海外・異文化
1990年代に、アジアを旅したり、ニュージーランドに住んでいたりしたときには、まだ、ビデオ通話はなかった(方法はあったかもしれないけれど一般的ではなかった)。もちろん国際電話はできたのだけれど、それなりにお金もかかるし、余程の急ぎの件がなければ国際電話はしなかった。
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思想家・武道家の内田樹が、ブログ『内田樹の研究室』で、「元号について」(2018年12月7日)という、興味深い文章を書いている。ここでいう「元号」は、もちろん、日本の新しい元号(2019年5月1日)を照準している。
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日本をはなれての異国の地における短い旅や異国に住むことを、それなりの長い時間をかけてしてきたなかで、それらの体験・経験がぼくのなかに少しずつ積層しながら、ぼくはときどき思うことになります
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ぼくがちょうど、海外に出るようになった1990年代半ば、作家の橋本治は、日本が経済大国となった頃に外国のあちこちで挙がることになった「日本人はよくわからない」という声について、その「理由」の推測を、つぎのように書いている。
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『National Geographic』(ナショナル・ジオグラフィック)の短い映像に、ぼくは強い磁力に引かれるようにして、ひきこまれてしまった。
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日本から海外に出て、学びの必要性を感じ、関心をもったことのひとつに、「宗教」がある。
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香港のショッピングモールを歩いていて、レストランの入り口にスペシャルメニューが写真付きで宣伝されているのを見る。
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香港の書店にときおり訪れて、「最近の動向」を追う。
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「The World’s Greatest Places 2018」(2018年世界の最も素敵な場所)という特集が、TIME誌2018年9月3日号/10日号に掲載されている。
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海外に住むときには、その土地での風土病や感染症などは、その基礎知識と対処法を知っておくことが大切である。
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海外に住んでいて、例えばレストランに招待され、「何を食べますか?」と聞かれる。
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もう20年以上も前のことになるけれど、ニュージーランドに住みはじめたとき、はじめのころなかなか慣れずにいたのが、「日曜日」であった。
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ある本で、つぎのように論じられている。
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世界で暮らしていくうえで、「麺をすする音」には一歩立ち止まって考え、じぶんの「麺の食べ方」を定位しておくところである。
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ひろい空に「飛行機」がとびたってゆく風景というのは、ぼくにとって、特別なものでありつづけてきた。
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2000年代初頭から半ばにかけて、西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールに住んでいたとき、「日本語」にふれることは、ぼくが<ほんらいあるところ>に戻ってくるような感覚を、ぼくは抱いた。
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社会学者の見田宗介にとって、劇作家である寺山修司(1935~1983)と喫茶店で交わした「短い会話」が、その後の見田宗介に「ずいぶん深い影響」を与えてきたという。
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日本の地方に住んでいる者にとって、例えば「東京」は、「幻想の都」である。
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香港のとても暑い日に、グーグルのアプリ「Google Earth」を久しぶりにひらき、その「バーチャル地球儀」の「世界」を楽しむ。
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ぼくたちは生きていくなかで、じぶんのなかに、物事を判断する「ものさし」を構築し、それに従ってゆく。
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