香港の、「レモンいっぱいのレモンティー」。- レモンは「いっぱい」でもいいんだ、という認識への再設定。 by Jun Nakajima

香港の街に出て、食事をするときによく飲む飲み物は「ホットミルクティー」。香港式のホットミルクティー(港式奶茶)である。「香港式」は、とても濃い紅茶に、無糖練乳がたっぷりと入ったミルクティーである。お店によって「味」はさまざまで、その「さまざま」を味わってゆくのも楽しい。

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「We shall not cease from exploration…」(T.S. ELIOT)。- 「終わり」にたどりつくところ。 by Jun Nakajima

ユング派の分析家ロバート A. ジョンソン(Robert A. Johnson、1924-2018)の著書『Living Your Unlived Life: Coping with Unrealized Dreams and Fulfilling Your Purpose in the Second Half of Life』(Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2007)のはじまりのところに、T・S・エリオット(1888-1965)の詩集『Four Quartets(四つの四重奏)』からの抜粋の一部をおいている。

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村上春樹訳『グレート・ギャツビー』の「冒頭と結末」のこと。- 「訳者あとがき」の<告白>。 by Jun Nakajima

小説家の村上春樹が訳した、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(中央公論新社、2006年)の「訳者あとがき」、その最後の最後のところ(もう少しで「訳者あとがき」が終えようとするところ)で、村上春樹はつぎのように書いている。

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1910年代から1920年代生まれの先達に、ぼくはなぜかひかれる。- 串田孫一にふれながら。 by Jun Nakajima

2019年は思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作を読もうと、2018年の終わりちかくに、ぼくは思うことになった。年始にさっそく鶴見俊輔の著作を手にいれ、読みだしたら、一気に脱線してしまった。著作のなかで鶴見俊輔がふれる人たちを、そのたびごとに追っていたら、まったく進まなくなってしまったのだ。

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村上陽子の写真。- 村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』所収の、なぜかひかれる写真たち。 by Jun Nakajima

ふだんは「猫」を見ることがあまりない香港の街角で、猫に出会う。カメラを向けると、瓶のうえにすわっている猫は、まったく動じずに、ぼくのほうにただ目を向ける(ブログ「「猫」のいる、香港の風景。- 「猫があまり見られない」環境のなかで、猫に出会う。」)。

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