成長・成熟
最近よく考えていることのひとつとして、「人生の前半と後半」ということがある。もう少し焦点を当てるとすれば、「中年の危機」(midlife crisis)ということである。
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近藤麻理恵の「KonMari Method」による「片づけ」が世界的に注目されているが、やましたひでこが提唱する「断捨離」は、片づけのなかでも<手放す>ということにより重心をおいている(人生ステージにもよるけれど、ぼくはこの二つの方法の統合型がより効果があると思う)。
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メディアやSNSなどで、他者の言動にたいする「批判」がなされる。社会的/公共的な問題や課題においては建設的な批判とそれが展開される場が大切であるけれども、「批判」が個人的/プライベートの領域におよんでゆくことは別のことである。
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思えば、これまで、いろいろな「世界」のなかにいたことを思う。
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2019年1月1日からNetflixで配信されているリアリティ番組『Tidying Up with Marie Kondo』。
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ビル・ゲイツは20代のころ、一時期、音楽を聴くこととテレビを見ることをやめた。ソフトウェアについて考えることから、音楽やテレビが気を散らすと思っていたからだという。そんな時期が5年つづいたという。集中力を保つためには今ではメディテーションを行い、音楽もU2やWillie Nelsonやビートルズをよく聴くのだという。
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最近、「practical(プラクティカル・実用的・実際に役立つ…)」ということを考える。どれほどその精神が「近代(現代を含む)」を「ゆたかさ」へと推進し、あるいは人を戒めることばとして機能し、そして生活のすみずみにまでその領域をひろげてきたか、ということ。
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将来に実現・達成したい「夢」をもつこと。そのような「夢」をもつことがよいのかわるいのか、必要なのか必要ではないのか。あるいは、夢をもつとしたら夢は大きいほうがいい、夢は小さくてもいい/小さいほうがいい。等々。「夢」をめぐって、人はいろいろに語ってきたし、語られている。
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養老孟司先生は、久石譲との対談のなかで、つぎのように語っている。
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じぶんの人生物語の「ジャンル」ということを、ふと、思う。
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原住アメリカ人の小部族であったヤヒ族の「最後の人」となったイシ(1860/1862~1916)、イシと親しくしてきた文化人類学者アルフレッド・クローバー、アルフレッド・クローバーの死後にアルフレッドの考え方を受け継いで「イシ」にかんする著作を書いたシオドーラ・クローバー夫人、それから娘にあたり、著書『ゲド戦記』で知られているアーシュラ・K・ル=グルヴィン。
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ビートルズに「We Can Work It Out」という曲がある。大学生の頃、その曲を聴きながら、いつも「ひっかかる」箇所があった。
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大澤真幸にとっての、ライフワーク的な仕事である著書『動物的/人間的:1. 社会の起原』(弘文堂、2012年)。大澤真幸にとっての師である見田宗介(真木悠介)の論文『自我の起原』(のちに同タイトルで書籍化。岩波書店、1993年)のスリリングな論考に触発された著書である。
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ぼくたちの「身体」はぼくたちに日々、瞬間瞬間に、さまざまな「シグナル」を送りつづけている。
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村上春樹・和田誠による著書『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)を道案内としながら、Apple Musicで、村上春樹と和田誠がとりあげるJAZZアーティストたちひとりずつを訪れ、また村上春樹が選ぶ「この一枚」(元はLP)を探す。「この一枚」があるときは迷いなくその作品を、またなくてもアーティストの作品たちを、ぼくはじぶんの「ライブラリー」に収める。
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年末年始ともなると、いろいろな「…すべき」「…あらねばならない」「…したほうがよい」などの言説が、周りやメディアなどで語られ、伝えられる。
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たとえば『古事記」のような作品を電子書籍で読むことを、ずいぶんと長いあいだ、じぶんの「オプション」から外していた。
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人はなぜ塔をたてるのか。辺見庸が2008年から2011年に書いた連載をひとつの本にした著書『水の透視画法』(集英社文庫、2013年)のなかに収められている短い文章のタイトル(「人はなぜ塔をたてるのか その身、低くあれ」)だ。
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『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)の主人公コペル君(本田潤一)の精神的成長を支えた叔父さん(お母さんの弟)は、コペル君と彼の友人たち(水谷君と北見君)に、つぎのように語りかける。
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香港にいるのだから「香港のもの」を楽しみたい。どこにいても見たり聞いたりできるものではなく、香港だからこそ、見ることができるもの。
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