」のではなく「旅から帰ってくる」カエルを待つというベクトルであること、また第2に、カエルとは「直接のコミュニケーションがない」ことである。
このような(気楽な)「距離感」をもつ他者と、また(それでも)じぶんのもとに「帰ってくる存在」としての他者という、他者との関わり方の二つの方向性において、それは現代社会の関係性の諸相・問題を映しているように、ぼくには見える。
他者との関係性ということで、ぼくが思い出していたのは、社会学者の見田宗介の視点である。
見田宗介は、「近代日本の愛の歴史」の講義において、2010年の『ラブプラス+』というゲームにふれている。
…『ラブプラス+』は熱海などの実際の観光地のホテルと契約していて、プレイヤーが一人でそのホテルに行くと、「お二人様」として全て扱われ、プレイヤーはそこで操作ボタンとモニターを通してさまざまの愛の言葉を発する理想の女性の映像と、幸福の一日を過ごすのだということです。
エレクトロニックな恋愛がリアリティの飢えを形成し、この飢えがまた新しい市場として新商品の開発を呼び、この新しい商品がまた新しい飢えを形成していっそう「リアル」な商品を呼び出すにちがいないような、情報資本主義の無限運動の一つのサイクルをそこに見ることができます。
見田宗介「近代日本の愛の歴史 1868/2010」『定本 見田宗介著作集IV』岩波書店、2012年
「情報資本主義の無限運動」の一つとして捉えながら、そこでは「関係のリアリティの飢え」が増殖していくことを、見田宗介は見ている。
SNS上における「友達の数」を増やしても増やしても満足できないのと同じく、エレクトロニックな関係をつくってもつくっても満足いかない「関係性」である。
「旅かえる」をプレイしながら、ぼくは、そんなことを考えていた。
「旅かえる」をプレイしながら、ぼくはやはり、他者との関係性ということ、また生ということを、考えてしまう。
「旅かえる」は、単純に「他者(カエル)との関係」をきずくということではなく、じぶんの「立ち位置」が、飼い主であると同時にカエルでもあるというように「二重」になっているようなところもあるところに、現代の諸相を映している。
関係の気楽さと関係の濃密さ(の渇望)。
この「二重の立ち位置」が、不思議な感覚をぼくに与えている。
このような思考を続けながら、今しばらく、このゲームを続けてみようと思う。
「問いの、核心にことばが届くということがあるなら…」(真木悠介)。- 書くものにとっての「過剰の幸福」と「奇跡といっていい祝福」。
社会学者である真木悠介(見田宗介)は、『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)と『自我の起原』(岩波書店、1993年)の二つの仕事を通して、自身が持ち続けてきた「原初の問い」に対して、「透明な見晴らしのきく」ような仕方で、自身の展望を得た...Read On.
社会学者である真木悠介(見田宗介)は、『時間の比較社会学』(岩波書店、1981年)と『自我の起原』(岩波書店、1993年)の二つの仕事を通して、自身が持ち続けてきた「原初の問い」に対して、「透明な見晴らしのきく」ような仕方で、自身の展望を得たことを、『時間の比較社会学』の岩波同時代ライブラリー版(1997年)の「後記」で書いている。
「原初の問い」とは、「永遠の生」を願望としてしまうという問題と、「自分」という唯一かけがいのないものとして現象してしまう理不尽な問題である。
見田宗介の仕事を<初めの炎>として駆動してきた原初の問いは、一貫して追求され、自身が納得のいく仕方で書かれ、その成果が「本」という形で世に放たれる。
「後記」の最後は、次のような、美しい文章でとじられている。
わたし自身にとって納得のできる仕方が、他の人にとって、さまざまな角度と限界をもちながら、いくつもの光源の内の一つとなることができるなら、すでに過剰の幸福である。更に、問題感覚の核を共有することのできる読者が一人あるなら、そしてこのような一つの問いの、核心にことばが届くということがあるなら、それは書くものにとって、奇蹟といっていい祝福である。
真木悠介「同時代ライブラリー版への後記」『時間の比較社会学』(同時代ライブラリー版)(岩波書店、1997年)
この「後記」を読みながら、20年ほど前のぼくは、思わずにはいられなかった。
ぼくのような「読むもの」にとって、ぼくの問題感覚の核に向けてことばが紡がれ、そして問いの核心にことばが届くということは、「奇跡といっていい祝福」である、と。
当時のぼくは、この世界において、ほんとうに光を得たような感覚を得たものだ。
そして、今度は書く側に立って、断片やまとまった文章を書きながら、真木悠介が考えていたことを思う。
他者の問いの、核心にことばが届くということの、「奇跡といっていい祝福」についてである。
ことばが伝わっていくルートには、「さまざまな角度と限界」があるからである。
真木悠介が語るような角度と限界、つまり他者にとっての大切な生きられる問題や経験との差異や深浅などもある。
またそもそも、その本を手に取るか否かという限界性もある。
毎日毎日文章を書きながら、そしてこの度は「本」という形で文章を書いて構成しながら、ぼくの脳裏に、真木悠介のこの「後記」がよぎってくる。
そして、それは、ぼくを励ましてもくれている。
海外をわたりながら、ぼくのなかで光をもっていた「視点」。- オクタヴィオ・パスの<暖かいまなざし>。
東京から、西アフリカのシエラレオネ。シエラレオネから東ティモール。東ティモールから香港。その道のりは、ふりかえると、東京を発ってから15年を超える。...Read On.
東京から、西アフリカのシエラレオネ。
シエラレオネから東ティモール。
東ティモールから香港。
その道のりは、ふりかえると、東京を発ってから15年を超える。
それぞれの場所で、それぞれの社会やコミュニティに身を置きながら、ぼくのなかで「ひとつの光」となって、社会やコミュニティをみる「視点」となっていたことがある。
その「視点」を、ぼくは、東京にいたときに読んだ、真木悠介の名著『気流の鳴る音』のなかで教えられた。
1970年代半ばにメキシコに約1年住んでいたときの体験をもとに、真木悠介は「メキシコ社会」について、書いている。
私が感動したのは、だれかを招くと、必ずその恋人や兄弟や友人などの、たのしい「招かれざる客」たちをつれてくることだ。二人を招くと五人で現れる。このようにして関係の波紋はひろがり、目もあやに重畳しながら、いつかそれなりの厚い真実の地平を形づくってしまい、そこからの別離が身を裂くかなしみとなっていることにあとになって気付く。
真木悠介『気流の鳴る音から』ちくま学芸文庫
このような「招かれざる客」からひろがっていく関係の波紋は、日本(の都会?)ではあまりないから、真木悠介の「感動」はぼくにも伝わってくる。
さらに、ぼくのなかに印象付けたのは、真木悠介が引く、オクタヴィオ・パスの「分析」であった。
この開放性と人恋しさの背後には、植民者や混血者たちの存在のふたしかさからくる孤独の深層があるという、オクタヴィオ・パスの分析を私は鋭いと思う。
真木悠介『気流の鳴る音から』ちくま学芸文庫
1970年代半ばのメキシコ社会は、16%が白人、55%がメスティーソ(混血)、29%のインディオから成っていて、インディオの社会には、上述の「開放性」は一般にないと、真木悠介は指摘している。
こうして、ぼくのなかで、オクタヴィオ・パスの<暖かいまなざし>と鋭い分析が、強烈にのこることになる。
開放性と孤独の深層という図式だけではなく、人や社会をみるときの「姿勢」のようなことをぼくは教えられた。
この暖かい視点は、東京から西アフリカのシエラレオネに向かっていくなかでも、ぼくのなかに確かにあった。
しかし、そこでぼくが出会ったのは、また異なる「深層」であったようにも、ぼくは思う。
紛争という世界を通り抜けてきた人たちの「深層」である。
それは歴史的な時間の長さに刻印された「層」ではないけれど、紛争という世界の、言葉にならず、また時間にも置き換えることができないような<長い時間>に刻印された「層」である。
まだぼくのなかでも渦巻いている「層」である。
日本型資本主義を駆動してきた「内面的な動力」(見田宗介)。- 現代のぼくの内面に聞こえる残響。
西欧近代の原動力となった「プロテスタンティズムの倫理」(マックス・ウェーバー)との対比の中で、日本近代の原動力となった精神を「立身出世主義」に見る、社会学者の見田宗介。...Read On.
西欧近代の原動力となった「プロテスタンティズムの倫理」(マックス・ウェーバー)との対比の中で、日本近代の原動力となった精神を「立身出世主義」に見る、社会学者の見田宗介。
その論考「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」(『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店に所収)は、発表から50年を経過した今でも、ぼくたちの思考や議論に光を与えてくれる。
日本の外で、日本・日本人なるものを考えながら、そしてだからこそじぶん自身の底流をまなざす中で、この論考は一層、ぼくの内面にひびいてくる。
明治という時代は、人を家柄等ではなく「能力と業績」によって位置づけるという、斬新な考え方を素地にスタートした。
それは「噴出する上昇欲求」となって秩序をおどろかす恐れがある中で、支配層は「秩序とエネルギーを両立させる方途」を探ったと、見田宗介は論を展開していく。
そして、噴出する上昇欲求の体制秩序への「誘導水路の根幹」となったものとして、「学校制度」とそれを基盤とする「官員登用のルート」であったという。
しかし、「官員登用のルート」は、上層にいる人たちをすくうのみであり、小学校だけしかいけない層をすくいとることはできない。
このような民衆のエネルギーを開発しつつ、同時に、秩序の中におさめておく企てにおいて、準拠とされたのが、「二宮金次郎」であったと、見田は指摘している。
このように、上層と下層にいたって形成されてきた「立身出世主義の性質」として、見田宗介は3つのことを挙げているが、その最初におかれたのが、「プロセスにおける倫理化」である。
それは、プロセスにおける「心構え」の重視による倫理化という性質を帯びる。
当時の雑誌などの丹念な読み込みの内に、見田宗介は、この性質を丁寧に論じている。
「成功」のオピニオンリーダーたちは、少年たちの志がいたずらに高くなることを戒め、「ステップ・バイ・ステップ」を伝える。
「心構え」が強調されていく。
底辺から頂点にいたる現実の上昇ルートが限定されればされるほど、能動的な民衆の意欲の開発による社会的エネルギーの調達は、現実認識ときりはなされた抽象的な精神主義にますます依存せざるをえない。
見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店
上層においては、現実に「上昇ルート」を登っていくことの原動力となる「心構え」としての精神。
他方で、それは、下層においては、異なる機能を発揮していく。
…無限の上昇への幻影の供与によって、底辺の上昇欲求を体制秩序の内部において燃焼せしめ、障害の意識と不満はこれを内攻して自罰化せしめ、支配層によって好ましい方向にのみエネルギーを流しこむメカニズムとして、いっそう虚偽性のつよいイデオロギーとしてあった。
そしてこのように、体制の上下において相呼応しつつ、それぞれの地位に応じて機能する「精神」(心構え!)をバネとする、立身出世主義の全構造こそ、日本型資本主義の急速な発展をその方向に推進してきた内面的な動力であった。
見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店
明治時代という特定の時代のことであり、それがそのままの形で現代を特色づけるものではないけれど、日本型資本主義を駆動してきた「内面的な動力」はそれでも、現代の日本の社会と人に、今でも、その性質をいくぶんか残しつつ、残響をひびかせているように、ぼくには感じられる。
また、明治という時代は、実は、それほど遠くない過去であったとも、ぼくは最近よく思う。
日本の外で、来たる時代との接続・トランジションにある中で、ぼくはそんなことを考えている。
日本近代化の<精神>を今考えること。- 近代化を駆動した「立身出世主義」(見田宗介)。
海外(日本の外)にいながら、「日本人・日本」ということをよく考える。「海外で仕事をする」ということにおいては、日本人の仕事の仕方のことをよく考える。...Read On.
海外(日本の外)にいながら、「日本人・日本」ということをよく考える。
「海外で仕事をする」ということにおいては、日本人の仕事の仕方のことをよく考える。
今現在という日々の現象の中でいろいろと考えるのだけれど、他方で「歴史」をひもとくことで見えてくることもある。
社会学者・見田宗介の初期論考(1960年代から1970年前半に書かれた論考)に、「日本の近代化」をテーマとしながら、「明治時代」にまでさかのぼる論考がある。
「見田宗介著作集」の刊行により、これらの論考を手にしやすくなった。
見田宗介の著作は、見田宗介がメキシコにある大学にいく1970年代半ば以降、内容と文体に大きな変化をみせる。
初期論考は、この変化よりも前に書かれた論考だけれど、今でも、多くの示唆に富む内容である。
日本人・日本を見つめ直していく上で、「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」という見田の論考に、ぼくはひきつけられる。
この論考で、見田宗介は「日本近代の主導精神」として、「立身出世主義」を挙げている。
マックス・ウェーバーが、西欧近代の主導精神として「プロテスタンティズム」にあったことを論じたが、それでは、日本ではどうだろうかと問い、「立身出世主義」であると、見田宗介は考える。
そして、「立身出世主義」の特質と、それによって形成された日本の「近代」社会がはらんだ矛盾を、明晰に論じている。
導入部分で、見田宗介は、日本の小学校・中学校・高等学校の卒業式でうたわれる「あおげば尊し」の歌詞に注目している。
歌の一節に、「身を立て名を挙げやよはげめよ」という句がある。
この「身を立て名を挙げ」という思想は、江戸時代の農民や町民には教えられることはなく、江戸における封建の世においては農民は農民というように分をわきまえるものであったという。
「天性同体ノ人民賢愚其処ヲ得」ベシとする明治元年の伊藤博文の理想が、当時どんなに革新的でありえたことか、すなわち人をその門地家柄によってではなく、能力と業績によって位置づけるという考え方が、当時どんなに斬新でありえたことか。…
見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店
「身を立て名を挙げ」は、それまでの身分的な固定感をうちやぶっていく思想であったと、見田宗介はみている。
「あおげば尊し」の歌は、明治憲法や教育勅語が発布される前の明治17年に、文部省の歌集に現れており、当時急速に発展していく「小学校」という制度(だれもが参加できる!)において、「身を立て名を挙げ」は子供たちのなかに焼きつけられていくことになる。
ちなみに、当時出版された、サミュエル・スマイルズの著作『Self Help』の日本語訳は、「西国立志論」というように「立志」と訳されていることにも、見田は「身を立て名を挙げ」の思想を見ている。
論考の、この導入部分だけでも、さまざまに考えさせられる。
ぼくたちが歌ってきた「あおげば尊し」、「能力と業績」の萌芽、「小学校」という制度、「Self Help」の捉えられ方など、今の日本や日本人を考えていく上でもさまざまな示唆に充ちている。
この導入部につづき、明治の体制への取り込み、日本の「根性」論、「ステップ・バイ・ステップ」の考え方などが、論じられていく。
それらは決して明治の時代のことに限ることではなく、今も、日本や日本文化や日本人の(したがって、ぼくの)底流に流れるものたちだ。
これらを知ったからといってすぐに何かが変わるものではないけれど、なんらかの「道」に光をあててくれるはずだ。
<まるいもの>を素材に世界を考える。-「りんご」と「地球」と見田宗介。
社会学者の見田宗介の書くもののなかには、ときおり、<まるいもの>を素材に、この世界を考える論考がある。<まるいもの>とは、りんごと地球である。...Read On.
社会学者の見田宗介の書くもののなかには、ときおり、<まるいもの>を素材に、この世界を考える論考がある。
<まるいもの>とは、りんごと地球である。
見田宗介は名著『宮沢賢治』のなかで、宮沢賢治の書くものに繰り返し立ち現れてくる「汽車の中でりんごを食べる人」に触れながら、「りんご」の形態から、宮沢賢治の作品と生とを照らしだす照明を手に入れている。
「りんご」の形態としては、だれもが見て取るように、それは<まるいもの>である。
しかし、見田宗介は、<まるいもの>に加え、「孔のある球体」であることに目をつける。
りんご自体の「深奥の内部に向って一気に誘いこむような、本質的な孔をもつ球体」(見田宗介)である。
宮沢賢治の作品の中で、汽車にのる人たちは、そのような形態をもつ「りんご」を、食べていたり、手にもっていったりする。
…人間の禁断の知恵の源泉についてのよく知られている神話の中で、<鍵>の象徴としてえらばれているように、存在の芯の秘密のありかに向って直進してゆく罪深い想像力を誘発しながら、そのことによって、とじられた球体の「裏」と「表」の、つまり内部と外部との反転することの可能な、四次元世界の模型のようなものとして手の中にある。
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
見田宗介は、この「内部と外部との反転」ということを思考の方法として、宮沢賢治をあざやかな仕方で、よみといていくことになる。
「社会」に焦点を合わせ、現代社会とそのグローバル社会をみすえながら、見田宗介は「地球」という形態にふれる。
球はふしぎな幾何学である。無限であり、有限である。球面はどこまでいっても障壁はないが、それでもひとつの「閉域」である。
グローバル・システムとは球のシステムということである。どこまで行っても障壁はないが、それでもひとつの閉域である。これもまた比喩でなく現実の論理である。二十一世紀の今現実に起きていることの構造である。グローバル・システムとは、無限を追求することをとおして立証してしまった有限性である。それが最終的であるのは、共同体にも国家にも域外はあるが、地球に域外はないからである。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
グローバル経済主義によってグローバル化が進展してきた地球は、地球という球の「有限」に出会う。
その「有限」の空間の中に、宮沢賢治がもっていたような想像力(つまり人だれしもがもつ想像力)によって、どのように「無限」をつくりだしていくかが、ぼくたちに投げかけられた課題である。
見田宗介は、真木悠介名で書いた『自我の起原』(岩波書店)で、動物行動学のローレンツの「幼児図式」にふれて、他者との「相乗性」の契機としての<誘惑>を論じている。
幼児は「かわいさ」の感情を人によびおこす。
ローレンツは幼児図式で、「かわいさ」をよびおこすことの特徴のひとつとして、「まるみ」を帯びた形態を挙げている。
このような「かわいさ」を含め、人は(広義の)他者からいつも作用されている/はたらきかけられている。
他者にはたらきかける方法の究極は「誘惑」であり、他者に歓びを与えることである。
幼児の「まるみ」を帯びた形態は、人にはたらきかけている(ともいえる)。
ぼくたちは、ほほえみを投げかけてくる幼児を、歓んで「世話」する。
<まるいもの>は、見田宗介(真木悠介)の書くものの中で、とても大切な形態として現れる。
それは、どのようにしたら歓びをもって生きていくことができるのか、という見田宗介の問いに、まっすぐにつながっていく形態であり、深く触発する形態である。
それにしても、りんごと地球。
とても素敵な響きだ。
「うら」(うらなう)を考える。- 「世界のあり方」の比較社会学(見田宗介)を頼りに。
新年ということで、日本では「おみくじ」などを引いたりしている様子をここ香港で見聞きしながら、「おみくじ」や「うらない」のようなものへの、ぼくの関わり方を考える。...Read On.
新年ということで、日本では「おみくじ」などを引いたりしている様子をここ香港で見聞きしながら、「おみくじ」や「うらない」のようなものへの、ぼくの関わり方を考える。
ぼくにとっては、(今ではまずやらないけれど)「おみくじ」や「うらない」で書かれたことや言われることは、ぼくの心身と対話するときのツールである。
書かれたことや言われることで「気になること」は、じぶんの心身に何か「身に覚え」があることであると、ぼくは考える。
つまり、じぶんのなかで、問題であったり課題であったりすることだ。
そこから、じぶんが感じたり考えたりする問題や課題をつきつめていく。
逆に「気にならないこと」は、特に気にしない。
気づきのためのツールである。
社会学者の見田宗介は、「世界のあり方」の比較社会学という視点で、原始人たちが感覚していた「世界のあり方」について書いている。
アメリカ・インディアンのホピ族の言語…では「時間」というコンセプトではなく、近代文明を形成してきた諸文化の言語のように「過去/現在/未来」という基本的な「時制」もなくて、その代わりに「顕在態」(manifested)と「潜在態」(unmanifested)という二つの態様が、「世界のあり方」の基本のわくぐみを作っています。
見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書
近代人が使う言葉との対比をまとめると、次のようになる。
●「過去」「現在」=「顕在態」(過去のものは、この世界に「蓄積している」と感じられる)
●「未来」=「潜在態」(ホピの人たちは「心中にあるもの」と言う)
見田宗介は別の著作で次のように書いている。
…アメリカ原住民のホピ族などの文法も、未来をあらわす形式と心象をあらわす形式が同じである。「うら」(うらなう)ということばに標本されるように、上代日本人の世界の感覚ともそれは呼応している。ほんとうは、will、shallという、英語の未来をあらわす仕方が心意をあらわす語によってしかされないように、時間の次元が心象の次元であるということは、ヨーロッパ文化自身の古層にも普遍する直感であった。
見田宗介『宮沢賢治』岩波現代文庫
これらに先立つ仕事(『時間の比較社会学』岩波書店)で、見田宗介(真木悠介)は、近代社会の「直線的な時間」とは異なり、原始共同体社会の時間感覚は「反復的な時間」であったことを、述べている。
顕在態と潜在態の反復、また、別の言い方をすれば、「おもての世界」(顕現している世界)と「うらの世界」(潜在している世界)の反復である。
原始社会や原始人たちの抱いていた「世界のあり方」の感覚だ。
文化のこれらの基底的な感覚と、「おみくじ」や「うらない」をしていた人たちの感覚がどのように交差していたのかは、わからない。
けれども、近代人がおみくじやうらないをしたときに「見る仕方」とは異なっていただろうと、推測する。
見田宗介が明晰に語っているように、原始人たちの感覚は、未来と心象がおなじ形式の言葉として使われる感覚に支えられている。
心象は「現在」、未来は「(現在ではない)未来」として、直線的な時間の内に感覚するのが近代人である。
そんなことを考えながら、原始人の人たちは、「うらない」のうちに、じぶんや事象の「心象」を見ていたのだろうと、ぼくは想像力をむけてみる。
「近代人」がついそうしてしまうような、起こるだろう未来の予測ではない仕方で、心象を見る。
しかし、近代人は「未来」という考え方を獲得し、世界をきりひらいてきた。
「未来」を信じ、構想し、行動していくところに、これからの「人と社会」の行く末は賭けられている。
<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして。
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
🤳 by Jun Nakajima (Hong Kong)
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。
社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
自分自身を知ろうとするとき人間は鏡の前に立ちます。全体としておかしくないか、見ようとするときは、相当に離れたところに立ってみないと、全体は見ることができない。自分の生きている社会を見るときも同じです。いったんは離れた世界に立ってみる。外に出てみる。遠くに出てみる。そのことによって、ぼくたちは空気のように自明(「あたりまえ」)だと思ってきたさまざまなことが、<あたりまえではないもの>として、見えてくる。
社会学における「比較」という方法を語りながらも、見田宗介は「社会学」という学問に閉じ込めるのではなく、ぼくたちの「生き方の方法論の一つ」とする視野で語っている。
ブログのタイトルに付す「世界で生ききる」ということの内実の一つとして、この方法論を、ぼくは明確に意識している。
アジア各地への旅を通じて、ニュージーランドでの生活を通じて、シエラレオネと東ティモールでの支援活動を通じて、それからここ香港での仕事と生活を通じて、ぼくは「あたりまえのもの」だと思ってきたこと・してきたことを、<あたりまえではないもの>として、いわば鏡の前に立ち「鏡の中のじぶん」を見つめ、見直してきたわけである。
最近思うのは、「あたりまえのもの」だと思っていることや「身」についてしまっていることは、幾層にも重なっていることである。
そしてまた、それらはいろいろなものやことに広がっている。
日本的な考え方や動作であったり、家族的な癖や習慣であったり、さまざまだ。
気づいて見直して、変えたと思っていたら、また別の層や別のところで、その「あたりまえ」がふとした機会に現れる。
そんなことを繰り返しながら、<自明性の罠からの解放>を、引き続き現在進行形で生きている。
見田宗介のより強い関心は、「近代と前近代」との比較にあり、そのことを踏まえた上で、次のように語っている。
…異世界を理想化することではなく、<両方を見る>ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の<自明性の檻>の外部に出てみるということです。さまざまな社会を知る、ということは、さまざまな生き方を知るということであり、「自分にできることはこれだけ」と決めてしまう前に、人間の可能性を知る、ということ、人間の作る社会の可能性について、想像力の翼を獲得する、ということです。
現代社会における各社会間の比較よりもいっそう深い「異なり」を示す「前近代と近代」を比較することで、いっそう高く飛ぶための<想像力の翼を獲得する>ことが、見田宗介の仕事にかけられてきた。
共同体と市民社会とコミューン、お金、時間、自我・身体といった、根底的な見直しである。
そして、この視野と視点が、「近代(また現代)」の後にくる次なる時代を構想し、向かうために、決定的に大切である。
【後記】
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)については、下記ブログを書きましたので、あわせてお読みください。
物語の中の「夢」と物語全体としての<夢>。- 「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介)。
真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。「life is but a dream. dream is, but, a life」真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年...Read On.
真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。
「life is but a dream. dream is, but, a life」
真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年
「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて勝手に訳したもの」(前傾書)であると、真木悠介は書いている。
「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」というこの詞は、ぼくの「ことばにできないことば」を言葉にしてくれた。
生きることの全体が、ここに言い尽くされている。
ここでふれられている「夢」を理解するためには、「夢」を二層化する必要がある。
- 目標・ゴールを大きくした「夢」
- 生きること全体の物語としての<夢>
「夢はなんですか?」という問いのように、通常に語られる「夢」は、この1番目の「夢」である。
真木悠介のすてきな詞は、この2番目の<夢>を照準している。
これら二つを別の言い方で言えば、タイトルに掲げたような言い方になる。
- 物語の中の「夢」
- 物語全体としての<夢>
ここでは仮に、「物語」を<一冊の本>としてかんがえてみる。
つまり、ぼくたちの生の全体、一生が<一冊の本>である。
「物語の中の「夢」」とは、一冊の本の主人公である「私」が、本の中で、物語が展開してゆくなかで抱く「夢」である。
他方、「物語全体としての<夢>」とは、一冊の本そのものである。
「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」という詞は、ぼくたちの生が、ただ夜見るような「夢」(=幻想)のようにはかないものだけれど、このひとつの物語である<一冊の本>としての<夢>(=幻想)こそが、人生であることを、シンプルさを極めた仕方で語っている。
ぼくたちは、この<一冊の本>の外部に出ることはできない。
真木悠介は、見田宗介名で書いた別の文章のなかで、このことを明晰に語っている。
…だれも幻想の外に立つことはできない。物語批判は物語の否定ではない。人間は物語の外部に立つことはないからである。どのような物語を生きるかということだけを、わたしたちは選ぶ。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
この意味においては、人はだれしもが、夢見る人 dreamer なのだ。
「しかし夢こそが人生である」ことを明晰に理解することは、「どのような物語を生きるかということ」の選択の方へ、人をおしだしてゆくのである。
こうして、人は物語の内部で、豊饒な物語を(つくられながら)つくっていく。
直感的に魅かれ、生の道ゆきを照らし出す「詩」。- 真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用するナワトルの哲学詩から。
社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。...Read On.
社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。
直近では、2016年に書かれた論考「走れメロス」において、冒頭に引用されていた。
さらに、その論考をもとになされた大澤真幸との対談でも触れられている(見田宗介・大澤真幸『<わたし>と<みんな>の社会学』左右社、2017年)。
最初に著作のなかで引用されたのは、おそらく(違っていたら別途書きます)、真木悠介の素敵な著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)である。
真木悠介の「生のワーク」として書かれた30片くらいのノートのひとつに、「天と地と海を」という一片がある。
そのページに、このナワトル族の哲学詩と、イカム族の諺が縦横に並べられている。
[ナワトル族の哲学詩から]
われわれの生のゆくえはだれも知らない。
ひとは未完のままに去る。
そのために私は泣き
私はなげく。
けれどもこの世ではこの世の花で私は友情を織る。
大地の上にはー花と歌。
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
この(おそらく)最初に取り上げられた形から、20年以上を経て(見田宗介名で)書かれた論考「走れメロスー思考の方法論について」では、真木悠介にとって<ほんとうに大切な問題>の光があてられることで、次の部分だけが取り上げられている。
われわれの生のゆくえはだれも知らない。人は未完のままに去る。
けれどこの世ではこの世の花で友情を織る。
ー大地の上には花と歌
ナワトル族の哲学詩から
見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号
「比較社会学」という方法で「人間の解放」を追い求めてきた真木悠介が、当初は直感的に魅かれた詩であるように、ぼくは推察する。
「どのようにしたら歓びに充ちた生を生きることができるか」という純化された問いに導かれるように、真木悠介は人や社会における「相乗性」の契機を軸のひとつとして、理論を構築してきた。
人や社会の「相克性」をみないわけではない。
真木悠介(見田宗介)自身が述べるように、『現代社会の理論』(岩波新書)や『社会学入門』(岩波新書)においても、相克性ということが明晰にとりあげられている。
それでも、人の生や社会を解き放つ契機として「相乗性」を正面からみすえているのだ。
この「相乗性」ということにおいて、ナワトルの詩は、直感的に魅かれた詩でありながら、真木悠介(見田宗介)のその後の論考の道を照らしてきたものでもある。
冒頭に掲げたナワトルの詩は、人間がこの世に生きるということの意味を究極支えるに足るものとして、第I水準または第II水準と第Ⅲ水準とにおける無償化された相乗性、無償化された肯定性ー花と友情ーを想起している。
共同体も市民社会も生命世界も、本来は集列性である。相克あるいは無関心である。この地からその部分と
して、最初は方法としての相乗性 instrumental reciprocityが立ち現れる。そのあるものは効用のループをこえて無償化し、純粋な情熱と歓びの源泉となる。
…それは派生的、部分的なものであるままで、それ自体派生的、部分的な存在であるわれわれの生きることの根拠を構成する力をもつ関係となる。
見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号
ここでいう「第I水準または第II水準と第Ⅲ水準」は、真木悠介(見田宗介)が提示する「現代人間の五層構造」の水準である。
第0水準の「生命性」を土台に、人間性、文明性、近代性、現代性の五層である。
真木悠介(見田宗介)が丁寧に述べているように、派生的・部分的な契機にすぎない「相乗性」は、それでも確かに生きることの根拠を構成する力をもつ関係となって、ぼくたちの生きることを支えている。
ナワトルの詩は、そこに一編の光をさしこんでいる。
ひるがえってぼくは「真木悠介にとってのナワトルの詩」のような「詩」をもっているだろうか、とかんがえてしまう。
ぼくにとっては、このナワトルの詩が最初に置かれた、真木悠介の著作『旅のノートから』の冒頭に置かれた一編に、いつも戻ってくるように思われる。
「life is but a dream, dream is, but, a life」(真木悠介)
「標準語」と「共通語」の異なり。- グローバル化のなかで<近代・現代をこえる>方向性を確認しておくこと。
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。...Read On.
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。
<みんなが同じ>という均質化の力学が「差別」を生み出していくこと、<みんなが違う>という異質化は世界を豊饒化していくこと。
しかし、見田宗介の徹底した「論理」は、この平面に、もう一段論理を組み込むことで、現実の問題・課題とこれからののりこえの方向性をとらえている。
見田宗介が提示する、この論理・認識と感覚は、とても大切なことであるように、ぼくは世界のいろいろなところに住みながら思う。
見田宗介は、同じ論考のなかで、評論家の加藤典洋が書く「国際化」にかんする文章に触発されながら、ことばについて「標準語」と「共通語」とを丁寧に分けながら、ぼくたちが目指す方向性を明晰に示している。
「インディアンが部族言語だけを持ち、標準語をもつことがなかった」ことに加藤が学ぼうとしていることに、わたしは共感する。共感するが、加藤がここで「標準語」を「共通語」一般と同一視していることから、加藤は論理的な困難に自分を追い込んでしまったと思う。
アメリカ原住民がもし共通語を持とうとしなかったとすれば、それは彼らの美しさであると同時に、弱さでもあったのではないか?
わたしたちに必要なことは、共通語をもたいないことではなく、「標準語」に転化することのないような仕方で、つまり土着語を抑圧することのない仕方で、共通のことばをもつということではないか?
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
見田宗介は、この<共通のもの>と<標準のもの>ということを、「近代」全般の見方へと敷衍して書いている。
「近代」とは、<共通のもの>を<標準のもの>に転化することで、土着を解体してきた。
これが、「近代」市民社会(ゲゼルシャフト)である。
だから<共通のもの>を批判して、共同体(ゲマインシャフト)に戻ればいいというものでもない。
見田宗介は、近代のもつ「両義性」をひきうけて、そこから「近代をこえる」方向性を示していく。
近代をこえるということは、文化と文化との間であれ、個人と個人との間であれ、人間と他の存在の形たちとの間であれ、各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるかという課題に絞られてゆくように思う。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
このような見田宗介の指し示す「近代」をこえる方向性は、この文章が書かれた1986年から10年後に、著作『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)として結実する。
近代を否定するのでもなく、近代をただ肯定するのでもなく、近代の両義性をひきうけながら、未来の方向性を明晰に論じている。
このスタイルの重要性と理論の可能性を深いところで認識し、さらに展開をこころみたのが、上述の加藤典洋であったことは、ぼくの関心をひく。
加藤典洋は日本の311の経験ののちに、見田宗介の『現代社会の理論』の可能性を、出版から20年を経て改めて認識し、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)を書く。
本質的な思想家たちが、お互いに触発されながら、未来の方向性をさがしあてている。
人はものごとの「両義性」に弱いように、ぼくには見受けられる。
どうしても、人は、どちらかの「極」(例えば、近代と反近代)にひっぱられていってしまう。
そのようななかにあって、「各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるか」という、見田宗介がさししめしてくれた課題は、ぼくたちの歩く方向性の見晴らしをつくってくれている。
その課題を、グローバル化の世界における日々の生のなかでどのように生きていくことができるのかが、ぼくたちに問われている。