成長・成熟
「ほぼ日刊イトイ新聞」の創刊21周年記念企画、矢沢永吉x糸井重里の対談が興味深い。
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ニュージーランドの山をひとりでめぐっているときに、ぼくは、ぼくの「生きかた」を深いところで照らす<教え>を得た。山小屋で出会ったスウェーデン出身の女性に受けたその<教え>は、それまでじぶんが疑問視してきたことに直接に光をあてた。
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詩人であり書家の相田みつを(1924-1991)のことばに、よくとりあげられる、次のことばがある。
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シングル・モルト・ウィスキーの「聖地」である、スコットランドのアイラ島での旅をつづった、村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)。この本のなかで、ボウモア蒸溜所のマネージャーであるジムが、島でとれる生牡蠣の食べ方(あるいは、シングル・モルトの飲み方、とも言える方法)を村上春樹に教えるところがある。
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とても疲れているとき、思っている仕方では休まらないことがあるものである。寝不足があきらかであれば寝れば元気になるものだけれど、寝ても何か疲れがとれないことがあったりするものである。そんなとき、逆に身体を動かすことで疲れがとれることもあるし、たとえば、読書をすることで疲れがいやされるようなこともある。
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いつか読むことがわかっている本、いつかはわからないけれどいずれ読むだろうと予感のする本、読みたいと思いつつどこかで「まだ」と思う本、「そんなことごちゃごちゃ言っている暇があれば今にでも本をひらけばいいじゃないか」という声が聞こえつつもじっと「時」が熟すのを待っている本。
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思想家・武道家の内田樹は、内田樹の師匠の師匠である中村天風の「七戒」(怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな、取り越し苦労をするな)にふれながら、そのなかの「取り越し苦労」をとりあげて語っている。
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それなりの年数を生きてきたなかで、自分の住んできた「場所」をふりかえってみる。より正確には、ここ香港で海をながめて、いろいろとかんがえていたら、世界のいろいろな<海の風景>がぼくのなかで重なってきた。そこでふりかえってみると、確かに、<海の風景>が幾重にも重なっているのを、じぶんの内面に見る。
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「ただ生きる」ということ。それは、なんとなく生きていくというのではなく、むしろ、<生きる>ということの経験のひとつひとつを味わい、経験しつくしてゆく生きかたである。呼吸をすること、食べること、家族や友人と話をすること、身体を動かすこと、このようななんでもないことを味わいながら生きること。
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「ただ生きる」、ということ、そのむつかしさについて、真木悠介(社会学者)が書いている。
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5月の香港はこんなに暑かっただろうかと思うほどに、ここのところ香港は暑い。日中は33度ほどまで気温が上がり、夜も28度ほどである。湿気もあって、すでに「夏」を過ごしているかのようである。
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モノを減らしながら、よりミニマルな生きかたを求めるプロセスでの「学び」は、ほんとうに多様で、思っている以上に厚みがある。
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「自分」であること。一貫性をもった振る舞いかたで、どこにいっても、どんなときも「自分」をもっていること。確固とした「自分」であること。そのような、不動で、確固とした、強い個人像のようなものが有効であり、また強く信じられることがある。
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思想家・武道家の内田樹の『日本辺境論』(新潮新書)というきわめてスリリングな本のなかで、内田樹は、師弟関係における「トイレ掃除」について書いている(「便所掃除がなぜ修業なのか」)。
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著書『「空気」の研究』でよく知られている山本七平(1921-1991)の『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)をとりあげて、ここのところブログを書いた。『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』のほかに、本のタイトルにひかれてぼくの「本棚」にならんでいる山本七平の著作に、『無所属の時間』(1978年)がある。
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同時代のなかで、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)がつくり歌う曲を聴くことができるのは、ぼくにとってしあわせなことである。
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じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。
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現在あるかたちの「消費化社会」が、地球の環境問題をふくめて、大きな「負の影響」をおよぼしている。
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食事をしながら、ふと、「おいしさ」についてのことがあたまに浮かんでくる。
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「未来」を手にいれたとき、それは人間にとって、大きな「解放」であった(古代日本人にとっての「未来」はつぎの収穫までの時間ほどであった、など)。けれども、近代・現代は「未来」を極端な仕方で、あるいは間違った方向に向けてしまうようでもある。
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