問題のありかとしての「世間の目」をわきまえる方法。- 山本七平が受けた訓言から。 by Jun Nakajima

著書『「空気」の研究』でよく知られている山本七平(1921-1991)の『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)をとりあげて、ここのところブログを書いた。『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』のほかに、本のタイトルにひかれてぼくの「本棚」にならんでいる山本七平の著作に、『無所属の時間』(1978年)がある。

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機能集団と共同体の「二重構造」としての日本の会社。- 『日本資本主義の精神』(山本七平)の視点のひとつ。 by Jun Nakajima

山本七平(1921-1991)による鮮烈な「視点の提供」である、著書『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)。日本の外(海外)で働きながら、異文化のはざまで「働く」ということを見つめつづけてきたぼくの実感と思考から照らしたとき、この本は刺激的であり、指摘はきわめてするどく、そして40年を経過した「いま」でも(また「いま」だからこそ)有益な視点を提供してくれている。

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<日本資本主義の精神>への自覚。- 山本七平による鮮烈な「視点の提供」。 by Jun Nakajima

著書『「空気」の研究』でよく知られる山本七平(1921-1991)。2000年代に「空気を読めない(KY)」が言葉として流行になったけれども、日本社会における、この「空気」という存在を解き明かそうとしたのが、この『「空気」の研究』(1983年)である。すでに「古典」であり、近年、たとえば大澤真幸(社会学者)が、この著書に再度光をあてている。

ところで、彼の他の著書に、『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)という著書がある(現在は、PHP文庫で読むことができる)。

「まえがき」の冒頭で書かれているように、「日本資本主義精神」という標題は学術書のような誤解を与えてしまうかもしれない(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が連想されてしまう)。けれども、この本は、経営雑誌に掲載された「日本的経営を忘れてはいないか」という一文(のちに英訳されて外国人の友人から説明会の依頼がくる)、それから「日本の伝統とキリスト教」という連続講演(日本の伝統がもつ独特の宗教性が日本資本主義の倫理の基礎である)が契機となっている。

ひとつめの契機で山本七平が感じたのは、日本的経営などにおいて見られる「日本的特質を日本人自身が自覚していない」という問題である。日本の経済成長は「何だかわからないが、こうなってしまった」ものである。日本的特質は外部に説明する必要は必ずしもないけれど、「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは、「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、山本七平はここに最も大きな問題を見ているのだ。


…日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展をもたらすが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」という破滅をも、もたらしうる…。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、という把握、それからそこに発展だけでなく破滅への経路を見る山本七平の視点はきわめて鋭い。


…いま必要なことは、この「呪縛」の対象を分析し、再評価し、再把握して、自らそれを統御することである。
 もちろん、それを外部に説明する必要はないが、要請されればそれができるように、各人が明確な自己を把握して、自らを統御することは必要である。それは国家に要請されるだけでなく、企業にも、個人にも要請される。
 本書は、それを行うための一提案であり、いわば視点の提供である。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


ぼくは、この本を、海外で働く日本の人たちに読むことを勧めたい。

今から40年まえの1979年に出された本だけれども、山本七平が書いている「問題」は、40年を経た「今」も、その本質はもとより、現象面においても(あまり)変わっていない(ことがある)。山本七平が「いま必要なことは…」と書くときの「いま」は、40年を経た「いま」でもあると、ぼくは思う。

日本の会社の「共同体」の構造(と精神構造)、雇用契約をふくむ契約のかんがえかた、解雇にたいするかんがえかた、「話し合い」の優位性など、現象面をふくめて、今でも「問題」として生起する問題群が、社会構造と精神構造をともに見晴るかす仕方で、明晰に語られている。

この本を読みながらぼくが実感したのは、まさにこれらの「問題」と構造が今も変わっていないことの驚きであった。

なお、「解決法」が説かれているわけではない。けれども、「自己がそれによって行動している基準」を自覚することなく(少なくとも自覚しようとすることなく)、現象面を解決しようとする仕方は、付け焼き刃になりかねない。あるいは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という事態が起きてしまうかもしれない。その意味で、一歩踏みこんだ「解決のヒント」を得ているのだと言うことはできる。

なお、副題にある「なぜ、一生懸命働くのか」についても、興味深い視点を提供してくれている。マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理のなかで、「ベルーフ」としての仕事、つまり「神から呼びかけられている」ものとして捉えられる職業に<資本主義の精神>を見たけれども、山本七平は、日本の伝統がもつ宗教性に<日本資本主義の精神>の基礎を見出している。

そんなわけで、海外で働く日本の人たちに、この本を勧めたい。山本七平自身が書いているように「視点の提供」として。

「資本主義の精神」について。- マックス・ヴェーバーが注目する<ベルーフ>としての職業。 by Jun Nakajima

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

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「平成」の半分ほどを海外ですごしてきて。- 「日本」との<距離>のなかで。 by Jun Nakajima

「昭和の終わり」の記憶を、ぼくはかすかに自分のなかに残している。中学生だったぼくは、その日、体育館に集められ(ここは記憶が定かではないのだけれど、もしかしたら、体育館に集まっているときに)、天皇崩御が伝えられた。それから「平成」がはじまった。

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香港の天気予報・警報「通知」が届けられるなかで。- 便利さと喪われた感覚のはざま。 by Jun Nakajima

ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。

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「未来」の使いかた。- 未来は「未知」であるという前提の生きかた。 by Jun Nakajima

「未来」を手にいれたとき、それは人間にとって、大きな「解放」であった(古代日本人にとっての「未来」はつぎの収穫までの時間ほどであった、など)。けれども、近代・現代は「未来」を極端な仕方で、あるいは間違った方向に向けてしまうようでもある。

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「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いに向かって。- 「矢作俊彦の小説の主人公」の場合。 by Jun Nakajima

思想家・武道家の内田樹と、「三軸修正法」の池上六郎の対話をもとにした著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。いろいろとハイライトしたなかで、「まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョン」(池上六郎)ということばを、別のブログでとりあげた。

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「受け売り」の効用。- 思想家・武道家の内田樹の「話し方」。 by Jun Nakajima

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

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万次郎(ジョン万次郎)が無人島とアメリカで学んだこと。- 鶴見俊輔がみてとる、成長としての「思想」。 by Jun Nakajima

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

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「自分の問題」の延長線上に。- 上原隆著『友がみな我よりえらく見える日は』。 by Jun Nakajima

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

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上原隆著『君たちはどう生きるかの哲学』に惹かれて。- 鶴見俊輔を補助線として、『君たちはどう生きるか』を読む。 by Jun Nakajima

吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』。1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

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