身体性
ぼくが小さかった頃、学校(小学校か中学校かと記憶が定かではないけれど中学校のように思う)で「黙考」という時間が日課のひとつとして、(おそらく)毎日とられていた。
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よりよく生きていくことにおいて、人間の「五感」の問題はとても大きな問題としてあるように、ぼくは思う。
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悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場、「森のイスキア」を主宰し、2016年に94歳で他界した佐藤初女(さとうはつめ)。
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「水を飲む」ということが、ぼくにとって、当たり前になったのはいつであったろうか。今思えば、この問いは奇妙な問いである。
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「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という修業について、思想家・武道家の内田樹は「ゴールのわからない未知のトラックを走る」ようなものだと、著書『修業論』(光文社新書)のなかで述べている。...Read On.
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予期せぬところから、波が打ち寄せる「音」が聞こえてくる。人工的につくられた海岸通りをゆっくり走り、立ち止まったときのことであった。...Read On.
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養老孟司の著書『遺言』(新潮新書、2017年)は、シンプルな記述と意味合いの深さの共演(響宴)にみちた本である。...Read On.
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カレンダーが12月になり、2017年という年は1ヶ月という「時間」を有している。そんなあたりまえのことを思いながら、ぼくは、日本、ニュージーランド、西アフリカのシエラレオネ、東ティモール、それからここ香港と、世界で住まいの拠点を変えていく過程で、「暦・時間」の感覚が一層、じぶんの中で相対化されてきたことを、思う。...Read On.
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2010年のとき、ぼくは香港に暮らしていて(今も香港だけれど)、日本に一時帰国することになった。...Read On.
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野口晴哉の著作の中に『潜在意識教育』(全生社、1966年)という著作がある。体癖研究や整体指導につくす野口晴哉が、専門外でありながらと断りつつも、4人の子供たちの親として語る本である。...Read On.
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人間と社会を透徹した深さとどこまでもひろがる視界でよみとき、「人間はどう生きたらいいか、ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」を生きることのテーマとして追い求めてきた社会学者の見田宗介が「リーダー」をどのように考えるか。...Read On.
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「じぶん」というものを相対化していけばいくほどに、ぼくは二人の実践家であり思想家に、ひかれていくように感じる。整体の創始者と言われる野口晴哉、それから養老孟司。...Read On.
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整体の創始者と言われる故・野口晴哉。野口晴哉の思想(生き方)には、通奏低音のようなものとして「風」がふきぬけている。...Read On.
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ぼくは、まるで音楽を演奏するように、あるいは音になったようにして、人と語り、仕事をし、文章を書くという感覚を、生きることの「地層」としている。...Read On.
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整体の創始者である野口晴哉による「体癖論」(体の「偏り運動」の探求と実践)は、「人間の解放」ということを生涯のテーマとして追いつづけている見田宗介(社会学者)の関心を深いところでとらえ、「身体」という拠点から「人と社会を解き放つ」という、見田宗介の視力と方法を豊饒化してきた。...Read On.
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野口晴哉の著作『体癖』(ちくま文庫)を読みながら、その中に収められている「体の自然とはなにか」という考察に、ぼくは目をとめる。...Read On.
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