「人間の歴史」を巨視的に視ること - 見田宗介の明晰な理論 by Jun Nakajima

「人間の歴史」を巨視的に視ること。
日々の生活や明日生きていくことには
関係なくみえる。

でも、そのことは、ぼくたちの
「生き方」をきりひらいていくため
にも、とても大切なことである。
今日のパンをつくってはくれない
けれど、ベネフィットは大きい。

「不確実性の時代」のなかで、
日々のメディア情報の渦のなかで、
巨視的な視野を獲得しておくことは
精神をおちつかせてくれる。

Yuval氏の著作、
『Sapiens』と『Homo Deus』は
そんな効果もあたえてくれる。

巨視的な視野を獲得していく上で、
見田宗介先生の理論は極めて明晰で
ある。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)
に収められている論考、
「人間と社会の未来 - 名づけられない
革命 -」は、とてもパワフルである。

そのなかで展開される論の内の二つは
次の通りである。

●人間の歴史の五つの局面。現代の意味
●現代人間の五層構造

「人間の歴史」は、五つの局面から
なっている。

  1. 原始社会(定常期)
  2. 文明社会(過渡期)
  3. 近代社会(爆発期)
  4. 現代社会(過渡期)
  5. 未来社会(定常期)

見田先生は「現代」をこのように
明晰にとらえている。

 

…「現代」と呼ばれる社会は、この
「近代」の爆発の最終の位相である
という力線と、新しい安定平衡系に
向かう力線との拮抗する局面として、
未知の未来の社会の形態へと向かう、
巨大な過渡の時代としてとらえておく
ことができる。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)


見田宗介先生はこれに照応する
ように、「現代人間の5層構造」を
図示している。

④現代性
③近代性
②文明性
①人間性
⓪生命性

その上で、大切なものに焦点をあて
るように、ていねいに説明を加えて
いる。

 

人間をその切り離された先端部分
のみにおいて見ることをやめること、
現代の人間の中にこの五つの層が、
さまざまに異なる比重や、顕勢/
潜勢の組み合わせをもって、
<共時的>に生きつづけている
ということを把握しておくことが、
具体的な現代人間のさまざまな事実
を分析し、理解するということの
上でも、また、望ましい未来の方向
を構想するということの上でも、
決定的である。

見田宗介『社会学入門』(岩波新書)


見田先生は、このことばを、
言い方をかえながら、繰り返すよう
な仕方で、ていねいに添えている。

ぼくたちは、日々、「人間をその
切り離された先端部分のみ」で
みてしまう。

この警鐘を、この書が出版される
数年前に、ぼくは見田先生の講座
で耳にしていた。
そのときは「素描」のような仕方
で論を展開されていた。

ぼくは、その後、西アフリカの
シエラレオネ、東ティモール、
そして香港と移住していくことに
なる。

世界のさまざまな人たちに出会い、
一緒に喜び、一緒に苦闘し、
一緒に悲しみ、ときには互いの
フラストレーションをぶつけあう。
そのなかで、自分の感情から、
一歩距離をおくとき、ぼくは
この「現代人間の五層」を
思い出してきたのだ。

 

見田先生は、この文章につづき、
「名づけられない革命」の
素描的な記述をしている。

Yuval氏の新著『Homo Deus』
の副題「A Brief History of
Tomorrow」にある「明日の
歴史」を、この「名づけられない
革命」に接続することを、
ぼくなりに思い巡らしている。

「名づけられない革命」が
「明日の歴史」を形づくる、
ひらかれた未来を想像しながら。

Yuval氏の新著『Homo Deus』を読みながら、ふと気づく。 by Jun Nakajima

Yuval Noah Harari氏の新著
『Homo Deus』を読む。
副題は「A Brief History of
Tomorrow」。

Yuval氏の前著『Sapiens』
(邦訳は『サピエンス全史』)に
続く、名著である。

著作『Homo Deus』は、
サピエンス(人間)が3つのことを
克服してきたことから始まる。

●飢饉・飢え(famine)
●ペスト(plague)
●戦争(war)

もちろん、飢えや伝染病や戦争が
完全になくなったわけではない。
世界では今も、それらに苦しむ
人がいる。
ぼくも、そのような境遇に置かれた
人たちを、国際協力の形で支援した
ことがある。

ただし、Yuval氏は、これらが
「manageable challenge」に
なったことに焦点をあわせる。

現代は、一部を除き、これら3つが
日々の生活に隣り合わせにあるわけ
ではない。

確かに、人間は、これら3つを
ある意味において克服したのである。

この第1章を読みながら、ぼくは
ふと気づいたのである。

「戦争」は、この「manageable
challenge」に変わっていて、これは
歴史においては大きな意味を持つこと。
ぼくの視野が狭くなっていたこと。

ぼくは「戦争」が幼少期の頃から
嫌いである。
シエラレオネや東ティモールで、
戦争の傷跡も間近に感じてきた。
現場でできることをしてきた。
でも、「人間の歴史」という歴史の
長いスパンの中で見ることができて
いなかった。

「人間の歴史」の中では、
今の時代は「特異な位置」にいる。
このことを、長い時間軸の中で、
考えさせてくれる書籍である。

何かの可能性だけでなく、
何かの「予感」に充ちた書籍である。

ぼくは、自分のなかで、手につかめ
そうな「予感」を感じている。
自分の「何か」につながる予感を。

英語を話すこと -「英語は3語で伝わる」ことについて。 by Jun Nakajima

英語を日常で話すようになってからは
15年ほどが経過した。

海外に住みながら、意識としては日本と
海外の「間」に置かれているぼくとしては
「英語を話すこと」を通じて、
その「間」のことを考えさせられる。

「ツール」としての英語、
また「楽しみ」としての英語ということ
以上に、日本人である「私」という人間を
形づくるものとしての英語のことである。

電子書籍を検索している折に、
中山裕木子『英語は3語で伝わります』
(ダイヤモンド社)という書籍を目にする。

「3語」というのは、ここでは、
主語-動詞-目的語(SVO)のことである。

英語は、この文型にあわせて、語を
組み合わせていくことで、文章ができる。
言葉を伝えることができる。

日本語との相違は、まずは、
「動詞-目的語」という順序である。
日本語は「目的語-動詞」というようになる。

「speak English」は「英語を話す」と
いうように順序が逆転する。
この焦点の合わせ方、
つまり「動詞」を先にすることも
「私」という人物のあり方に
影響する。対象との距離感が変わる。

しかし、より大きなことは、
「主語」である。
日本語では「主語」は、往々にして
会話で取り除かれる。
その「場」や「グループ」という
磁場に溶解する。よくも悪くも。

英語を15年以上にわたって話して
きた中で思うのは、
「主語」を明確にすること、
つまり、「私」を明確化して
伝えていくことの大切さや、自分
という人間への影響である。
「個人」がより前面に出る言葉
なのだ。

主語の次にくる「動詞」は、
「何をしたいのか」を明確にする。
日本語では、ときに、動詞さえもが
曖昧になる。
目的語を伝えることで、相手が察知
する関係で動いたりする。
「日本語は1語で伝わる」ことが
あるということである。

「英語は3語で伝わる」ということ
は、英語のシンプルさについてだけ
れども、それは、もう一段深い次元
での議論へ誘うメッセージでもある。

日本と海外の「間」という場所で、
ぼくは、言葉や文化、そして人に
ついて考えるのである。

「グローバル」ということは、
ひとつには、ぼくたちが「主語」を
きっちりと持つということでもある。

「ミニマリスト x クオリティ = ○○○○○○○」- 香港で学んだこと。 by Jun Nakajima

香港で学んだこと。

香港に住んで、
・香港という空間
・香港社会
・時代背景
という条件の組み合わせの中で、
ぼくは、あることを学んだ。

それは、次のことである。

  1. 「ミニマリスト」の地平
  2. 「クオリティ」の追求

「ミニマリスト」の地平は、
ぼくが香港に住んでいるときに
みえてきた風景である。

大枠としての問題系は、
ミニマリスト、エッセンシャル、
断捨離、クラッター、コンマリ
などと語られる問題系である。
いわゆる「片付け」から開かれて
いく地平である。

香港の住居環境や都市環境は
物質的な「空間が狭いこと」が
特徴である。
その中で、ぼくたちは、
よりよく生きていく術を考え、
実践していく。
「ミニマリスト」的生き方を
実践する喫緊性がある。

香港の書店でも、
「片付け」の本が並べられている。

そして、香港だけでなく、
いわゆる「先進国・地域」では
近年、このような思考と実践を
後押しする社会ムーブメントがある。

そのような中、ぼくも、
香港で暮らしながら、徐々に
「ミニマリスト」的な生き方に
移行している。

ただ物事を少なくしていくのでは
なく、「エッセンシャル」な物事
にフォーカスしていく。

それは、「クオリティ(質)」の
追求につながる。
ひとつひとつのことを大切にする
生き方だ。
物もそうだし、行動もそうである。

香港の過去10年は、経済社会の
急速な発展の中で、「物」に溢れた。
「もっと、もっと」の世界である。
ぼくたちも、香港社会の中で、
気がつけば、エッセンシャルでは
ない「物」に囲まれる生活を送って
いたわけだ。

でも、徐々にギアをシフトしてきた。
「ミニマリスト」的生き方と
「クオリティ」を足し算する。
そして、いつしか、足し算が掛け算に
変わるような経験をしてきた。

「ミニマリスト x クオリティ」
=「生き方が変わる」

「生き方が変わる」だけでなく、
そこには、さまざまなもの・ことが
あてはまる。

ぼくは、このことを
ここ香港で、学んできた。
実践してきた。

生きることの内実の隅々が
入れ替わっていく経験である。

日本の外で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。
そして、人生で生きていく上で
ほんとうに大切なもの・こと。

そんなことを最近は、
ここ香港で考えている。

海外に「ひとつだけ」しか持っていけないとしたら。(日本食-食材編) by Jun Nakajima

海外に長期で滞在する際に、
食べ物類(日本食食材)で「ひとつだけ」
しかもっていくことができないとしたら
何を選択するか?

今でこそ、世界はよりグローバルに
つながり、日本食の材料も世界各地で
手に入る。
日本食レストランもある。
特にアジアではなんとかなる。

香港は、日本食にはどこにでもありつける。
寿司、ラーメン、カレー、定食まで、
ありとあらゆるレストランがそろっている。
日本食食材はそれなりのスーパーマーケット
であればベーシックなものは手に入る。
日系のスーパーマーケットに行けば、
ベーシックを超えて、ほぼすべて手に入る。

東ティモールのディリにも
日本食レストランがあった。
(今でもあるようだ。)
ディリのスーパーマーケットでは、
納豆(冷凍)も手に入った。
(さすがに冷凍納豆は試さなかった。)

ただし、西アフリカのシエラレオネに
いたときは、さすがに日本のものは
手に入らない。
代わりに重宝したのは、
中華料理レストランと中華料理の食材で
あった。
首都フリータウンだけでなく、ぼくが
住んでいた電気も水もない通っていない
地方に、中華料理レストランがあった。
日本食レストランがなければ、
頼みの綱の中華料理である。

シエラレオネにいくときには、
あまり詰め込むことのできない
スーツケースを見ながら、考えたものだ。

日本食材が手に入らない海外に
「ひとつだけ」しか持っていけないと
したら。。。

ぼくは「味噌」を選択する。

お米はだいたいどこでも手に入る。
醤油も中国産のものが手に入る。
ただ、味噌は、どこにでもとはいかない。
シエラレオネで味噌は手に入らなかった。

身体が弱ったとき、
味噌汁に、ぼくは助けられてきた。
元気なときは、現地の食事を楽しめる。
ただ、病気などで弱っているとき、
身体は日本食を求める。

白米と味噌汁。

これまで、どれだけ、助けられたか。

だから、ぼくは、冒頭に質問に
迷わず、味噌と応える。

海外は、普段なんでもないものに
「ありがたみ」を感じる機会を
与えてくれる。


追伸:
普段日本では食べないけれど
「ふりかけ」もいいものだ。

「ゆかり」(しそ味)がポピュラー
である。

「香港」は、語りにくい - 香港を知るための2冊 by Jun Nakajima

香港に住んで10年になる。
香港とともに成長してきた。
日々「香港」である。
日々「フィールドワーク」である。
でも「香港」は語りにくい。

その「香港」を知るために、
この2冊は読んでおきたい。

・倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書, 2015年)
・吉川雅之・倉田徹『香港を知るための60章』(明石書店、2016年)

人により、香港を知る「目的」は
さまざまである。

それは、香港で住むため、
香港を研究するため、
香港や香港文化に興味があるため、
であるかもしれない。

いずれにしろ、この2冊は読んで
おきたい。

ぼくは、これら2冊には、
香港で10年ほど生活してから
出会った。

『香港』(岩波新書)の冒頭は、
ぼくの「感覚」を共有する出だしである。

 

「香港は一冊の難解な書だ…。」
この言葉は、…中国政府の香港出先機関
である中央政府駐香港連絡弁公室(中連
弁)の初代主任を務めた姜恩柱が残した
名言である。…
…この台詞は、香港研究を生業とし、
「香港とは何か」を捕捉することを
職業とする筆者(倉田)の頭の中にも、
毎日のように去来する。

倉田徹・張彧暋『香港』(岩波新書)
 

大学で中国語を学んでいた
ときに香港に授業で触れ、
大学在学中に、香港に初めて足を
踏み入れ、
そしてこの10年住んでみて、
それでも、ぼくも感じる。
香港は語りにくい。

そして、その語りにくい香港は、
常に変わっている。
スピードも圧倒的に速い。

いつまで香港にいるかはわからない。
でも、しばらくは、この変動の香港を、
ぼくは見続けていく。

そして、香港を知るためのもう一冊を、
近日中に、世に放ちたい。

香港に住んで、まもなく10年 - 香港で/から学んだこと。 by Jun Nakajima

香港に住みはじめて、まもなく10年になる。

10年前は、ぼくは、東ティモールに住んで
いた。
ぼくの20代の後半は、東ティモールの
コーヒー生産者とともにあった。
30代になり、香港に移り住むことになった。
ぼくは、ぼくの30代を、香港で、香港と
ともに、成長していった。

香港で学んだことは、数限りなくある。
香港から学んだことも、数限りなくなる。
「学んだこと」を、今、文章としてまとめて
いるところである。

次のようなことが「学んだこと」のいくつか
である。

  1. 生きていく力
  2. お金というもの
  3. 多様性というもの

香港は、活気・熱気があり、混沌があり、
エネルギーに満ちている。
そこには「生きていく力」がある。
強さと言ってもよいし、サバイバル力でも
ある。

「生きていく力」を駆動していく源泉の
ひとつは、「スピード」である。
香港のスピードは、世界屈指である。
社会も、ビジネスも、人も、そこには
スピードが感じられる。

香港国際空港の「荷物」受け取りスピード
は、世界でも最強の部類である。
飛行機を降り、イミグレーションを通過し
すでにそこに荷物が到着している。

スピードが社会のDNAに刷り込まれている。
その背景のひとつには、お金がある。
ここでは時間はお金である。

お金というものの価値が最重要で重視される。
人によってはこの価値に抵抗感があるが、
それはシンプルでもある。

郵便局のサービス方針として、
「Value for Money」がうたわれている。
お金に見合う価値の提供。
シンプルである。

お金の価値軸が社会の芯となっている。
歴史的な不安定さに対応するには、
お金は「安心」の拠りどころである。

このような社会だから、ぼくは「お金」に
ついて、よく考えることができた。

そこの芯があるからか、
香港は多様性のある社会である。

多様なもの・多元的なものを受容する力は、
強い。
日本では「グローバル、グローバル」の
掛け声があるが、香港では、日常がすでに
「グローバル」である。

人の多様性もそうであるし、
話される言語も多様である。
多様性が社会にとけこんでいる。

この環境に身を置きながら、
肌感覚として生活してきたことは、
ぼくにとっては、とても大切なことであった。

香港に住んで、まもなく10年。

よかったことも、うんざりすることもあった
けれど、ぼくは香港とともに成長してきた。

「ささやかなしあわせ」- 東ティモールできく坂本九 by Jun Nakajima

今年2017年1月に、
今は亡き歌手・坂本九氏の年賀状が
悲劇の死から16年を経て長女に届く
という「奇跡」が起きた。

ニュースによると、
1985年に開かれた筑波万博にて
坂本九氏が未来の長女に宛てた
直筆の年賀状だったという。
亡くなる4ヶ月前に投函され、
それが、今、届く。

ぼくは、坂本九の名曲『見上げて
ごらん夜の星を』の美しいメロディー
を思い出す。

東ティモールで仕事をしていた
10年程前。
ぼくは、一時帰国していた日本の
成田空港で、歌手・平井堅の
このカバー曲が収められている
CDアルバムを購入した。

当時は、インターネットがまだ
今ほどは発達していなかった。
デジタルダウンロードや
YouTubeなどで、海外どこに
いても音楽が楽しめるような
状況ではなかった。
だから日本に一時帰国したときに、
好きな音楽をCDで購入していた。

成田空港で、ぼくは、
『見上げてごらん夜の星を』を
どうしてもききたくなったのだ。

海外できく日本の曲は、
日本できくのとは、違う響きを
ぼくたちに届けてくれる。
東ティモールに再び戻り、
ぼくは、この曲をきいていた。

あっ、とぼくは気づく。

この曲は、ぼくが小学校6年生の
ときに、音楽会で歌った曲である。
記憶に強く残っている曲である。

あっと気づいたのは、
この曲の「歌い方」で、ぼくは
間違っていたということである。


見上げてごらん夜の星を
小さな星の小さな光が
ささやかな幸せをうたってる

坂本九『見上げてごらん夜の星を』


平井堅のアルバムでは、
当時の技術を駆使して、坂本九と
平井堅のデュエットをつくりだして
いる。

この曲の一音一音に耳をすませていたら、
坂本九が歌う「ささやかな幸せを」の
「な」が、とてもやさしく、音を抜く
ような感じで、発声されていることに
気づいたのである。

「ささやか」ということは、
軽やかで、肩に力をいれないイメージ
であるのに、
ぼくは、逆に重たいイメージで、力を
込めて歌ってしまっていたのである。

もしかしたら、ぼくは、「ささやかな
幸せ」を、肩肘はって追い求めてきた
のではないかと、その矛盾に目を
向けさせられたのだ。

ただ、坂本九も、曲の最後のフレーズで
この歌詞を歌うところでは、
この「な」に、力を込めて発声している。

「ささやかな幸せ」が手に入らない
もどかしさが、この最後のフレーズに
凝縮されてはじけたように、ぼくには
聞こえる。

東ティモールで、
東ティモールのコーヒー生産者たちと
「しあわせ」をつくっていく。

そのなかで、ぼくは、
坂本九のこの美しい歌に、大切な
気づきをもらった。
そんなことを思い出す。

16年を経て長女に届いた、奇跡の
年賀状は、長女・大島花子氏に、
感動とともに、どのような「気づき」
を与えたのだろうか。

その奇跡の年賀状をつたえるニュース
は、ぼくに、東ティモールできいた
『見上げてごらん夜の星を』と
そのときの気づきを思い起こさせて
くれた。

ここ香港できく『見上げてごらん
夜の星を』も、ぼくの心奥の深くに
響いていく。

じぶんの仕方を求める - 走りながらのメディテーション by Jun Nakajima

昨年頃から、日本でも
・マインドフルネス(Mindfulness)
・メディテーション(Medidation)
などのトピックが、書籍やWeb上で
見られるようになってきている。

日本では「メンタル」の問題系が
このようなトピックをひきつける。

「英語の世界」、つまりアメリカなど
では、日本に先行して、注目されて
きていたものである。

もちろん、日本では、流行ではない
けれど、これらの「実践」は、
もともと文化の中に根づいてきたもの
である。

ぼくも小学校の頃に、
毎日「黙考の時間」があったことを
思い出す。
クラス全員で、1分程度、一緒に
眼を閉じる時間である。
当時はまったく「意味」がわからな
かったけれど、今になってみれば、
それは「メディテーション」の効用
を求めるものであったことに気づく。

英語の世界での受容のされ方の
特徴は、大きく二つある。

  1. ハイパフォーマンスという目的があること
  2. 「科学」による見直しが進んできたこと

スポーツ選手から会社のトップレベル
層まで、「ハイパフォーマンス」を追求
していくなかで、これらの実践の
効用を認識している。
また、アメリカの学校などでも、
マインドフルネスが授業に取り入れられて
いる。

ぼくも、ここ10年ほど、
メディテーションを実践してきている。
(日本語訳では「瞑想」だが、個人的に
「瞑想」は使わない。「瞑想」という
言葉に様々な意味と感覚が染みついて
いる。)

チャレンジングな人生に直面し
ぼくは「じぶん」にもどっていく時間が
欲しかったことが理由の一つである。

いろいろとじぶんで試しながら、
じぶんに合った仕方を探してきた。
主に、英語のオーディオや教材を利用
してきた。

まず第一に、
「ガイド付きのメディテーション」である。
英語でのナレーションにより、
メディテーションの状態を深めていく。

二つ目は、
「脳波を最適化する音声によるメディテー
ション」である。
(耳に直接にきこえる)声は入っていない
けれど、音声が脳波を最適な状態にもって
いく。

三つ目は、
「じぶんだけでするメディテーション」
である。
快適なポジションですわり、眼を閉じる。
この仕方には、いろいろと方法がある。
何も考えないという方法もあれば、
思い浮かぶもの・ことを観照する方法も
ある。

いろいろ試してきた今でも、
ぼくは、気分によって、これらを
楽しんでいる。

ただ、じぶんにもっとも合う仕方は
「走りながらのメディテーション」である。
また、走るときは、オーディオブックを
きいている。

「メディテーション」とは、必ずしも
「眼を閉じてしずかにするもの」ではない。

走りながら、メディテーションと同じ
ような状態に、ぼくははいっていく。

オーディオブックの言葉をききながら
ぼくの思考はおちつく。
思い出すことや、さまざまな思考が
つながることや、思いつくことなど、
ぼくは、走りながら、この「状態」に
はいっていくのだ。
この時間はとても楽しいものだ。

長年、メディテーションをやってきて
たどりついた「じぶんの仕方」である。

何事も100%の方法はない。
専門家も、いろいろな専門家がいて、
異なる意見を展開することもある。
専門家の意見を参考に、
じぶんで、じぶんに合った仕方を
一つ一つ試しながら、みつけていく
しかない。

そして、この経験が「生きる」という
ことの本質でもある。

 

追伸:
まだ読んでいないけれど、
次のような英語書籍を検索で見つけた。

『Running with the Mind of Meditation』
by Mipham, Sakyong

読みたい書籍のひとつである。

ひどく疲れた日にそっとひらく本 - 言葉の身体性とリズム by Jun Nakajima

ひどく疲れた日に、
ぼくには、そこに帰っていく
ような本がある。

本をそっとひらき、そこで語られる
言葉の海にはいっていく。

 

1. 村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

新作が本日発売された村上春樹氏。
小説だけでなく、「紀行文」も
ぼくたちの奥底に染みいる。

この本は、スコットランドと
アイルランドへのウィスキーの
旅を綴った美しい本である。

スコットランドとアイルランド
の美しい風景、それからウィスキー
の深い香りが漂ってくる。

スコットランドのアイラ島。
村上氏は、現地式をまねて、
生牡蠣にシングルモルトを
とくとくと垂らして、口に運ぶ。

 

…至福である。
人生とはかくも単純なことで、
かくも美しく輝くものなのだ。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

 

これを知って、試さずには
いられない。
ぼくも幾度となく、この至福の
時を楽しむ。

この本は、文章だけでなく
村上氏の奥様、陽子さんの
写真が、心の深いところに
響いてくる。

これらの美しい写真が
言葉に表しようのない感情を、
静かに呼び覚ますのである。

ひどく疲れた日に、ぼくは
村上春樹氏のこの本を
そっと開く。

スコットランドを綴る最後に、
ボウモア蒸溜所のマッキュエン氏が
口にする「アイラ的哲学」が
置かれている。

 

「みんなはアイラ・ウィスキーの
とくべつな味について、あれこれと
分析をする。大麦の質がどうこう、
水の味がどうこう…。でもそれだけ
じゃ、…魅力は解明できない。
いちばん大事なのはね、ムラカミ
さん、…人間なんだ。…人々の
パーソナリティと暮らしぶりが
この味を造りあげている。…
だからどうか、日本に帰ってそう
書いてくれ。…」
 というわけで、僕はそのとおり
に書いている。神妙な巫女みたいに。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)

 

ぼくも、その御宣託を受けるように
この言葉を心にしずめて、
この小さな美しい本を閉じる。

 

2. 見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)

この本も、美しい本である。
社会学者の見田宗介先生が
宮沢賢治を通じて、自我という問題、
<わたくし>という現象を考える。

宮沢賢治の文章(と生)と見田宗介
の文章(と生)が織りなす、まさに
<存在の祭り>というべき本である。

この本を読んでいると、ぼくの
精神がおちつきを取り戻していく。

村上春樹氏の文章と同じように、
見田宗介先生の文章は、
言葉が生きている。
リズムがあり身体性を感じるのだ。

この『宮沢賢治』は、
宮崎駿の映画のように、
「主人公」が異世界を通過して
肯定的に現実世界に戻ってくる

構成ですすんでいく。

見田先生は宮沢賢治の詩篇「屈折率」
から、宮沢賢治の生涯に思いを
馳せる。

 

 <わたくしはでこぼこ凍ったみち
をふみ/このでこぼこの雪をふみ>
と、くりかえしたしかめている。…
あれから賢治はその生涯を歩きつづ
けて、…このでこぼこの道のほか
には彼方などありはしないのだと
いうことをあきらかに知る。
 それは同時に、このでこぼこの道
だけが彼方なのであり、この意地
悪い大きな彫刻の表面に沿って
歩きつづけることではじめて、その
道程の刻みいちめんにマグノリアの
花は咲くのだということでもある。

見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波書店)
 

宮沢賢治の美しい詩篇と、
見田宗介の美しい文章に触れ、
ぼくも「このでこぼこの道」が
彼方であることを確かめる。

3. 真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)

真木悠介先生の life work(生の
ワーク)である『旅のノートから』。

次のような扉の詞が置かれている。


life is but a dream. 
dream is, but, a life.

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)

 

この扉の詞にはじまり、
「18葉だけの写真と30片くらいの
ノート」である。

真木悠介著作集ではなく、原本の
「表紙の写真」は、インドの
コモリン岬で、真木悠介先生が
撮った写真である。

この「コモリン岬」での話については、
後年、見田宗介の名前で出版された
『社会学入門』の中に収められた
「コラム コモリン岬」にてつづられて
いる。
とるに足らない話と言いながら、
とても感動的な話である。

この「ノート」は、真木悠介先生に
とっては、「わたしが生きたという
ことの全体に思い残す何ものもないと、
感じられているもの」であるという。

一葉一葉の写真が、
ひとつひとつの文章が、
一言一言の言葉が、
ぼくの内奥に深く響いていく。

「言葉に癒される経験」である。
繰り返しになるが、
言葉が身体的である。
言葉が生きているのだ。

 

ひどく疲れた日。
ぼくは、そっと腰をおろし、
これらの本をそっとひらく。

本の世界に、
静かな言葉の海のなかに、
そっとはいっていく。

いつしか、
言葉が言葉ではない世界に
ひきこまれていることを
感じるのだ。

「創られながら創ること」(真木悠介) - 「創ること」の本質 by Jun Nakajima

IT技術とインターネットの普及により
時代は多くの「クリエイター」を
生み出している。

アート(芸術)、作家、ブロガー、
YouTuberに至るまで、これまでに
ない勢いで、自分の「作品」を世に
出す機会が開かれている。

「作品」は、自分を表現するもの
などと言われる。

ぼくは、このような言説が語られる
たびに、立ち止まって、考える。

脳裏にうかぶのは、真木悠介先生の
絶妙な言葉である。
真木悠介先生は、このことを
フランスの思想家バタイユの芸術論
からインスピレーションを得る。


創造するということは、
「超えられながら超えるという精神
の運動なんだ」と。
つまり、ほんとうの創造ということ
は、創るということよりまえに、
創られながら創ることだと。
…ぼくらは、近代的な芸術を批判
するものとして、バタイユを読み
返すことができると思う。
近代的な芸術というのは、個性の
表現とか主体の表現ということが
あって、…バタイユは、そういうの
は、いわば貧しい創造に過ぎないの
であって、ほんとうの創造は、
自分自身が創られるという体験から
出てくるのがほんとうの創造なんだ
ということを、半分、無意識に
言っていると思うんです。…

真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)

 

この言葉、「創られながら創ること」
は、鮮烈である。

ぼくは「ほんとうに大切な問題」
追求していくなかで、大学時代、
「人は旅で変われるか?」という
テーマに没頭した。

そのことを考えていくなかで、
この言葉は、ぼくが感じていたこと
に「言葉」を与えてくれたのだ。

真木悠介先生も、この言葉を
自身のインドへの旅を素材に語る。

 

ふつうの旅行というのは、
創る旅行であるわけだけれど、
途方に暮れるとか、そういう
ところから、いわば最初の設計
がだめになるということから
インドの旅が始まるという。…

真木悠介・鳥山敏子
『創られながら創ること』
(太郎次郎社)

 

中国本土を旅したときも、
返還前の香港を旅したときも、
ベトナムを旅したときも、
そしてニュージーランドで
徒歩縦断に挑んだときも、
ぼくは、常に、超えられる
という経験のうち、創って
いくということがあった。

旅に限らず、日常においても、
こうして文章を書くプロセスに
おいてそれは、常に超えられる
経験がある。創られながら創る
という経験がある。

そうして生まれた文章は、
創られるという経験が深ければ
深いほど、自分でも驚きと感動
の気持ちがわく。

それから、人との出会いも、
それが「ほんとうの出会い」で
あれば、関係の構築は、
超えられる経験のうちに
深まっていくものでもある。

真木悠介先生は、
この書の「あとがき」で
「創られながら創ること」という
絶妙の言葉を、「解体と生成」と
して表現している。

ぼくたちは、旅のなかで、
世界で生きていくなかで、
作品をつくりだしていくなかで、
それから人との出会いのなかで、
この「解体と生成」の契機に
置かれる。

「解体と生成」は、
人間の成長の本質である。

「解体」という経験は、
怖いものでもあり、でも同時に
恍惚の経験でもある。

人が変わることができるとしたら、
人が生まれかわれるとしたら、
人が成長することができるとしたら、
この「解体と生成」という経験の
内に、自分を乗り越えていく精神に
よってではないかと、ぼくは思う。

「見田宗介=真木悠介」の方法 -「ほんとうに大切な問題」 by Jun Nakajima

見田宗介『社会学入門 - 人間と社会の
未来』(岩波書店)の「序」は
感動的な文章である。

「社会学とは」について書かれている。
専門科学(経済学、法学、政治学等)
の「領域」をまたいで、「領域横断的」
な学問として、社会問題に向き合う。



 社会学は<越境する知>…とよばれて
きたように、その学の初心において、
社会現象の…さまざまな側面を、
横断的に踏破し統合する学問として
成立しました。…
 けれども重要なことは、「領域横断
的」であるということではないのです。
「越境する知」ということは結果で
あって、目的とすることではありません。
何の結果であるかというと、自分にとって
ほんとうに大切な問題に、どこまでも
誠実である、という態度の結果なのです。
 
 

それから「自分自身のこと」として
見田宗介先生の社会学との関係が
つづられている。

 

わたしにとっての「ほんとうに切実な
問題」は、子どものころから、
「人間はどう生きたらいいか」、
ほんとうに楽しく充実した生涯を
すごすにはどうしたらいいか、という
単純な問題でした。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)

 

「ぼくのこと」で言えば、
(今振り返ると、ということだけれど)
小さいころから、次のような問題系が
ぼくという人間を駆動してきた。

  1. 生きる目的や人間の本質といった「人間」の問題系
  2. 戦争などの争いのない「社会」の問題系

高度成長期後の日本において、ぼくは
生きにくさを感じ、疑問をもっていく。

(後年、この危機状況は「社会問題」で
あったことも書籍から知る。ぼくだけ
ではなかったということ。「ぼく」の
問題であると共に「社会」の問題でも
ある。)

人生は、ぼくに「道」を開いてくれる。

それは、
「世界を旅する道」であった。

大学に入り、世界を旅するようになる。
中国、(返還前の)香港、ベトナム、
タイ、ラオス、ミャンマー、ニュージー
ランドと、ぼくは世界を旅する。

その内に、ぼくの「ほんとうに大切な
問題」は、このように「具体性」を
帯びていった。

  1. 日本を出て世界を旅する日本人
  2. 「途上国問題・南北問題」

「生きづらさ」の感覚は、「旅で人は
変われるか?」という探索につながった。
「人が変わる」ということを、旅という
場を素材に、追求していくことになった。

そして「途上国問題・南北問題」は、
ぼくの人生をかたちづくっていく。

大学卒業後の進路はうまく決まらず、
また「学びの欲求」が益々強くなり、
ぼくは二つ目の「途上国問題・南北問題」と
いった問題系を大学院で学ぶことに決めた。

大学院で、ぼくは途上国「開発・発展」を
学ぶ。
途上国のことを学べば学ぶほど、それは
結果として、既存の専門科学を「越境」
せざるをえないことになった。

「人が変わること」と「社会が発展すること」
の問題系は、次第にひとつのキーワードを
結実させていくことになる。

それは、
「自由」(freedom)ということである。

この言葉を頼りに、この言葉をタイトルに
ぼくは修士論文(「開発と自由」)を書く。

見田宗介と経済学者アマルティア・センを
導きの糸として、ぼくは「自由」をとことん
考えたのだ。

修士論文「開発と自由」は、ぼくにとっては
とても大切な作業であった。
それは、ぼくのなかで、納得いくまで、
いろいろなこと・ものが繋がったからである。

でも、ある教授に言われた。

「よく書けているけれど、ある意味誰でも
書ける内容ですね。『経験』が見えない。」

理論に終始した結果、ぼくの経験に根ざした
文章にはなっていなかったのだ。

大学院の修士課程を終え、ぼくは、
「実践」にうつっていく。
国際協力NGOに就職し、途上国の現場に
出ていくことになったのだ。
こうして、ぼくは、西アフリカのシエラレオネ
の地に、踏み出すことになった。

ぼくの「ほんとうに大切な問題」を手放すこと
なく、追求していく仕方で。

シエラレオネと東ティモールで、ぼくは、
それぞれ、難民支援とコーヒー生産者支援で
「実践」していく。

そのなかで、ぼくの「原問題」は、次のように
表層を変える。

  1. 「人が変わること、人の成長」の問題系
  2. 「いい『組織』をつくること、組織のマネジメント」の問題系

実践の中で、ぼくは、数々のプロジェクトを
動かしていく。その中で、「組織」という
問題にぶつかったのだ。

その後、人生は、ぼくに次の「道」を開く。
そうして、ぼくは「香港」に移ったのだ。

香港で、ぼくは、人事労務コンサルタントの
仕事につく。
「人と組織の成長・発展」を、
人事の視点からサポートする仕事である。

それから10年。
ぼくは、次のステージに立っている。

そして、やはり「ぼくの原問題」に立ち戻る。
それは、見田宗介先生の「ほんとうに大切な
問題」と交錯する。

「どのようにしたら、この世界で、よりよく
生きていくことができるのか」

時代は、大きく変わろうとしている。
すでに、変わってきているし、変わって
しまってもいる。
だからこそ、原問題から、ぼくは新たに
スタートする。

見田宗介先生は、『社会学入門』の「序」の
最後に、このような文章を書いている。


インドには古代バラモンの奥義書以来、
エソテリカ(秘密の教え)という伝統がある。
そのエソテリカの内の一つに、
<初めの炎を保ちなさい>という項目がある。
直接には愛についての教えだけれども、
インドの思想では万象の存在自体への愛
(マハームードラ Cosmic Orgasm)こそが
究極のものであり、知への愛である学問に
ついてもそれはいえる。

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
 

旅も、世界で生きていくことも、そして
人生も、同じであるとぼくは思う。

<初めの炎>をぼくは、心の内に、灯し
続ける。

「見田宗介=真木悠介」の方法 - 本質への/からの視点 by Jun Nakajima

社会学者「見田宗介=真木悠介」の文章が
ぼくにとって魅力的な理由のひとつは、
本質的な問いに降りていくことにある。

常に「本質」への視線を投げかけていて、
本質的で、根源的な視点が地下の水脈に
流れている。

著書『気流の鳴る音』では、
「根をもつことと翼をもつこと」という
人間の根源的な欲求を展開していく。

同著には、また、
「彩色の精神と脱色の精神」と題される
文章が記されている。


われわれのまわりには、こういうタイプ
の人間がいる。世の中にたいていのこと
はクダラナイ、ツマラナイ…という顔を
していて、…理性的で、たえず分析し、
還元し、…世界を脱色してしまう。…
また反対に、…なんにでも旺盛な興味を
示し、すぐに面白がり、…どんなつまらぬ
材料からでも豊穣な夢をくりひろげていく。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


真木悠介先生は、この「二つの対照的な
精神態度」を、
<脱色の精神>と<彩色の精神>と呼ぶ。

この対照的な精神態度は、
ぼくたちの日々の生活への「見直し」を
せまる。

ぼくは、10代のきりきりとした時期に、
「脱色の精神」にとりつかれていた。
そんなぼくは、海外への旅をきっかけに
「彩色の精神」を取り戻していくことに
なった

また、次のような根源的な視点も
ぼくをとらえて離さない。

見田宗介先生は『社会学入門』(岩波
書店)の中で、「自由な社会」の
骨格構成を試みる。

この社会構想は、発想の二つの様式を
もとに展開される。

それは「他者の両義性」である。


他者は第一に、人間にとって、生きる
ということの意味の感覚と、あらゆる
歓びと感動の源泉である。…
他者は第二に、人間にとって生きる
ということの不幸と制約の、ほとんど
の形態の源泉である。…

見田宗介『社会学入門』(岩波書店)


この他者の両義性をもとに、
「交響圏とルール圏」という社会構想
の骨格を、この「入門」の書で展開
している。
(「入門」はある意味で「到達地点」
でもある)

このように、「見田宗介=真木悠介」
の方法のひとつは、
本質的な問いに降りていくこと、
根源的な地点から思考することである。

日々の生活のなかで、表面的な現実に
疲れたとき、ぼくは、本質的で
根源的な地点に、思考を降ろしていく。

「頭の中の辞書」を見直す - 外国語の効用 by Jun Nakajima

「頭の中の辞書」の見直し、
つまり「自分の世界を書き換える
方法」
を進めていく上で、
「外国語の効用」は極めて大きい。

日本語の言葉や言葉の意味を
一旦「止める」こと。
「言葉を止める」には、
外国語の言葉と文法を「言葉の鏡」
として使っていくことができる。

例えば、「自立」という日本語。
英語の形容詞では「independent」
である。

この「自立」と「independent」
という言葉の「間」にみられる
定義や語感の違いが、ぼくたちに
「考える」ということを迫る。

日本語だけでこの作業をすると、
「言葉に染みついた意味と感覚」
につきまとわれることになる。

言葉の一つ一つには、
社会や時代、自分の生活経験が
あまりにも深く刻まれている。

言葉の意味だけでなく、文法、
言葉が語られる背景や文化に
至るまで、刻まれている。

だから、外国語という「言葉の鏡」
を活用する。

まったく同じものをうつす「鏡」
ではないけれど、この鏡は
大きな力をもっている。


ぼくは「英語」という言葉の鏡を
利用してきた。
英語にどっぷり浸かることで、
ぼくの「頭の中の辞書」を見直して
きた。

そして、それはうまい具合に、
効果を発揮してきたのだ。

それは、時に、
「(身近な)家族のアドバイス」
よりも、
「(距離のある)第三者のアドバイス」
が受け入れやすいのと同じように。

「頭の中の辞書」を見直す -「世界」を書き換える方法 by Jun Nakajima

ぼくたちの頭脳にある言葉や物事の
「定義」は、驚くほどに、思い込みと
間違いに充ちている。

何かの都合で、何かを読んだり聞いたり
していて、自分が思っていたことの
間違いに気づく。

ぼくたちの「世界」は、言葉と言葉の
解釈で構成されるものでもある。
言葉が間違っていると、「世界」は
間違ったパーツでつくられてしまう。

人と人のコミュニケーションは、
ひとつの「世界」とひとつの「世界」
の間のコミュニケーションでもある。
だから、すれ違いや誤解が常である。

だから、時に、「世界」のパーツを
見直すことは、とても大切である。
「自分の頭の中の辞書」の定義を
見直すことである。

見田宗介・栗原彬・田中義久編の
『社会学事典』(弘文堂)は、
「引く事典」だけでなく「読む事典」
でもある。

ひとつひとつの項目に惹かれ、
言葉の世界に引き込まれてしまう。

事典の最初の項目は「愛」である。
これほど、人によって、定義や解釈
が異なる言葉もない。

ぼくの「頭の中の辞書」では
「愛」の項目はこう書かれている。

「愛とは、自分と相手の境界が
ないこと、なくなること」

『社会学事典』ではこのように
定義されている。

 

愛とは、主体が対象と融合すること、
一体化することであり、またそこに
成り立つ関係でもある。愛の対象は
一つの宇宙である。主体は対象に
ひきつけられることによって己れを
消尽しつつ、自らを宇宙へと開き、
直接、無媒介的に宇宙の中にいる。
主体と対象との間にはもはや
隔てるものがなく、愛は「消尽の
共同体」(バタイユ)として
存立する。・・・

『社会学事典』(弘文堂)より


これを読みながら、身体の震えと
共に、一人うなってしまう。
また、たった一つの言葉の、その
拡がりに驚かされる。

「頭の中の辞書」の見直し、つまり
「自分の世界を書き換える方法」は
二つある。

  1. 「辞書」や「事典」で学び、書き換える。
  2. 意識的に「自分なりの言葉」に書き換える。

1の作業だけでも、深い娯しみを
得ることができる。
関心と感心、驚きの連続である。
「インターネット時代」における
「ネット言葉」だけの世界に陥らない
ための方法でもある。

2は、既成の概念を超えていくこと
でもある。
自分の「世界」を積極的につくり
だしていくことである。

「世界を止める」(真木悠介)のは、
最初は「言語性の水準」である。

ただし、それは、身体性、行動、
それから生きること総体(生き方、
人生)に影響を与えていく。

ぼくは、ここ数年、「自立」という
言葉の書き換えをしてきた。
ぼくの「自立」は、狭い定義で、
それが日常の様々なところに
弊害を生んできていたからだ。

だから、「自立とは…」を書き換える。
自立は自分だけで立つのではない。
周りの応援や支えも、自立に含まれる
というふうに。

「世界を止める」(真木悠介)- 生き方を構想するために。 by Jun Nakajima

真木悠介先生の名著『気流の鳴る音』の
「概要と内容」を手短に述べることは
なかなか難しい。

理由は3つある。

  1. 要約を拒否する文体であること(ユニークな美しい文体)
  2. 削ぎ落とされた文体であること(徹底した論理)
  3. 一文一文がインスピレーションに充ちていること

真木悠介先生の言葉を拾えば、
『気流の鳴る音』とは、このようなことを
追求していく書である。


異世界の素材から、われわれの
未来のための構想力の翼を獲得すること…

われわれの生き方を構想し、
解き放ってゆく機縁として、これら
インディオの世界と出会うこと…

思想のひとつのスタイルの確立…

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


『気流の鳴る音』には、
「世界を止める」という章がある。

人が新しい生き方を獲得していく方法
である。

下記の水準において、「世界を止めて
いく」ことである。

  1. 言語性の水準
  2. 身体性の水準
  3. 行動の水準
  4. 「生き方」の総体

これまでの言語や身体の「すること」を
「しないこと」である。

言語であれば、これまでの思考を
やめてみる。

身体であれば、「目」に頼りすぎず、
五感で世界を感覚する。
ドイツ発祥の「ダイアログ・イン・
ザ・ダーク」の本質はここにある。
暗闇で食事を楽しむレストランなど
も、同様である。

『気流の鳴る音』では、インディオの
世界から、これらを追求していく。

ぼくたちは、世界への旅を、
世界の様々な異文化との出会いを、
「世界を止める」契機としていく
ことができる。

ぼくは、アジアへの旅のなかで、
シエラレオネで、東ティモールで、
香港で、幾度も幾度も、「世界を
止めること」を日常で繰り返す。

「生き方の発掘」(真木悠介)という
真木悠介先生の志に呼応するように。

「根をもつことと翼をもつこと」(真木悠介) by Jun Nakajima

真木悠介先生の分類の仕様のない
名著『気流の鳴る音 交響するコミューン』。
美しい本である。

その「結」にあたる章は、
「根をもつことと翼をもつこと」
と題されている。

人間の根源的な欲求は、
・根をもつことの欲求
・翼をもつことの欲求
であるという。

「翼」をひろげ、グローバルに、世界で
生きていきながら、
ぼくも「根」をもちたい欲求にかられる
こともある。

人は、家族やふるさとやコミュニティに
「根」をもとめる。
ぼくは「根なし草」になってしまうのでは
ないかという恐れも、以前はもっていた。

そんなときに出会った思想である。


<根をもつことと翼をもつこと>を
ひとつのものとする道はある。
それは全世界をふるさととすることだ。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)


この美しい文章は、20代のぼくから、
悩みと葛藤と不安と恐怖を、シンプルに
解き放ってくれたのだ。

東京で、西アフリカのシエラレオネで、
それから東ティモールと香港と続く
「人生の旅」において、『気流の鳴る音』
は、ぼくの旅の同伴者である。

1977年に発刊された『気流の鳴る音』
(初稿は1976年)は、今でも、そして
今だからこそ、尽きることのない
インスピレーションを、ぼくに与えて
くれる。

「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介) by Jun Nakajima

life is but a dream.
dream is, but, a life.

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店)
扉の詞より


ぼくの人生のメンターである真木悠介先生が
「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの
歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて
勝手に訳したもの」である。

ぼくの座右の銘でもある。

東京、西アフリカのシエラレオネ、
東ティモール、そして香港と生きていく
日々の中で、この詞がぼくを支えてくれた。

英語文法的なポイントは
“but”の二つの意味合いである。

前者の文章の“but”は「ただ(only)」の意味
である。
後者の文章の“but”は「しかし」の意味である。
これを念頭に日本語訳すると、こうなる。

「人生はただの夢でしかない。
しかし、夢こそが
人生である。」

この詞にはたくさんの真実が詰まっている。
まず一つ目に、ぼくたちが「人生」だと
思っていることは、すべて「夢」である
ということである。

夢は、違う言葉では、「物語」とも言える。
いわゆる「現実」も、ぼくたちが脳で
つくりだしている「夢」でしかない。
いわゆる「人生の目的」もない。

でも、だからと言って、悲観することでは
ない。
「夢でしかないなら、意味がない」と
シニカルになることでもない。

夢こそが人生であるなら、この「夢」を
楽しんでいくことである。
素敵な「物語」をつくっていくことである。

そして、どんな夢も、どんな物語も
ぼくたちはつくり、生きていくことが
できる。
生ききることができる。

「毎日10のアイデア」- James Altucherに学ぶ by Jun Nakajima

「アイデアは実行しなければ意味がない」

これは正しい。
でも、これも正しい。

「アイデアを生むことが大切である」

人生の新しいチャプターへ入った今、
ぼくには、この両方の現実が切実に迫って
きている。
特に、何かをゼロから一の地点へつくって
いくとき、それは切実である。

これまでも、白紙のようなページの現実を
前にしたとき、ぼくは同じような焦燥感に
かられた。

ニュージーランドに、先を決めず、降り
立った時。
西アフリカのシエラレオネの只中に
佇んだ時。
東ティモールのコーヒー農園を前にして
将来を考えた時。
香港に何はともあれ来て、今後どうしよう
かと悩んだ時。

そして、これからの人生の章を、1頁1頁
書き記している時。

だから、ぼくは「アイデアを生む筋肉」を
つくることにした。

James Altucherが提唱する「アイデア・
マシーン
」となるため「10 ideas a day」
を試している。

1日に10個のアイデアをメモしていくのだ。
これが、なかなか難しい。

まず、「毎日」という壁にぶちあたる。
1日がこんなに早くすぎていくことに驚く。

それから、10個の手前でとまってしまう。
テーマを決めて10個を書き始める。
しかし、6個や7個で手がとまってしまう。

「10 ideas a day」を始めてからは、
常に「アイデアのアンテナ」が働くように
なった。

見るもの、聞くものなど、そこからアイデアを
見つけたり、発展させたり、可能性を考えたりと
「筋肉」が発達してきた。

これからの時代、世界で生ききるために、
「10 ideas a day」は、未来をつくる一歩と
なる。

「歩くこと」ー ニュージーランドで歩く(6)90マイルビーチを抜ける by Jun Nakajima

1996年10月10日。
ニュージーランドの北端、レインガ岬
出発し、歩いて南に下る。

初日は丘のような場所を歩く。
道中に遭遇したマオリの家族に頂いた
貝を食べ、テントを設営して2日目に備える。

2日目は、Scott Ptあたりからの出発。
朝から空一面に怪しい雲がひろがっている。
それでも、ただ行くしかない、と歩を進める。

雨が降り出す。
雨宿りし、また歩き出す。

出発から1時間ほどして、いよいよ、
90マイルビーチ」に入る。

90マイルビーチとはいえ、90マイルはない。

ただ、ここから見ると、遥か先まで
ビーチが続いている。
ビーチは平らで歩きやすい。
人は誰もいない。

右にタスマニア海、左は砂丘。
絶景である。

ただ、荷物の重み、疲労と足の痛みから
精神的にきつくなる。

昼過ぎに、90マイルビーチを北上している
2人のトランパーに出会う。
嬉しく、同時に励みになる。

道中、ツアーバスが通りすぎていく。
クラクションを鳴らしてくれたり、
手を振ってくれたり、励みになる。

3日目は、曇り。
雨は降る気配はなく、とにかく前に進む。

ひたすらビーチ。
目印となるようなところがなく、
気分は上がらない。
身体の調子も悪く、午後4時程にテント設営。

4日目の10月13日。
朝方から強風。砂が流れている。
幸いにも、追い風。

休憩を減らし、前に前に進む。
ただ、ビーチの「出口」がなかなか見えない。

雲行きが怪しくなったため、予定より
北の位置で、ぼくは内陸に入った。

雨が降り出す。
ただ、道がわからない。
精神的に弱っていくのがわかる。

すると、こんなところで、また人に出会う。
3人組のお年寄りである。
ハイキングをしているという。
散歩といった感じだ。

同じ「歩くこと」をする人に出会うのは
うれしいものだ。

大体の現在位置がわかり、ぼくは
気をとりなおして歩きだした。

度々地図を眺める。
目指すは、Waipapakauriという街。

ぼくの足はすでに限界を超えていた。
そして、ついに、国道一号線に
出たのであった。

レインガ岬から90マイルビーチ。
この4日間は、学びの連続であった。
他者からの励ましの連続であった。
そして、他者からのサポートの申し出の
連続であった。

歩くことも、そして日々生きていくこと
も、その連続である。

(続く)