「消去法」としての「自分の個性を知る」こと(内田樹)。- じぶんを「マッピング」する視点。
思想家・武術家の内田樹が、「自分の個性を知る」ということは、ほんらい「消去法」的な作業なんだ、ということを語っている。
思想家・武術家の内田樹が、「自分の個性を知る」ということは、ほんらい「消去法」的な作業なんだ、ということを語っている。
自分の個性を知ることは消去法によってなんだ、という見方・考え方を支えるものとしては、内田樹が語る、じぶんを「マッピング」する視点を見ておく必要がある。
著書『疲れすぎて眠れぬ夜のために』において、内田樹は、<じぶんがどこにいるか>ということを、時間軸と空間軸それぞれにおいて、「マッピング」すること(=「地図上のどの点に自分がいるかを特定すること」)の方法を語っている。
「今・ここ・自分」というところを離れて、想像的に上空に飛翔し「鳥の眼」でじぶんを見下ろす。
これを「空間的なマッピング」とともに、「時間的なマッピング」としてもおこなう。
「時間的なマッピング」は、内田樹が言うように、じぶんの「前史」を見通すということである。
この視座および視点の置き方は、ぼくもじぶんの方法として使ってきたものであり、ぼくの「時間的なマッピング」は、じぶんの生の時間を超えて、極めて長い時間軸をとっている。
このような<じぶんの時空間マッピング>において、じぶんを括弧に入れて、「じぶん」を理解してゆく。
じぶんの「ものの見方や考え方を絶対視する人」=「マッピングする知的習慣を持っていない人」だと、内田樹は書いている。
「じぶん」は、「じぶんはじぶんだから」というように言い切れない仕方で、つまり<時空間>の網の目のなかにおける<じぶん>として成り立っているから、「マッピング」をすれば、じぶんのものの見方や考え方は相対化されてゆくことになる。
だから、<じぶん>というものをほんとうに生きていこうと思えば、<時空間のマッピング>のなかで「じぶん」を理解し、そこから、「消去法」でいろいろな条件や状況などを削ぎ落としてゆくことが必要となってくる。
こうして、最初に挙げた、内田樹のことばに戻ってくることになる。
「自分の個性を知る」というのは、ほんらい「消去法」的な作業なんです。
自分たちの生きている社会の成り立ちを「勉強」することによって、ある世代、ある地域集団の全体にのしかかっている「大気圧」を認識できた人間だけが、それを控除した後になお残っているものを、自分の「個性」として認知できるのです。…
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川文庫
内田樹はさらに、個性的であるということについて、それは、それぞれの時代の流行や出来事などの「正史」を構成してゆく「記憶の共同体」への住民登録を求めないということであると、つづけて書いている。
…頭にぎっしり詰め込まれた「偽造された共同的記憶」を振り払い、誰にも共有されなかった思考、誰にも言えなかった欲望、一度もことばにできなかった心的過程を拾い集める、ということです。
これは徹底的に知的な営みです。メディアでは人々が「個性的に」ということを実にお気楽に口にしていますが、「個性的である」というのは、ある意味で、とてもきつことです。…
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川文庫
ぼく自身の<時空間マッピング>は、このように書く内田樹やぼくの尊敬してやまない見田宗介などの、ほんものの知性たちから学ぶことで支えられてきた。
そして、20代の半ばから日本を離れ、異なる社会とそこの時間の流れのなかに「身」を置いてきたことが(そして、そこに「身」を置きながら、想像的に上空に飛翔したことが)、ぼくにとっての方法とすることができたようにも、思う。
生まれてからぼくのなかにインストールされてきた「プログラム」が、異なる社会で生きてゆくなかで、いろいろな場面で、互換性・適合性(コンパティビリティ)の問題を起こし、ときに誤作動し、(生きることの)「ひっかかり」を日々つくってゆく。
そのような「ひっかかり」に立ち止まっては、考えて、あるいは「マッピング」をしてみて、ぼく自身のなかに組み込まれている「プログラム」は相対化されていくばかりだ。
そうして、ぼくの「プログラム」は絶対的なものなんかではなく、特殊なものだと知り、それでも、そのなかに、かすかに読み取ることのできる「個性」を見つけたりする。
そこで「個性を知る」という過程は、やはり、「消去法」なんだと、ぼくは思ったりする。
「ふたつの歴史」の結合としての夫婦の絆。- 河合隼雄とともにかんがえる「家族関係」。
世界のいろいろなところに住んでいて、いろいろな「家族」と接し、あるいは見ていると、「家族」ということをかんがえさせられる。
世界のいろいろなところに住んでいて、いろいろな「家族」と接し、あるいは見ていると、「家族」ということをかんがえさせられる。
ニュージーランドで、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで、そしてここ香港で、ぼくはいろいろな仕方で、いろいろな家族と接してきた。
家族のしあわせな姿があり、あるいは家族の葛藤がある。
心理学者・心理療法家であった河合隼雄の著作では、いろいろなところで「家族」にふれられているけれど、そのなかに「家族関係を考える」という、正面から家族をかんがえる著作がある。
「家族」というものを、とくに日本の1970年代に変わりつつある家族、親子という関係、夫婦、父と息子、母と娘、父と娘、きょうだい、老人と家族など、さまざまな諸相から論じられている。
「西洋と日本」の差異をつねに意識していた河合隼雄は、ここでも、その差異を丁寧に見極めながら、家族について書いている。
「夫婦の絆」に触れた章で、河合隼雄は、夫婦の絆は親子関係の絆を切断していき、新しい絆の再生をしてゆくことであり、この「分かち合い」を「愛」と呼べることではないかと、提起している。
…夫婦の絆は親子の絆と十字に切り結ぶものである。新しい結合は、古いものの切断を要請する。若い二人が結ばれるとき、それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を斬り離そうとするものである。一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとつくりかえて行かねばならない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再生への努力をわかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか。それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。
河合隼雄『家族関係を考える』講談社現代新書、1980年
夫婦関係をつくってゆくことには、このように、古いものが壊され、新しいものが創られるという、創造の本質がおりこまれている。
この「再生」への努力をわかち合うことこそ「愛」と呼べることではないかと語るところに、河合隼雄の慧眼と生き方がにじみでているのだけれど、さらに面白い言い方として、河合隼雄は、「ふたつの歴史」が結合してゆくのだとして、その「大変さ」を書いている。
夫婦は結婚に至るまで、それぞれの歴史を背負っている。それが結合されるのだから、これは考えてみると大変なことである。各人の古い歴史からの呼びかけは、どうしても新しい結合をゆさぶるものとして感じとられやすい。このような危険性を防ぐため、人間はいろいろな結婚制度や、結婚に伴う倫理をつくりあげてきた。
河合隼雄『家族関係を考える』講談社現代新書、1980年
結婚に伴う制度や倫理は、日本では「家」が大切にされ、女性はこの「家」に嫁入りすることであったりした。
河合隼雄が言うように、「ふたつの歴史」の相克を、制度や倫理が回避させてきた側面がある。
しかし、現代は、そのような制度や倫理は「新しい結婚観」にとってかわられ、「家」ではなく、「個人」を大切にするところとなっている。
そのことは必然のことであるし、またよいことでもある。
けれども、「ふたつの歴史」の相克を身にひきうけて、みずから結合させてゆく「個人」にはなっていないのではないかと、1980年の河合隼雄は書いている。
河合隼雄がこのことを書いたときから、ほぼ40年がすぎたけれど、「個人」ということの確立については、いまだに「途上」であるように、ぼくには感じられる。
ぼくたちの日々の生活の「前線」でもあることからして、「家族」について、ぼくたちはいつもかんがえている。
「かんがえている」のだけれど、家族だからこそ、あまりに近いことだからこそ、よく見えなかったりする。
だから、ときに、「家族」について書かれた著作を読むことは、「家族関係を考える」ことに、より客観的になれる距離をつくってくれる。
河合隼雄は、そんなときの、よき相談者であり、よき伴走者である。
「縦向きの『ものさし』を横向きに置いてみよう」(本田晃一)。- <横向き>にひろがる世界観。
ぼくたちは生きていくなかで、じぶんのなかに、物事を判断する「ものさし」を構築し、それに従ってゆく。
ぼくたちは生きていくなかで、じぶんのなかに、物事を判断する「ものさし」を構築し、それに従ってゆく。
なにがよくて、なにが悪いのか。
どうすべきか、すべきでないのか。
「ものさし」は、とりわけ親の「ものさし」である。
生きていくプロセスで、「ものさし」を構築したことも、それに従って生きていることも「見えなく」なり、それはじぶんの価値観・世界観そのものとなっていく。
「ものさし」は、じぶんに同化してしまうのである。
いろいろな物事が「うまくいっていない」ようなとき、このじぶんに同化している「ものさし」を、分離して、「見える」ようにすること、つまり<気づく>ことが、状況を好転させていくための大きな一歩になることがある。
そのようにじぶんを無意識のうちに縛ってきた「ものさし」を見直す方法として、本田晃一は、著作『はしゃぎながら夢をかなえる世界一簡単な法』(SBクリエイティブ、2017年)のなかで、つぎのような「とても簡単」な方法を提示している。
…いままで縦にして見ていた「ものさし」を横にしてしまうんです。
上とか下をなくして、右左にしてしまう。上下の「優劣」の世界から、たんなるジャンルわけの世界に持っていくわけです。
「こつこつ真面目がいい」と「こつこつ真面目はバカだ」を横に水平に並べれば、どっちが上でどっちが下か、ではなくなります。たんなるジャンルわけになるので、そうすると、人を「ジャッジ」することがなくなってフラットな見方ができるようになるんです。
本田晃一『はしゃぎながら夢をかなえる世界一簡単な法』SBクリエイティブ、2017年
「縦向きの『ものさし』を横向きに置いてみよう」という本田晃一の「方法」は、「ものさし」イメージのしやすさと、<横向き>にひろがる世界観ということにおいて、とても魅力的である。
本田晃一は、この方法を「セルフイメージを高める」ことの文脈で書いている。
「セルフイメージを高める」なかで、ほとんどの人が「セルフイメージが高い自分=親の『ものさし』に合っている自分=親から認められる自分」という方向性にかんがえ行動してしまうことで、「ものさしの罠」にはまってしまうのだと、本田晃一は指摘している。
このように<横向き>にひろがる世界観のなかで、より自由に、ぼくたちは生きていくことができる。
この<横向き>にひろがる世界観は、世界で生きていくための「視点」をひろげていくという、ぼくの見方とも重なる方法だ。
じぶんの「内面」における「ものさし」だけでなく、この世界に生きていくうえでは、いろいろな価値観や世界観に、ぼくたちは出会っていく。
それらを、じぶんの無意識の「ものさし」に忠実にしたがって「縦向き」の序列をつけるのではなく、ひとまずは、<横向き>に取り入れてゆくことである。
「取り入れる」ということは、「そういう見方もある」と<横向き>に認めていくことである。
もちろん、<横向き>にひろがる世界観のなかで、じぶんがえらびとる視点、そして世界観・価値観がある。
大切なのは、それらを自由な仕方で「えらびとる」ことだ。
その意味で、無意識にじぶんを縛ってしまっている「ものさし」の内実に、いったん<気づく>ことが肝要になる。
ぼくは、日本の外で生きながら、ときに、じぶんの狭い「ものさし」に翻弄されてイライラすることもあるけれど、いろいろと周りで起こる物事やアイデアや現象を「そういうのも、ある」というように、<横向き>にひろがる世界観を楽しんでいる。
「世界」で生きてゆくための<コミカル視点>。- 出来事を「面白おかしく観る視点」。
日本を離れ、ニュージーランド、(西アフリカの)シエラレオネ、東ティモール、香港に住んで16年を超え、人生の「踊り場」のようなところで、これまでの海外生活をふりかえったりする。
日本を離れ、ニュージーランド、(西アフリカの)シエラレオネ、東ティモール、香港に住んで16年を超え、人生の「踊り場」のようなところで、これまでの海外生活をふりかえったりする。
「世界」で生きていくために何が大切なのだろうと、いくつかの文章も書き溜めている。
香港の街を歩きながら、そういえばまだ文章にしていなかったことに、ふと思いあたる。
それは、言ってみれば、<コミカル視点>。
周りでいろいろと起こる出来事を「面白おかしく観る視点」である。
香港の街で、通りを歩き、店に立ち寄ったりしていてときに、そんなことをかんがえる。
じぶんの想像外の出来事、じぶんの常識外の出来事など、「じぶん」の枠をはみだすような出来事や人に、「世界」に住んでいると出くわす。
日本にいても出くわすときは出くわすのだけれど、異文化・異空間において、その確率と深度はいっそうと増してくる。
単純に、面白いこともある。
でも、じぶんの枠をはずれてくるから、「じぶん」にとって心地よいことばかりではない。
不快感を感じたり、人の対応にいらだったり、じぶんの「正しさ」をもちだしてネガティブにジャッジしてしまうようなこともある。
これらを含めて、「面白おかしく観る視点」があるだけで、気持ちが楽になるし、なによりもそのような出来事や人に出会えたことに感謝の気持ちさえおぼえる。
世界が、<コミカルな空間>として、ぼくたちの前に立ち上がってくる。
こんなことをかんがるきっかけのひとつは、スタンドアップ・コメディである。
コメディアンが、周りで起きているなんでもなさそうな出来事に、<面白おかしさ>の光を投じる。
取り上げられる出来事は、ふつうは不快なものであったり、痛みや苦労を伴うようなものであったりする。
また、例えば、アメリカに進出したコメディアンは、文化と文化の間隙から出てくる「面白おかしさ」を素材に、話を組み立てたりする。
そんなコメディを観ながら、そのように<世界を観る/構成する視点>の鮮烈さに、心を動かされることがあって、<コミカル視点>の大切さを思わずにはいられなくなったりする。
「面白おかしく観る視点」には、それを支える基盤として、やはり<好奇心>の炎が、しずかに燃えている。
また、なにかの「正しさ」などの判断軸ではなく、どれだけ面白いかの軸が、どっしりと座している。
そのような<好奇心>や<面白さの軸>は、文化を超えて、多様性と共振している。
そのようにして、<世界観>を、ひろげてゆくことができるのだ。
それにしても、だれかに体験談を語るときはいつだって、語るのは、このような「面白おかしい」体験談だったりする。
「不快」であったり、「いらいら」したり、「ありえない」という話だったりする。
ほんとうは、そのような体験に、心を奪われているからでもある。
香港で、「キャプテン翼」に出会い、諸々のことをかんがえる。- 子供の頃の「あこがれ」を見つめる。
ここ香港のショッピングモールで、「キャプテン翼」に出会う。
ここ香港のショッピングモールで、「キャプテン翼」に出会う。
ワールドカップの時期にあわせられたであろう、「キャプテン翼」をモチーフとしたイベントだ。
「キャプテン翼」は、1980年代に/から日本で人気を博したサッカー漫画である。
連載開始から35年以上も経過する漫画が、ここ香港でも、その存在感を放っている。
香港の人に「日本のどこのご出身ですか?」と聞かれたら、「静岡という県で、キャプテン翼と同じですよ」と答えることができる。
それにしても、ぼくが子供の頃「はまっていた」この漫画に、こうして出会うのは、とても不思議な気持ちがする。
そんな不思議な気持ちを抱きながら、子供の頃のぼくにとって「キャプテン翼」の存在は、とても大きかったのだと、あらためてかんがえてしまう。
ぼくは「キャプテン翼」に惹かれてサッカーを始めたりしたわけではない。
でも、香港で「キャプテン翼」に出会って、昔のことを思い出していたら、ぼくは「大空翼」という存在にあこがれていたんだという記憶がよみがえってくる。
漫画を読み、テレビで観て、またときにはサッカーボールを蹴りながら、ぼくは「大空翼」になりたかったんだという記憶。
そして、漫画という世界に、生きるということの大切なことを学んでもいたのだと、今になって思う。
大空翼がもつ「ボールは友達」という信条に、直接的に、あるいは間接的に影響を受けた。
それは、「モノ」や「道具」にたいする態度、距離感のようなものを、ぼくのなかに生成させたのだ。
また、キャプテン翼の登場人物の小さいフィギアを手に入れて、サッカー場の全体を俯瞰しながら、試合運びを想像したりして遊んでいたことも、場の<全体を見る眼>を養ってくれたのかもしれない。
そして、なにより、<夢を追う>ということにおいて、ぼくは大空翼に学んだのだと思う。
ぼくはときおり、今をよりよく生きるために、「昔のじぶん」(今のじぶんのなかに生きている昔の「じぶん」)を見つめ直すワークをみずからやったりするけれど、「大空翼」の存在は忘れていたことに気づかされる。
それが漫画であったからかもしれないけれど、逆に漫画の人物だからこそ、「現実」を超えたところに飛び立つような存在だからこそ、ぼくたち(子供たち)に与えてくれるものがあるのかもしれない。
ところで、昨年2017年、BBCニュースを読んでいたら、内戦の続くシリアの難民の子供たちに、「キャプテン翼」の漫画が届けられているという記事を見つけて、驚きと歓びを覚えたことも、この機会にぼくは思い出す。
日本に留学していたシリア人の方が、何かできないかと、協力を得ながら、「キャプテン翼」のアラビア語版を作成し、それが子供たちに届けられたという。
子供の頃、ぼくがキャプテン翼に学び、楽しみ、夢を抱いたように、今も、世界の子供たちが「何か」を得ている。
そんな諸々のことを、香港のショッピングモールで「キャプテン翼」に出会って、かんがえる。
それにしても、「キャプテン翼」がこれだけ時空を超えて愛されつづける、その<普遍性>はどこにあるのだろうかと、ぼくの「分析理性」が作動する。
「自己実現」ということについて。- 河合隼雄による「自己実現再考」。
河合隼雄の著書『おはなし おはなし』(朝日文庫、2008年)は、1992年から1年にかけて新聞紙上で連載されたエッセイをとりまとめられたものである。
河合隼雄の著書『おはなし おはなし』(朝日文庫、2008年)は、1992年から1年にかけて新聞紙上で連載されたエッセイをとりまとめられたものである。
心理学者・心理療法家である河合隼雄の書くものは時代を超えるようなものでありながら、新聞紙上ということもあり、時代を反映させた内容もあり、ぼくは当時の日本や世界を思い出しながら、またそこに生きていたじぶんを思いながら、読んだ。
このエッセイのなかに、「自己実現」ということが置かれている。
1990年代初頭に行われた日本臨床心理士会の全国大会の公開公演で、東京大学教授(当時)の村上陽一郎が「本当の私」という話をし、そして河合隼雄自身は「自己実現再考」という話をしたことの、ダイジェスト版である。
臨床家たちが悩みなどの相談を受けているうちに、ただ悩みを解決するだけでなく、「自己実現」ということが大切であると考え始め、「自己実現」という言葉も一般化してきていたなかでの、「自己実現再考」である。
河合隼雄も指摘するように、言葉が一般化することの負の側面として、そこに誤解がつきまとうこと、またそれにまどわされる人も出てくることがあり、「自己実現」もこの言葉の一般化の罠にはまっている。
言葉の一般化には、そのように特定の仕方で解釈したり、言葉が方向づけたりする欲求・欲望をもつ身体たちが存在している。
そのような言葉の一般化の罠をときほぐし、「自己実現」を、もう一度捉え直すことを目的とした講演である。
「自己」を実現する、というと、ともかく「自分のやりたいこと」をできる限りすること、そして、それは幸福感に満ちたものなどと思う人がいる。「自己実現を目標にして努力している」とか、「自己実現を達成した」などと言う人さえ出てくる。しかし、「自己実現」というのはそんななまやさしいことではない。
実現しようとする「自己」とはいったい何なのだろうか。奥底に存在して「実現」を迫ってくるものは、混沌そのものと言っていいほどつかみどころのないものなのだ。…
河合隼雄『おはなし おはなし』朝日文庫、2008年
このつかみどころのないものは、じぶんの意識で簡単にはコントロールできるものではないし、この社会で生きていくなかで出世やお金もうけなどの一般の評価に寄り添いすぎると、賞賛は得ても、「自己実現」の道筋からははずれてくるかもしれないと、河合隼雄は書いている。
河合隼雄が素材として挙げているのは、夏目漱石の著作『道草』。
主人公である中年の健三は、大学教授という「本職」をやろうとしつつ、ごたごたにもまきこまれ、「道草」ばかりさせられているように思っているが、この「道草」こそが、高い次元から見ると、自己実現の道となっている。
そのように河合隼雄はこの作品を読んでいる。
明確な目標があってそれに到達するなんてものではなく、生きていることそのままが自己実現の過程であり、その過程にこそ意味があるのだ。従って、よそ目には「道草」に見えるかも知れないが、それが自己実現の過程になっている、と考えられる。…
河合隼雄『おはなし おはなし』朝日文庫、2008年
ここで河合隼雄は、大切なことにふれている。
第1に、明確な目標を超えてゆくようなところに「自己実現」があること、第2に、生きていることの過程そのものが「自己実現」の過程であり、そこに意味が凝縮されてあること、さらに第3に、よそ目には「道草」に見えるかもしれないこと、である。
そして、「自己実現の過程になっている」という表現をしている。
自己実現を「する」のではなく、そのような過程に「なっている」というように、言葉を丁寧においている。
生きていることの過程を生きつくしながら、自己実現の過程に「なっている」ということに、自己実現の本質があると、ぼくは思う。
そんなことを思いつつ、きっちりと読んだことがない夏目漱石『道草』を読んでみようと思う。
それにしても、夏目漱石『道草』のなかに「自己実現」のテーマを見出す河合隼雄の慧眼に、ぼくは心を動かされる。
男性が抱え込みがちなモノとしての「本」。- 「知識コンプレックス」を乗り越えてゆく。
「断捨離」で有名な、やましたひでこ。
「断捨離」で有名な、やましたひでこ。
ここ香港でも、著作の中国語版が書店にならんでいる。
そのやましたひでこは、著書『大人の断捨離手帖』(学研)のなかで、男性が抱え込みがちなモノ、女性がため込みがちなモノにふれて、次のように述べている。
特に、男性は、プライドを大事にする生き物。「自己重要感」を満たしてくれるモノ、「自分はすごい!」とアピールできるモノを抱え込みがちです。
…
女性は、誰からも愛されたい生き物。「承認欲求」を満たしてくれるモノをため込みがちです。
やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年
このような傾向を見てとりながら、実例として、次のようなものを挙げている。
<男性>
- コレクター商品:フィギアや骨董、レコードなど
- ネクタイ
- 本
<女性>
- キッチン道具類
- 洋服
- 容れ物
大切なことは、これらに照らし合わせながら、じぶんがどうこう、家族がどうこうと言うこと以上に、それらを通じてじぶんを見つめなおしていくことである。
ぼくは、これらの例を見ながら、たくさんある「本」を通じて、じぶんを見なおす。
やましたひでこは、男性が本を抱え込む背景には、「知識コンプレックス」が潜んでいる可能性があるという。
かしこく思われたいなど、周囲から一目置かれたい欲求というわけだ。
ぼくにとって「本」の存在は、それ自体で歓びのあるようなものであるけれど、購入しても読んでいない本の「山」や「リスト」(電子書籍)を見ていると、そのような欲求があったことを、ぼくは見てとる。
しかし、やましたひでこの言う「知識コンプレックス」ということ以上に、知識は、ぼくの「武装」でもあったように思う。
それは、「知識武装」ということが、何かを解決することへの<攻め>を示唆すると同時に、「武装」という言葉に隠れる「じぶんを守る」という<守り>の感情があるように、ぼくは思う。
その感情は、ひとつの「怖れ」のようなものだ。
「知る」ことで、ぼくたちは、世界をじぶんが説明できる「ことば」に置き換えて、安心をえる。
やましたひでこは、「モノをためこむ3つの心理タイプ」として、次のように書いている。
「モノをためこむ3つの心理タイプ」
(1)現実逃避型
(2)過去執着型
(3)未来不安型
これらの「型」はとても整然とまとめられていて、ぼくたちの「心」を見つめる際に、とても役に立つ視点である。
そして、やましたひでこは、これらの型すべてに「共通する心理パターン」として、次のように明晰に語っている。
それは、どの型の場合も、モノをため込む心理のもとにあるのは「怖れ」だということ。
現実を見たくない。過去の栄光を手放したくない。将来困りたくない。
こうした怖れが、「執着心」を呼び起こします。別の言い方をすれば、私たちの心の弱点が、モノをため込ませるのです。
やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年
このような「怖れ」を、それもよしとしながら、どこかで反転させてゆくことが、生きることをひらいていくことになる。
「片づけること」は、そのような反転のプロセスにおいて、とても効果的な手段である。
「本」は、しかし、読めば読むほどに、その経験を深く突破していけばいくほど、「ぼくは何も知らない」ということを、ぼくに教えてくれる。
知っているけれど、知らないという逆説のなかに、ぼくは絶えず置かれてゆくことになる。
でも、「知らない」ということが、いわゆる<ない>という否定性のなかに置かれるのではなく、逆に、「wonder」(なんだろう)と表現できるような果てしない好奇心の方へ突き抜けてゆくところに、ぼくにとっての「本」がある。
そして、そうなると、「本」だけではなく、実際に体験する方へと、生をひらいてもいくのだ。
パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年)の物語において、錬金術を本で学んできた少年サンチャゴに対して、学ぶ方法は「行動を通してだ」と、錬金術師が導くように。
「ことばは心を連れてくる」(黒川伊保子)。- 男女脳のミゾの突破口としての「セリフ」力。
脳科学コメンテーターの黒川伊保子先生には、教わってばかりだ。
脳科学コメンテーターの黒川伊保子先生には、教わってばかりだ。
女性脳のこと(また男性脳のこと)については、じぶんの「頭のなか」を一生懸命にさがしたり、かんがえたり、いろいろしてみても、そもそもの「構造と機能」の違う脳であるから、やはりよくわからない。
だから、まずはひたすら教わって、学ぶことである。
女性の機嫌を直すには、これはもう、真摯に謝るしかない。ほとんどの男性がそのことを知っている。なのだが、ほとんどの男性が、謝り方を間違っているのである。
…
女性に謝るときは、彼女の気持ちに言及して謝る。これが基本形。
黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年
例えばの状況として、女性との待ち合わせに遅刻し、携帯電話でも連絡がうまくとれず、20分待たせてしまったような場合。
ほとんどの男性は、「ごめんごめん、部長に呼び止められちゃって」というように、遅れたことの理由を語る。
このように謝ってはいるのだけれど、謝り方が間違っているという。
大切なことは、この女性の「“二十分”の気持ちを慰撫すること」なのだと、黒川伊保子は書いている。
…「寒かったでしょう?(暑かったでしょう?)(心細かったよね?)、ごめんね」が正解。「あなたのような人を、こんなところに二十分も待たせて、どうしよう」なんて言ってくれれば、遅れてきた理由も聞きやしない。
女性脳は、遅れてきたという結果よりも、心細い思いをした経過のほうに、ずっと重きが置かれている。男性脳は、結果重視なので、彼女がたとえ遅れてきても、走ってきてくれて、満面の笑みを浮かべてくれれば、それでよしとするのだが、プロセス重視の女性脳は、そんなわけにはいかない。
黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年
ぼくが思うのは、このように読んでいるときは理解はできるのだけれど、いざ同様の場面になって、じぶんの頭で謝り方をかんがえても、いつのまにか「男性脳」の構造と機能につられてしまう。
そのようにして頭に浮かび、「よかれ」と思って言った言葉が、相手を怒らせたり、傷つけてしまったりする。
そのことを乗り越える方法は、徹底して女性脳(あるいは男性脳)の構造と働きをじぶんのなかにインストールすることである。
しかし、これがとてもむずかしかったりする。
だから、ひとつの方法は、いくつもの場面に合うような「セリフ」を覚えておくこと、そして実際にセリフを語っていくことである。
「セリフ力」をつけていくのである。
黒川伊保子も、「セリフだけでいいから言うこと」をすすめている。
当然のことながら、セリフに「気持ちがこめることができない」という疑問もあげられる。
そんな疑問を抱く男性に対して、黒川伊保子は次のように、アドバイスしている。
それに、ことばは心を連れてくる。
ある男性が、私に「僕は、共感もしてないし、申し訳ないとも思っていない。だけど、先生はセリフだけでいいから言えと言う。心のないセリフを言われて、女性は嬉しいのでしょうか」と言ったことがある。
「心にないセリフでいいの」と私は言った。「でもね、その優しいことばに、奥さまがほろりとして笑顔になったら、あなたはきっと言ってよかったと思うはず。あとから、優しい気持ちが追いかけてくる。それで十分」
男女のミゾは深くて、相手に「自分の脳の中にあるような真実」を求めようと思ったらあまりにも空虚な関係になる。けれど、この男女のミゾは、意外に幅が狭くて、ことばの橋が懸けられる。…
黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年
「ことばは心を連れてくる」、とても素敵なことばだ。
プライベートでも、仕事でも、「セリフ力」をつけていくことで、セリフはぼくたちの強い味方になってくれる。
男性脳と女性脳の「悪循環」はいったんそれがまわりだすと、それぞれの構造と機能が違うだけに、ループをどこかで止めることがむずかしくなってしまう。
そのようなループを止めるとき、セリフは、ぼくたちを助けてくれる。
たとえ最初のうちは「心」がこもっていなくても、ループがとぎれて、そこに暖かな光がうまれるとき、しぜんと、「優しい気持ちが追いかけてくる」のだ。
そう、ことばが、心を連れてきてくれる。
「人工知能の脳」は、男性脳か、女性脳か。- やはり、黒川伊保子先生に、耳を傾ける。
人工知能(AI)が日常の会話のなかにも、現実にも浸透してきているなかで、人工知能のモデルは「男性脳」なのか、「女性脳」なのかという問いに、視点を得ることになった。
人工知能(AI)が日常の会話のなかにも、現実にも浸透してきているなかで、人工知能のモデルは「男性脳」なのか、「女性脳」なのかという問いに、視点を得ることになった。
1980年代、人工知能の創生期において人工知能エンジニアであり、現在は人工知能研究者であり脳科学コメンテーターである黒川伊保子の著作、『女の機嫌の直し方』(集英社インターナショナルe新書、2017年)を読んでいて、「確かに、その問題はあるなぁ」と、気づかされたのだ。
男女脳は、違う。
初めて、そのことを知った日の衝撃を忘れられない。
人工知能エンジニアである私に、それは重くのしかかってきた。ーー私たちが目指す「人工の脳」は、いったい、どちらの脳を目指しているの?
黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年
当時は、人工知能研究の最前線には男性しかおらず、研究者たちは男性脳=ヒトの脳と信じていたと、黒川伊保子は振り返っている。
人工知能の創生期以後、「人工知能」の研究も言葉も読者にはひびかないから、「脳科学エッセイ」として、黒川伊保子は本を出してきた。
そして、ようやく「人工知能」が脚光を浴びる現在、このキーワードと共に、男女脳を語ることができるようになる。
ぼくは、それら黒川伊保子の「脳科学エッセイ」という形の本などで、じぶんの考えの及ばない「女性脳」にふれて、学ぼうとしてきた。
脳が違うから、学んでも学んでも、幾度も幾度も、失敗をかさねてきている。
そんなとき、ぼくは、やはり、黒川伊保子先生の本をひらいて、男性脳らしく「問題解決」をこころみるのだ。
女性に接するときに、最も気に留めておいてほしいこととして、「とにかく共感」ということを、黒川伊保子は幾度も伝えてくれている。
「いきなり問題解決」ではなく、「とにかく共感」。
例えば、女性たちが「カワイイ~」と口にするとき、男性脳の男性は「何がカワイイのかわからない」と言ってしまったりして、対象物を「評価」しようとしてしまう。
しかし、女性たちの「カワイイ~」は、「心が動きました~、あなたも動いた?」というほどの意味であるという。
そのようにいろいろにアドバイスをしてくれる黒川伊保子は、「脳の性差」がやがて失われるかもしれないとも書いている。
言語スタイルはインターネットによってゆるやかに統一されてきていること、都市化の進展と「生殖ホルモン分泌の緩慢さ」などにより、脳の性差が失くなっていくかもしれないというのだ。
脳の性差がなくなった場合、生物学的に「原型」である女性脳に統一が進んでいくだろうということも付け加えている。
そうすると、例えば、おしゃべり上手な優しい男たちが増え、無骨で一途な男たちが、この世から消えてしまうことになることを想像しながら、黒川伊保子は、女にとって、それは幸せなことだろうかと自問している。
…私は寂しいなぁ。私は、私の傍にいる男たちが、必要なときに必要な言葉を言えず、ほんの少し私をいらだたせる感じが好き。そうして、私がちょっと冷たくしたら、ちょっとビビって機嫌をとってくれる、あの感じがたまらない。男たちが無骨じゃなかったら、人生は、うんとつまらない。
この本を必要としてくれる男がいる以上、男らしい男性脳は、まだこの世に存在するということでもある。この本の読者に、心からの愛とエールを贈りたい。
黒川伊保子『女の機嫌の直し方』集英社インターナショナルe新書、2017年
黒川伊保子先生の本を、いつでも開くことができるようにしているぼくは、こうして、黒川伊保子先生の「心からの愛とエール」を受け取りながら、脳の違いに向き合い、そのミゾに対峙している。
じぶんの言動を見つめるシンプルな視点。- 言動が「love」に充たされず、じぶんの「fear」からなされていないか。
じぶんの思考と行動を見つめるためのシンプルな視点(方法)は、それらが、「fear(怖れ・恐れ)」からか、「love(愛)」からかを問うことである。
じぶんの思考と行動を見つめるためのシンプルな視点(方法)は、それらが、「fear(怖れ・恐れ)」からか、「love(愛)」からかを問うことである。
じぶんの他者に対する発言(意見やコメントやアドバイスなど)や行動が、どちらから発生してきているか。
プライベートにおいて、あるいは仕事のさまざまな場面において、じぶんの言動は「怖れ・恐れ」から来ていないだろうか。
とてもシンプルな見方・方法だけれど、それはとても大切なことを教えてくれるものでもあると、ぼくは思う。
自己啓発などの著作を読んでいると、ときおり、出てくる視点である。
例えば、Gerald G. Jampolsky『Love is Letting Go of Fear』(Celestial Arts, 1979/2004/2011)は、邦訳『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク出版)も出ていて、長く読み継がれてきている本である。
英語版の第三版には、音楽家のカルロス・サンタナが文章を寄せており、彼にも多大な影響を与えてきたことが書かれている。
この本では、本のタイトルにもあるように、「手ばなすこと(Letting Go)」など、さまざまな角度から、「fear」と「love」のことが展開されている。
「fear(怖れ・恐れ)」は、よく言われるように、そこで怖れるもののほとんどが、実際には起こらない。
その起こらないことを怖れて、その怖れをベースに発言がなされたり、行動が起こってくる。
「これは、あなたのために…」という発言を掘り下げてゆくと、往々にして、じしんの怖れから来ていることがわかったりする。
そして、怖れから発せられる言葉や、怖れに起因する行動は、怖れが明示的ではなくても、他者は自然と感じてしまうものである。
言動を起こす側は「怖れ」をいだき、言葉を受けたり行動が向けられる人もそれを察して、心が閉じてしまう。
だから、「fear」を解きほどいてゆくこと、手ばなしてゆくことが、そのような状況をひらいていくうえで、とても大切である。
「fear(怖れ)」それ自体が悪いなどと言うのではないけれど、言動を起こす側としても、あるいはそれらの受け手にとっても、「love」に充ちているような世界を、ぼくは選択する。
良し悪しの問題ではなく、どのような世界を選ぶのかという、「選択」の問題である。
なお、「love(愛)」という言葉は、なかなかわかりにくいものでもある。
定義のされ方もいろいろであるけれど、それは、ほんとうは、だれもがすでに「知ってる」ことでもある。
言葉に捉われすぎずに、まずは、じぶんの言動が「fear(怖れ)」から来ていないかを見つめてみることである。
「fear(怖れ)」を見つけることができたら、ゆっくりと、それを手ばなしていくこと。
「fear(怖れ)」を含め、ぼくのなかにあるあらゆることを、ぼくは、ずーっと、「手ばなす(Letthing Go)」ことをつづけている。
「自己批判の系譜」(見田宗介)というエッセイの視点。- 「じぶんをのりこえる」ということ。
人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。
人生の道ゆきにおいて、じしんの生き方をのりこえようとするときが、人にはある。
その「とき」の前に、(世間的な観点において)「何か」を達成してきた人もいれば、とりわけ達成していない人もいる。
いずれにしても、ぼくは「のりこえてゆく」ことに関心がある。
その「のりこえ」のひとつの方法(また形態)として、「自己否定・自己批判」ということを踏み台にすることがある。
社会学者の見田宗介は「自己批判の系譜」という短いエッセイで、作家などの「系譜」にふれながら、この「のりこえ」について書いている。
系譜として挙げられている作家のひとりは、トルストイである。
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などで知られるトルストイであるけれど、これらの作品を含め、彼の壮年期の作品を、トルストイは晩年になって否定した。
それから、与謝野晶子は『みだれ髪』など、若い頃の作品を忌み嫌っていったという。
でも、このように書き手じしんによって否定されてきた作品たちは、「古典」として長きにわたって読みつがれているように、読み手の心の奥深くに届くものである。
また、「自己否定・自己批判」のあとの作品たちが、その前の作品たちを超えるようなものであるかというと、そういうことでもない。
見田宗介は、これらに触れながら、次のように「視点」を提示している。
…このことは「自己否定」が必ずしもつねに全身的なものではないということを示す。
しかし同時に、このようにたえず自己を否定してのりこえようとする資質、あるいは精神の緊張がもともとその人にあったからこそ、その「初期」のすぐれた作品もありえたのではなかっただろうか。
…問題はどれだけ深い思想性をもって過去の自分を総括しのりこえ、その後どのような仕事をしているかということにあるだろう。「自己批判」とは最も悲惨な虚偽でもありうるし、最も偉大な跳躍でもありうるきわどい両義性の炎の中で、その人の資質を照らし出す行為である。
見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年
この文章自体、見田宗介の若い日(30歳を超えた頃)の文章であり、それから50年近くを経過した今の地点から振り返るのであれば、この文章が書かれてから数年後に、見田宗介は「偉大な跳躍」へと突き抜けていき、ほんとうに大きな仕事をしている。
とはいえ、それまでの仕事を否定しきるという仕方ではなく、しかし、幾重にものりこえていく仕方によって跳躍している。
ところで、「自己否定」という言葉は、その表層だけではなく、一段降りて、その意味合いをひろいだしておくことが大切であると、ぼくは思う。
単純に「自己を否定する」というように語ると、人によっては、ただただネガティブな仕方で取り込んでしまうかもしれない。
まず第1に、「自己」とは、じぶんの存在すべてということではなく、じぶんのやり方であったりあり方ということである。
別の観点では、ここでの「自己」とは、言葉や観念でつくられている「社会的な自己」の行動や思考ということであるともいえると、思う。
それから第2に、「否定」ということは、やり方やあり方を違った視点で見て変えていくことであるけれど、その基軸は「正しい/正しくない」「良い/悪い」などではない。
そのような基軸で否定・批判していくこともあるだろうけれど、必ずしもそうではないし、それらの基軸をこえるようなところに<跳躍>がみられるようにも思う。
第3に、上述からもわかるように、「自己ー否定」は、必ずしも「じぶんが悪かった」という図式ではない(少なくともそのような図式には限られない)。
むしろ、「じぶん」を客観的にみつめることで「じぶん」を深いところで受け入れながら、「じぶんの軸」においてこれまでのやり方やあり方を深いところで変えていくときに、「きわどい両義性の炎のなか」で、跳躍への跳躍台を準備するものとなると、ぼくは思う。
跳躍台は、跳躍の先に(世間的に)大きな仕事をするかどうかを約束するものではないけれど、それは「じぶん」をきりひらいてゆくための、あるいはこれまでとは異なる世界に生きていくための、その足がかりとなる。
「自己否定」という言葉が表層につくりだすイメージを超えたところに、「じぶんをのりこえる」(あるいは「じぶんがのりこえられる」)ということの本質が現出してくるように思われる。
「芸と人柄」(見田宗介)というエッセイの視点。- 評価の基軸としての「芸」と「人柄」。
「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。
「芸と人柄」ということについて、社会学者の見田宗介は、1969年に興味深いエッセイを新聞で発表している(見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年)。
スターの人気というものが、世代によって「選択の基準」そのものが異なるという現象を、ある放送局がおこなった調査から抽出している。
その調査によると、年配の層は、俳優や歌手をその「芸」を基軸として評価するのに対し、若い層は、スターの「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価しているということである。
当時の若い層は、歌や演技などの芸とは別に、歌手や俳優などが「どんな人」なのか、どのような「生き方」をしているのかということを知り、「人柄」における、かっこよさや率直さ、親しみやすさなどを、評価の軸としていたということである。
「パーソナリティ(人柄)」を基軸として評価される傾向は、1969年以降、そしてほぼ50年が経過した今も、変わることがないように思われる。
むしろ、情報技術の発展とともに、情報の窓が有名人たちのプライベートへとさらに深くさしこまれるなかで、その人物の全体性がさらに問われるようになってきている。
また、このことは有名人に限られたことではなく、ビジネスの分野でも同様の傾向がひろがり、「商品」だけではなく、会社や組織の「ブランド」の全体性が問われるようになっている。
見田宗介は当時、次のように分析的なコメントを書いている。
古い時代のファンたちもスターの「人間」を問わぬわけではなかった。だがそれは、人生をかけた精進の結果としての「芸」にこそ結晶し、しぼりこまれて表現されるべきものであった。その生き方がホンモノかニセモノかを証す最終的決済が「芸」にほかならなかった。今や基準は逆転し、歌や演技がホンモノか否かを定める文脈として、大衆はスターの「人間」を問う。それはそもそも歌手や俳優が、その芸によって、自己の生き方の最終的な決済を大衆に問うというだけの、気迫の芸を失ったからかもしれない。
見田宗介『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年
今の時代の文脈のなかに、このコメントを落として視てみたとき、そこにはどのような風景が見えてくるだろうか。
歌や演劇などではないけれど今の時代において「職人技」が脚光をあびることの背景として、見田宗介が当時推測していたように、自己の生き方の結晶された「気迫の芸」がますます失われているのかもしれない。
だからこそ、「職人技」はぼくたちの心をうつ。
また、そのようにかんがえていると、歌や演技においても、生き方が凝縮されたような「気迫の芸」がやはり存在していることにも気づかされる。
そうして<芸ーーー人柄>という、それぞれを両端とする線分があるとして視てみると、その線分上にさまざまにプロットできるような仕方で、アーティストは存在している。
他方で、このようなスペクトラムを崩すような仕方で、のりこえていってしまうような人たちもいる。
例えば、生き方という<芸>を追求し、これまでの定義や固定観念を書き換えていく人たち。
そのような自由な<芸の人>たちが、世界の風景に、風穴をあけてゆく。
どんな「洗顔」にも哲学(生き方)がある。- 今野華都子著『顔を洗うこと 心を洗うこと』。
「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。
「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。
村上春樹は、「どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの觀照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい」(前掲書)と書いているけれど、ぼくは、どんな髭剃りにも「生き方」が詰まっていると思う。
別に髭剃りでなくても、どんな行為でもいい。
そこには何かしらの哲学、あるいは生き方があらわれてくる。
「洗顔」という、ぼくたちが日々続けている行為においても、ぼくはそこに哲学(生き方)があると思う。
そのような視点において、『顔を洗うこと 心を洗うこと』(サンマーク出版)という著作で、エステティシャンでもある著者の今野華都子(こんの・かつこ)は、「顔を洗うこと」と「生き方」をひとつとするような洗顔の仕方を教えてくれている。
本の最初のページで、今野華都子は読者に次のように質問を投げかける。
「あなたは子どもころ、誰かに顔の洗い方を教わりましたか?」
今野がそのように質問を投げかけると、ほとんどの人たちは「教わってもらっていない」か、教わっていても具体的な仕方は教わっていなかったりする。
ぼくも、見よう見まねでならっただけだと記憶している。
また、最近は女性誌などにも「洗顔の仕方」のページがあったりするけれど、それらは「美容」を目的としているものが多いのだろう。
今野は、そこに、さらに別の効果があるとし、「母親がわが子を大事に思い、キレイな顔でいてもらいたいとの願いを込めて「洗顔」を伝えるとしたら、それはどのような洗い方でしょうか」と読者に問いかける。
そこから、洗顔教室も営む今野が望むこととして、次のように書いている。
あなたが、あなたのお母さんになったような気持ちで、
あなた自身を大切に扱ってあげてください。
今野華都子『顔を洗うこと 心を洗うこと』サンマーク出版、2014年
今野は、こうして、本書で、大きく8ステップの「今野華都子式洗顔方法」を伝えている。
<じぶんを大切にする>ということにより深い次元でコミットしていたときに、ぼくはこの本と出会い、「顔を洗うこと」の見直しをせまられることになった。
「顔を洗うこと=よごれをとること、朝は目をさまさせること」ほどの意識であったから、そこに<心を込めて>という意識と動作はなかった。
そこに、顔を洗うことということのなかで、<心を込めて>ということをじぶんに向けていくことで、これまで<じぶんを大切にする>ということを忘れていたことに気づかされた。
そのようなこれまでの「洗顔の仕方」が、ぼくの生活のいろいろなところにも、出ていたように気づいたのだ。
今野じしんが実際にお客様の「お顔を洗ってさしあげている」と、それだけで、涙を流す方や感謝される方がいるという。
今野は、お客様が「自身が大切にされていた記憶、愛された記憶が蘇るからなのだ」と思うと、書いている。
<じぶんを大切にする>ということは、他者たちのじぶんへの接し方(大切にしてくれる接し方)にも影響し、また、じぶんを大切にすることで生まれるじぶんの状態と余裕が他者に役立つうえでも重要な土台となる。
そのような好循環を生みだしていくうえで、心を洗うように顔を洗うこと、<じぶんを大切にする>仕方で顔を洗うことは、大切な入り口であり、また日々習慣として続いていく大切な「哲学」である。
その意味において、どんな「洗顔」にも哲学(生き方)が込められている。
「こんな生き方もあるんだ」という感覚。- 「自明性の罠」(見田宗介)をひらく。
アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。
アジアを旅し、海外(ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、香港)に住んできて、ぼくにとって大きかったことのひとつは、いろいろな人たちに出会ったり、いろいろな人たちと同じ空気を吸いながら、「こんな生き方もあるんだ」ということを、肌感覚で認識してきたことである。
いわゆる(狭義での)「情報」としては、ぼくたちは、「いろいろな生き方」があるということは知っている。
けれども、頭でわかっているだけで、「いろいろな生き方」を実感し、いろいろな生き方へとひらかれてゆくことは、それほど容易ではなかったりする。
「いろいろな生き方」をしている人たちが、じぶんの<実感として感じることのできる範囲>に現れることで、「いろいろな生き方」が、ぼくたち自身が自身のなかに仕掛ける<自明性の罠>(見田宗介)のなかに忍び込み、その罠をときほどいてゆく力を宿していく。
あくまでも、ぼくの経験上のことである。
アジアを旅しながら、ぼくはいろいろな「旅人」に出会ってきた。
1年以上の「年単位」で旅する旅人たちが存在することは、いろいろな本でも読めるし、情報としては知っている。
しかし、宿のドミトリーで、そんな人たちと会話をしていると、「いろいろな生き方があってもよい」という感覚が、ぼくの「あたりまえ」という<自明性の罠>に入り込んでゆく。
ニュージーランドに暮らしながら、そこでもいろいろな人たちに出会った。
アジアの国々から家族で移住してきた人たち、ニュージーランドで農場を営む人たち。
キャンプ場で出会った陽気な旅人たちは、イスラエルの兵士たちだと知る。
ぼくと同じように、ワーキングホリデー制度を利用して、「何か」を求めながら暮らしている日本の人たちなど。
西アフリカのシエラレオネでは、長い紛争が終わった後に、一生懸命に生活を立て直そうとする人たちがいた。
国連や国際NGOで働いている人たちも、いろいろな人たちで、シエラレオネという土地で、いろいろな人たちの人生が交差した。
世界の紛争地をかけめぐって支援をしている人たちもいる。
各国の軍隊や警察の人たちと、たまたま、このシエラレオネで出会う。
会う人たちそれぞれが、それぞれの「生き方」をもっていて、「生きる」ということが直線である必要もなく、いわば「物語」に充ちていることを知る。
「こんな生き方もあるんだ」という認識にひらかれる前は、ほんとうに狭い生き方の「枠」のなかに閉じ込められていたようで、ぼくはそれらをまるで「あたりまえこと」のようにして生きていた。
「あたりまえのこと」のような「現実」をつくっていたのは、(今思えば)ぼく自身であった(「ぼく」というのはひとつの<現象>であって、そのうちに、社会や世間などの他者の考えや声が入り込んでいるから、単純に「ぼく自身」と言い切れないところがあることは注記である)。
「あたりまえ」と勝手に思っていた社会やそこでの生き方から離れてみて、そしていろいろな人たちがぼくの半径○メートルという世界に現れて、ぼくのなかでの<自明性の罠>に亀裂が入っていったようだ。
シエラレオネの次に住んだ東ティモール。
こちらでも、長年にわたる紛争をのりこえてきた人たちに出会った。
一緒に働いたコーヒー生産者とその家族たちの「生き方」にも、どっぷりとつかった。
国連や国際NGOで働いている人たちの生きてきたルートもさまざまである。
それから、ここ香港。
ここはここで、多様性のある社会であり、家族の大切にされる社会である。
やはり、いろいろな人たちが、いろいろな生き方をしている。
ぼくは、このようにして、「こんな生き方もあるんだ」という感覚を、ぼくの<自明性の罠>からひらかれるようにして、ぼくのなかにつくりだしてきた。
このように、「生き方の幅」がひろがったことは、ぼくのなかで根拠のない自信も形成する。
なにがあっても大丈夫。
どのような人生のルートをとっていこうとも、どうにかなってゆく。
ぼくのなかに存在する他者たちも、ぼくにそう語りかけてくる。
「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。
「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである。
「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。
ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。
1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。
ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。
それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。
生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。
年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。
なぜルービックキューブのことを書いているかというと、家を掃除しているときに、以前購入した、携帯用のルービックキューブが出てきたことが、もともとのきっかけである。
「携帯用」のものを購入したのは、海外への空旅の際にでも取り組めるものとして、だいぶ前に購入したのであった。
電源が必要なものでもないから、例えば、飛行機に乗って、飛行機が離陸するときにも楽しめると思ったことを覚えている。
ただ、購入後、あまる楽しむことなく、家の隅に埋もれていたのであった。
ルービックキューブはぼくが小さいころに流行していて、そのときにときおり挑戦していたのだけれど、当時も、そしてつい最近になっても、「一面」を作る(=一面を同じ色のキューブで揃える)ところまでしか、ぼくにはできなかった。
家の隅から出てきた携帯用のルービックキューブを目の前にして、つい、ガチャガチャと動かしたくなる。
手にして一面を作ってみると、さらに、その先に進みたくなる気持ちが湧いてくる。
今では、インターネットでパズルの解き方(6面のそれぞれの色を合わせる仕方)が出ているから、ぼくはそれらの「教え」にしたがって解いてみることにした。
そのように決めて、ぼくはその「教え」に忠実にしたがって、ルービックキューブをガチャガチャと動かしていく。
それまで一面ができたら次の一面というように「順次」色をあわせていくと思っていたのだけれど、そうではない方法にふれて、ぼくの考えがまったく狭かったことに気づかされる。
そのような気づきに出会いながら、ぼくは忠実に「教え」にしたがって、色をあわせていくことになる。
最終段階に入り、やがて、ぼくは、人生で初めて、ルービックキューブを、この手で完成させることとなったのだ。
「やり方」を教えてもらいながらの完成ではあるのだけれど、進めてゆくさいに上述のような気づきを得ることで「やり方」以上のことを学ぶことができたし、また完成できたことそのものに嬉しさを感じることができた。
<できる>ということが、体験を通じて、この身体にその感覚をのこす。
ぼくのなかでは「無理」だと思っていたことが、<できることを体感すること>で、大切な感覚を与えてくれたように、ぼくは感じている。
そして、このような感覚は、ルービックキューブに限ることなく、生きていくうえで、いろいろな状況においても大切なことであるように、ぼくの身体は思ったのだ。
その感覚の余韻を今でも身体に感じながら、ぼくはルービックキューブについて書くことにした、というわけである。
「心を込める」という教えにひらかれてゆく道。- 新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』。
NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。
NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で「清掃のプロ」として取り上げられ、著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版、2015年)の著者でもある、「清掃の職人」新津春子。
日本空港テクノ株式会社社員として、羽田空港における清掃の実技指導者である。
上記番組のディレクター築山卓観に「仕事の流儀」をたずねられて、新津春子は次のように応えている。
「心を込める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。心を込めればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、人にも幸せを与えられると思うのね」
新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年
仕事の流儀として、「心を込める」と応える清掃職人の新津春子だが、そこにはドラマがある。
新津春子は、17歳のとき、生まれ育った中国の瀋陽から、両親と姉と弟とともに日本に渡る。
父は中国残留日本人孤児、母が中国人。
1987年にようやく日本に渡ったのちも、生活の厳しさのなか、日本語ができなくてもできる清掃の仕事に就く。
若いときは清掃の技術を身につけることに一生懸命で、仕事も技術の勉強も熱心であった新津春子。
そんな新津春子の仕事を技術だけではないレベルに引き上げたのは、上司の鈴木優常務との出会いであった。
鈴木常務は、新津春子を褒めることはせず、「もっと心を込めなさい」と言うばかりであったという。
仕事熱心でがんばっている新津春子は、何が足りないのかわからず、また「認められない」苦しさがのしかかる。
あるとき、その鈴木常務にすすめられて、新津春子は「全国ビルクリーニング技能競技会」に出場することになる。
そこで絶対に一位で予選会を突破できると思っていたところ、全国大会への切符を手にしたが、一位ではなく、二位で終わってしまう。
自分に何が足りないのかわからないままに、しかし、そんな折、鈴木常務の言葉に導かれながら、新津春子は気づきと変化を見つけてゆくことになる。
あるとき、鈴木常務に、「心に余裕がなければいい清掃はできませんよ」と言われました。自分に余裕がないと、他人にも優しくなれないでしょう、と。
そんなころ、空港のロビーで、親の手をすり抜けて床をハイハイする赤ちゃんを見かけたときに、はっとしたのです。今手にしているモップで清掃していいのだろうか?
それまでは、私は自分のために仕事をしていました。なにしろたたかう相手が自分でしたから。それが、使う人のためにもっときれいな場所にしたいという気持ちに変わったのです。一見きれいになったように見えても、モップ自体に雑菌が残っていたかもしれない。見えないところに汚れが残っているかもしれない。「かもしれない」「本当に大丈夫?」と、使う人の気持ちになってもう一度見直すようになったのです。
新津春子『世界一清潔な空港の清掃人』毎日新聞出版、2015年
その後、鈴木常務との猛特訓を受けて参加した全国競技会では、見事に「優勝」を勝ち取ることになる。
優勝を鈴木常務に報告した際の、鈴木常務の言葉に、新津春子は、今でも当時を思い出しながら、心を深く動かされるようだ。
鈴木常務は、新津春子に次のように語る。
「優勝するのはわかっていましたよ。…それだけがんばっていることは知っていましたから」、と(前掲書)。
この言葉に、「やっと認められた」という思いを新津春子は覚える。
鈴木常務の言葉に「認められた」と感じたのだけれども、それは、ほんとうは(心の深いところでは)、新津春子の<自分による自分に対する承認>であったように、ぼくには感じられる。
それからというもの、「周り」が変化しはじめてくる。
空港を清掃する新津春子に、お客様が「ありがとう」とか「ご苦労様」という声をかけることが増えていったという。
このプロセスのうちに、新津春子は「心を込める」という、手にとってみることのできないことの本質をつかんでゆく。
こうして、冒頭の新津春子の「仕事の流儀」は、語られる。
新津春子の著書『世界一清潔な空港の清掃人』(毎日新聞出版)は、「仕事」から「生き方」にいたるまで、さまざまなヒントでいっぱいである。
それらを読んでいると、なぜ「新津春子」という清掃職人が生まれたのかが、文章から、そしてその行間からも、伝わってくるようだ。
そんな新津春子にとって、空港の清掃のなかで「いちばん楽しい仕事のひとつ」は、子供たちが窓ガラスにづけていった小さな手の跡を拭き取ることであるかもしれないと、彼女は言う。
空港に来た子供たちははしゃいでいて、ロビーの床に尻もちをついたり、展望デッキの窓ガラスにぺたぺたと手をついたりする。
子供たちが楽しんでいる姿だけでなく、母親が「その場所が清潔だと感じて」子供たちを自由にさせていることを感じて、嬉しくなるという。
そのように感じる心が、窓ガラスにつけられた「小さな手の跡」にいらだつのではなく、そこに「いちばん楽しい仕事のひとつ」を新津春子に感じさせている。
そしてさらに、大人には見えない手すりの下側やソファの脚などにも、お構いなしにさわる子供たちを「どこを清掃すべきかを教えてくれる」存在であると新津春子が語るとき、そこには、「心を込める」という目に見えないことが、まるで、目に見えるような仕方で目の前に現れているように、ぼくは感じてしまうのである。
いつか、羽田空港で新津春子氏にばったりとお会いすることがあれば、ぼくは、迷わず、声をかけさせてもらうと思う。
そして、迷わずに、御礼の言葉を伝えさせていただくと思う。
さらには、ここ香港でも(そして他のところでも)、清掃をしてくれている人たちには、これからも、できる範囲で、御礼を伝えたいと、ぼくは思う。
じぶんの周りで起こっていることと、じぶんの内面をつなげて、観る。- 「360度、全方位的に『人生のヒント』」(心屋仁之助)。
心理カウンセラーである心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)では、これまでの心屋仁之助の語ってきたこと(じぶんで実践・実験してきたこと)が、現時点において、集大成的にまとめられている(ように、ぼくは読んだ)。
心理カウンセラーである心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)では、これまでの心屋仁之助の語ってきたこと(じぶんで実践・実験してきたこと)が、現時点において、集大成的にまとめられている(ように、ぼくは読んだ)。
「前者/後者論」についても、冒頭から触れられている。
本の後半、第4章「「言葉に出せる」人は、強い」の「6「あなたの耳に引っかかる話」が教えてくれること」において、「360度、全方位的に「人生のヒント」がある」ということを、心屋仁之助は語っている。
あなたの耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っているけれど、そのことに気づいていないよというサイン。無意識のうちに「他人の口」を借りて、自分の思っていることを主張しているということです。
そう考えると、僕たちの日常生活は、360度、全方位的にヒントだらけです。全部、自分から出ている言葉ですから、悪意などはどこにもありません。
あるとしたら、自分に対する悪意だけです。…
心屋仁之助『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』(三笠書房、2017年)
「耳に引っかかる話があるなら、それは、あなた自身が心の中で思っている」ことというのは、心屋仁之助じしんが別の言葉で言うように、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」という、ぼくたちのする「奇妙なこと」である(※前掲書)。
この視点と世界の見方は、とても大切であると、ぼくも思う。
近代的自我は、その生成の本質において、「自我」をそれ自体、独立したものとする。
それは、個人と集団という切り分け方だけでなく、じぶんと周りの「世界」に起きていることを切り離す。
外部のことは外部で起きていること、じぶんの心の内面のことは内面のこと、というように。
『7つの習慣』(Stephen R. Covey)における「パラダイム」も、あるいは「外向きのマインドセット」(The Arbinger Institute)も、あるいは経済学者・内田義彦の教える社会科学も、<外部のこと>と<内部のこと>をつなぐものである。
そのように、<外部と内部がつながる世界>を俯瞰して観ることで、「自分が考えていることを、自分の近くにいる人の口からしゃべらせる」ということは「奇妙なこと」ではなくなり、全方位的に「人生のヒント」として、ぼくたちに立ち上がってくる。
じぶんの近くにいる人たちは、ときに、「嫌な思い」をしながら、じぶんが嫌だと考えていることをじぶんの代わりに語ってくれている。
「嫌なこと」(嫌だとじぶんが考えていること)を言われたときは、だから、「チャンス」である。
このようなことは、決して、「奇妙なこと」ではない。
シンプルに言えば、「心の中にある」から「耳に引っかかる」ということでもある。
また、異なる角度から、例えば、映画などの物語をつくるとして、登場人物をかんがえ、場面をかんがえ、物語の流れをかんがえていくとする。
そのとき、物語は、スクリーンに見られる<外部>の出来事と、登場人物の<内面>の心や感情の動きを親密に接合させながら、つくられてゆく。
主人公が「変わる・決断する・成長する」ときには、他の登場人物に主人公が「嫌だとかんがえていること」を語らせ、その言葉に心の深くまで射られる主人公は、気づき、ひらめき、行動を起こしていく、というように物語を構成していったりするだろう。
同じように、ぼくたちの「人生」も、じぶんの考えていることが顕現する「世界」(あるいは「物語」)として、<オン・エア>されるのである。
日常生活でおきることに対して、他人事のように指を指して文句や不平不満を言い続けるのか、あるいは、「360度、全方位的に「人生のヒント」」として気づきを得てゆくのか。
そこには「正しさ」があるというよりは、じぶんの人生の<選択>がある。
じぶんはどちらの生き方を選ぶかという選択である。
「前者/後者論」(心屋仁之助)の根拠に関する、ぼくの仮説。- 「前者/後者」の身体価。
心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。
心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。
心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい』(王様文庫、2017年)における「前者/後者論」の記述をまとめると(要約ではない)、下記のようになる。
●「前者」=「空気が読めて、理解力もあり、理論的。表現力もあって、多くのことを同時にこなせ、処理能力も高い」タイプ。努力しなくても、比較的マルチに、複数の仕事を同時にこなせるタイプ。「有能」タイプ。「秀才」タイプ。
●「後者」=「天然で癒し系、表現がストレートで、何でも素直に受け取る(真に受ける)」タイプ。多くのことはこなせないが、何か一点に集中できるタイプ。「天然」タイプ。「天才」タイプ。
心屋仁之助は、これまでのカウンセリングや問題解決の経験から、またさらには、心屋仁之助と奥様との間の「話の噛み合わなさ」の解明において、これら「前者/後者論」(呼び方は特定のものがなく、ただ文章における順序を指して「前者/後者」であったものがそのまま使われているとのこと)を獲得している。
「前者」と「後者」の違いが、人間関係で「誤解」や「行き違い」、「問題」をつくっているのではないかと、心屋仁之助は気づくのである(※前掲書)。
ジョン・グレイが「Men are from Mars, Women are from Venus」という絶妙のタイトルで男女(脳)の違いを示したのと同じように、心屋仁之助は「前者/後者論」で、前者と後者との違いを示している。
この論を語り始めてからも実際に多くの共感者を得ており、特に論の「根拠」を示す必要もないと思われるから、そこには触れていない。
根拠にかかわらず、そこに実際の現象があり、その解明と視点が、多くの人たちの「助け」になっている。
それでも、ぼくの思考は自然と、その「根拠」をどこかで探し求めているようで、社会学者である見田宗介が書いた「思想の身体価」という文章が思考のなかで浮かんでくる。
「自由」とか、あるいは「自立」とかを求めるのは、そこに<生きる/生きられる身体>があるということである。
身体論としては、それを野口晴哉の「体癖論」の類型が参照されている。
ある集団において「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」と呼ばれるようになった二人の、彼(女)たちの「二つの身体類型」(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例に、見田宗介はこの短い論考を書いている。
Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。…
見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店
見田宗介はこの文章に続いて、もう少し具体的に、SとBの「違い」を記述している。
ここで語られていることが、ぼくにとっては、心屋仁之助の「前者/後者論」の根拠の一部を語っているようにも感覚される。
野口晴哉の「体癖論」の詳細はいったん置いておくとして、心屋仁之助の「前者/後者」はそれぞれに、身体のあり方を異にしているのではないか、ということである。
心屋仁之助は、「前者/後者」のそれぞれの特性を基礎にしながら、「前者」は(後者に)<与えること>で後者の幸せになり、「後者」は(前者から)<受け取る>ということで前者の幸せになると、前掲書で書いている。
SとBが惹かれ合うように、前者と後者も惹かれ合う。
そのような対比をしながら、ぼくの思考は、「前者/後者論」はそれぞれの身体による違いを根拠のひとつ(あくまでもひとつ)とする「仮説」を形づくる。
ぼくの思考の戯れである。
<語りづらいもの>を語ること。- 糸井重里のエッセイと、Fred Rogersの教育番組の<文体>。
コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)というウェブサイトがあり、そこでは「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがあって、糸井重里は毎日、この「エッセイのようなもの」を書いている。
コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)というウェブサイトがあり、そこでは「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがあって、糸井重里は毎日、この「エッセイのようなもの」を書いている。
本日(4月9日)の「今日のダーリン」は、糸井重里の愛犬、ブイヨンが亡くなってから「半月ほど経った」ときの、ブイヨンの「不在」に照らし出される世界についてである。
「よく考えると、ずうっと犬のことを考えて、書いている。」と、筆がおかれている。
3月21日に愛犬のブイヨンが亡くなり、「ほぼ日」でも取り上げられたりしてきたブイヨンのこともあって、ここ最近の「今日のダーリン」でも、ブイヨンの「不在」と思い出が取り上げられたりしていた。
愛犬ブイヨンの亡くなった話はとても個人的な(あるいは家族的な)ものであるなかで、糸井重里は、ブイヨンの不在と思い出、そこに現れる感情を真摯に書き綴って、ぼくたちに伝えてくれている。
きわめて個人的な(あるいは家族的な)感情が凝縮されて綴られているからこそ、(ぼくのように)ブイヨンを知らなかった人たちにとっても、確かに、伝わってくるものがある。
その姿は、ぼくに、「Mister Rogers’ Neighborhood」というアメリカ教育番組のホストであった故Fred Rogers(フレッド・ロジャース)のことを思い出させる。
Fred Rogersは、あるとき、番組のトピックとして、とても難しい「死」を扱う。
テレビスタジオにある水槽で亡くなった「金魚」を弔う姿を、Fred Rogersは番組のなかで見せる。
水槽から亡くなった金魚をひろいあげ、スタジオの風景の一部である「庭」の土を掘り起こして、そこに金魚をうめてあげる。
その間、Fred Rogersはしゃべることをせず、テレビ番組でありながら、そこに言葉のない「静けさ」がひろがる。
土をかぶせてから、Fred Rogersはテレビカメラの向こう側にいる子供たちに向かって、語り始める。
そこで、彼が話し始めたのは、昔かわいがっていた犬のミッチが亡くなったときのことである。
とても、とても悲しかったときの思い出だ。
悲しみに泣き、おばあちゃんが来てはそばにいてくれ、そして「埋めなければならない」という父親の言葉に最終的にしたがう形で、ミッチをうめてあげたこと。
それから、ミッチとの思い出にほほえみを顔にうかべながら、ミッチの写真をみせて、楽しく親密な思い出を共有する。
Fred Rogersはこのようにして、「死」にどのように向き合うのかを、じしんの体験をその親密さのうちに語りながら、子供たちに語りかけてゆく。
これを見た子供たちは、「何か」を深いところで感じただろうと、ぼくは想像する。
糸井重里が愛犬ブイヨンの死に向き合いながら過ごす日々を語る筆致に、ぼくは、Fred Rogersのこの語りと<共通するもの>を感じる。
このような<語りづらいこと>が語られることで、それを読んだり聞いたり見たりする者に、何か大切なものが伝わる。
そしてそう感じながら、このような<文体>が今の時代において、あまり見られなくなってきたように、気づかされる。
「睡眠時間」の問いを、ひらく。- 「87歳現役」の櫻井秀勲が語る、「短眠」に照射される生き方の例。
ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。
ハーバード大学教授の荻野周史の推薦文「櫻井先生の生き方は、人生100年時代のこれからの教科書だ」にも惹かれて、ぼくは、櫻井秀勲著『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』(きずな出版、2018年)を読む。
著作の副題には「87歳現役。人生を豊かにする短眠のススメ」と書かれ、伝説の編集者(女性誌「女性自身」の編集長であったり、松本清張などの作家の編集者)と言われながら、87歳の今も現役である櫻井秀勲が語る「睡眠」を通じた生き方の本である。
55歳から83歳まで、毎日午前5時にベッドに入る習慣を続けてきた櫻井秀勲。
起きるのが午前10時のため睡眠時間は5時間(途中仮眠しても6時間に満たない睡眠時間)。
このような「短眠」だけでなく、健康ということ、また(起きている時間にも同時に焦点をあてながら)生き方ということまで、本書では、櫻井秀勲の声が聴こえてくる。
櫻井秀勲の「睡眠」にかんするメッセージの基本を挙げるとすれば、「眠くなってから寝る」ということである。
そこに通底するものは、「標準や一般的な情報」をもとに行動する仕方とは一線を隠し、<じぶんじしん>の経験とじぶんとの対話に基礎をおく生き方である。
「眠くなってから寝る」という仕方と同様に語られることとして、一般的には、「お腹が空いたら食べる」ということがある。
○○時になったから食べるのではなく、あくまでもお腹の空き具合に応じて、食べることをしていく。
「何時になったら食べる、あるいは寝る」という仕方は、生活が「標準化」されてきた近代という時代において、より広範に適用されてきた様式であっただろうと、ぼくはかんがえる。
ところで、Daniel H. Pink (ダニエル・ピンク)の最新著作『When: The Scientific Secrets of Perfect Timing』(Riverhead Books, 2018)の第1章は、「The Hidden Pattern of Everyday Life」(毎日の生活の隠されたパターン)と題され、仕事などのパフォーマンスを上げるために、一日をどのように過ごし、どのように活用していったらよいかを、科学的なリサーチをもとに考察している。
結論的な言ってしまえば、じぶんの「タイプ」(朝型なのか、夜型なのか、その中間か)を知り、それにあった仕方で、適切な時間に適切な仕事をしてゆくことで、パフォーマンスを上げてゆくことができる。
櫻井秀勲も、「短眠」だけを絶対的にすすめているのではなく、じぶんに合った仕方を生きることを大切にしている。
そのために「短眠で87歳現役」という例があることを、じぶんの経験から伝えているだけだ。
各章の最後には、例えば、次のような言葉がいくども置かれている。
…しかしこれが自分の適職なのだ、という自信があるため、むしろ睡眠時間の長いのがイヤなのです。起きていたいのです。
こういう生き方で元気な男もいることを知ってほしいと思います。
…ただ「こういう87歳の男もいる」ということを知っていただきたいのです。
…本当に眠気が襲うまで起きていたほうが、短時間であれ、熟睡できると思うのです。
私はその方法で、22歳から87歳までやってきました。
櫻井秀勲『寝たら死ぬ!頭が死ぬ!』きずな出版、2018年
本の終わりの方で、櫻井は、母親の教えでもあった「わが家の生き方」を書いている。
それは、「人の反対を往け」という教えである。
関東大震災の折に、大衆とは「まったく反対の方向に逃げ」た母が、亡くなった大衆とは異なり助かった教訓をもとにしている。
この教えのように、櫻井秀勲は、医学の見地から「長く寝るべし」という声の多いなかで、それとは反対に、なるべく寝ずに、できるかぎり頭脳を使って生ききり、87歳現役である。
もちろん、ただ単に「反対を往く」のではなく、<じぶん>の経験と軸、そして標準的で一般的な情報を一度「括弧に入れる(疑問視する)」姿勢をもとに、<じぶん仕様>へと調整しつづけてきた結果と交差するスタンスである。
ぼくも一生「現役」で生きたいと思う。
そのように思う者たちにとって、本書は、「人の反対を往く、現役87歳」からの、生き方の事例を提示してくれる「教科書」だ。
しかし、決して人に「標準」を強要する教科書ではなく、じぶんの生き方へと光をあてる教科書である。