先日、写真の整理整頓をしているときに、どこかにまぎれて所在がわからなくなっていた写真が出てきた。
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だいぶ昔のことで、正確にいつだったのか覚えていないのだけれど、高校生か大学生になってから、小学生のときの恩師に会いにいったことがある。もう、20年から25年ほどまえにことになる。
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続、やはり、「速さ」の香港。ここで「続」と言うのは、昨日、ブログ「やはり、「速さ」の香港。- レストランで、あれよあれよの「速さ」にふれて。」を書き、その「続き」ということで、さらに「速さ」について書いているからである。
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先日、ここ香港の大衆的なレストランで、遅めのランチをとっていたところ、なにやら店内が急に混みだして、ふりかえって見ると、普段見られないような行列が店内にできていた。
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「聴いていて、わかる」と「書いていて、わかる」は違うということを、メールマガジンのための文章を書きながら、また書いた文章をメールマガジン「The Blog & More of Jun Nakajima」にのせてご登録いただいている方々に送信したあとに、ぼくはしみじみと思う。
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ここ香港で、ファーストフード店で、数字の書かれた立て札をテーブルにおいて、注文した食事が運ばれるのを席について待っている。午前の時間ということもあって、食事時であれば人でいっぱいになるであろう店内も、人はまばらである。
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Thomas Thwaites(トーマス・トウェイツ)の著書『GoatMan: How I Took a Holiday from Being Human』(Princeton Architectural Press)(邦訳『人間をお休みしてヤギになってみた結果』村井理子訳、新潮文庫)という、ユニークな本がある。
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香港に住んで12年になろうとしている。
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旧正月(2月5日)以降、20度前後の、暖かく、過ごしやすい日がつづいていた香港。
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心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)は、1990年代の新聞の連載のなかで、つぎのように書いている。
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「アメリカ」について、学んでいる。より正確には、国や社会としてのいわゆる「アメリカ」だけでなく、「アメリカなるもの」も含めて、である。
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ここのところ、養老孟司の二つの著作、それら著作の「あいだ」に20年ほどの時間が介している二つの著作、『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年)と『遺言。』(新潮新書、2017年)を導きとしながら、「意識と感覚(の段差)」、「脳の世界」の浸潤としてみる歴史、「不死」ということについてブログに書いた。
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著書『Homo Deus』で、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、人類が「飢饉、伝染病、戦争」を管理可能な課題にまでもってきたことを指摘しながら、人類が次に直面する課題は、次の3つとしている。
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「意識」そのものを考える。「意識」によって考えられたことを議論するのではなく、「意識」自体を議論の俎上にのせる。このタブーとされてきたことを解き放つ試みとしての『遺言。』(新潮新書、2017年)にふれながら、ブログ(「「意識と感覚」の<段差>を意識する。- 養老孟司の提案。」)を書いた。
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養老孟司の視点とことばは切れ味するどく、スリリングだ。
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串田孫一(1915-2005)のことを、作家の辺見庸は著作『水の透視画法』で書いている。
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小説家のサマセット・モーム(1874-1965)のことが突如気になって、Wikipediaの「サマセット・モーム」をひらく。
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ここ香港では、本日(2019年2月17日)「香港マラソン」が開催された。毎年、この時期に開催される、香港最大規模のマラソン大会である。フルマラソン、ハーフマラソン、10キロマラソンなどがある。
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詩人の中原中也(1907-1937)は、宮沢賢治の「心象スケッチ」である『春と修羅』の「十年来の愛読者」であった。
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カントリー・ミュージシャンのWillie Nelson(ウィリー・ネルソン)のことを、なにかの本を読んでいて目にしたかで、ぼくはApple Musicで探して、聴きはじめばかりのところ、1933年生まれの現役の「レジェンド」が、85歳にして9つ目の「グラミー賞」受賞とのニュースを見る。
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