開発協力・国際協力の「善悪」の彼岸へ。- 「光」と「闇」の統合理論と実践へ。 by Jun Nakajima

「途上国 developing countries」と呼ばれる国、そしてその地域やコミュニティの発展・開発(development)を支援する「開発協力」や「国際協力」ということを学びはじめたのは、確か1997年、大学3年になったときであったと記憶している。

Read More

「体育座り」について、ふたたび。- 内田樹の読みとくフーコーと竹内敏晴らを素材としながら。 by Jun Nakajima

「体育座り」(あるいは「三角座り」)について、その「体育座り」を相対化し、そして止めることについて、以前のブログ(「「体育座り」を止めること。- 海外の環境が助けてくれる「unlearning」のプロセス。」)で書いた。

Read More

議論の「不毛なすれちがい」の原因のひとつ。- 「いかなる未来への変革を志しているのか…」(真木悠介)。 by Jun Nakajima

先のブログにも書いたように、真木悠介(見田宗介)の『人間解放の理論のために』(筑摩書房、1971年)を読んでいて、17年ほど前に読んでいたときに「棒線をつけた文章」に行きあたる。

Read More

地球や人類や社会の「全体像」の議論について。- ずいぶんと「忘れられてきた」見方のこと。 by Jun Nakajima

『Sapiens』『Homo Deus』の著者、歴史学者Yuval Noah Harari(ユバル・ノア・ハラリ)は、新著『21 Lessons for the 21st Century』(Spiegel & Garu, 2018)の冒頭を、「人類(humanity)の未来」に関する議論には理論的には誰もが参加できること、しかし明確なビジョンを維持することは極めてむずかしいこと、また議論が行われていることに気づくことさえしなかったり、しなければいけないことがたくさんあるなかで調査することが「贅沢」となっていることなどを指摘することから、書き始めている。

Read More